◎雑誌『ながはま』に載った尾崎光弘氏の野口英世研究
昨日の続きである。昨日、「週刊 日本の100人 改訂版」067号(ディアゴスティーニ・ジャパン、二〇一三年四月三〇日)の『野口英世』の二七ページにある文章を引用した。
そこには、「尾崎光弘氏が『英世伝』出版数の推移を分析した結果によると、英世伝ブームには5つのヤマがあるという」とあった。この部分だけを読むと、尾崎氏が分析したのは、「『英世伝』出版数の推移」に限定され、尾崎氏が提示したことも、「英世伝ブームには5つのヤマがある」ということに限定されるかに思えるが、そうではない。尾崎氏は、「5つのヤマ」のそれぞれに関して、そこで、どういう「キィワード」が強調されたかを詳細に分析している。
すなわち、「週刊 日本の100人 改訂版」『野口英世』のうち、昨日、引用した部分は、実質的には、尾崎氏の所論のダイジェストともいうべきものなのだが、一見したところ、そうとは思えないような微妙な書き方がなされている。
昨日のコラムで、「この執筆者は、ひとの所論を援用する際、どこまでがひとの指摘で、どこからが自分の見解かということを区別して書くという文章上の基本を、わかっていないのではないだろうか。もしくは、そういう基本については十分に承知した上で、あえて、そのあたりをボカして書いているのではないだろうか」と述べたのは、このことなのである。
尾崎光弘さんに確認したところによれば、氏が「野口英世伝」の出版数の推移を分析した文章というのは、雑誌『ながはま』第二二号(一九九六年一一月九日)に掲載された「野口英世『物語』の発見」という論文である。なお、この『ながはま』という雑誌の発行元は、「野口英世博士ゆかりの細菌検査室保存をすすめる会」という長い名前の会(事務局・横浜市)である。
尾崎さんは、四段組で一〇ページに及ぶこの論文のなかで、「野口英世伝」の出版数の推移を分析し、そこに、「五つのブーム」を見出した。順に、①死去後のブーム、②戦争期のブーム、③復興期のブーム、④高度成長期のブーム、⑤七十年代のブームである(七ページ)。
尾崎さんは、それぞれのブームにおいて、野口英世の、どのような一面が強調されたのか、それが、その当時の時代背景とどういうに結びつくのかを、詳細に、かつ説得的に論じている。
「週刊 日本の100人 改訂版」067号の執筆者(あるいは、そのうちのひとり)は、当然ながら、この尾崎さんのすぐれた研究に接し、それを踏まえて、文章を執筆したのであろう。ではなぜ、その執筆者は、「尾崎氏の論文の趣旨を、以下に要約してみよう」といったような書き方をしなかったのか。そういった書き方ができなかったのか。おそらくそこには、それなりの理由があったものと思われる。【この話、さらに続く】