礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

遺骨を海に捨てるというのは本当ですか(木谷記者)

2021-12-26 03:33:47 | コラムと名言

◎遺骨を海に捨てるというのは本当ですか(木谷記者)

 今月二三日は、東條英機ら七名のA級戦犯が処刑されてから、七十三年が経過した日であった。その日たまたま、『特集文藝春秋 私はそこにいた』(一九五六年一二月)という古雑誌を開いていたところ、木谷忠(きたに・ただし)の「七戦犯の骨を探して」という記事を見つけた。
 記事によれば、当時、朝日新聞の記者だった木谷は、一九四八年(昭和二三)一二月二三日の朝、久保山火葬場の煙突から「黒い煙り」が上がるのを見たという。本日は、この記事を紹介してみたい。
 なお、本年六月のことだが、A級戦犯七名の遺骨は飛行機によって太平洋にまかれたという事実が、新たに発見された米国公文書によって明らかになった(東京新聞、2021・6・7)。これについては、当ブログ記事「三文字正平はA級戦犯の遺骨を回収しえたのか」(2021・6・9)を参照されたい。

 七 戦 犯 の 骨 を 探 し て
   東條らA級戦犯は、何時、何処で、如何に処刑されたか?
   その処刑の煙を眺めた筆者は当時の朝日新聞記者。

   出入を禁止さる
 その年――昭和二十三年〔一九四八〕の十一月四日から市ガ谷法廷で始まつた極東軍事裁判の判決文朗読は同月十二日、東條廣田松井土肥原板垣木村武藤の七被告に絞首刑を宜告して幕を閉じた。宣告が終ればあとは、マックアーサー元帥による再審査という、いわば形式的な手続きが残されているだけで、いつ何時でも「この再審査が終了した」という一片の発表がGHQからあり次第、刑の執行がわれわれの知らないうちに行われてしまう恐れがある。われわれは躍起になつて動き出した。
 宣告後しばらくすると、少しずつ洩れてくる情報のなかに、実際に刑の執行を担当するのは第八軍司令部であり、しかも現場で執行に立会うのは、第八軍の監督長官(インスペクター・ジュネラル)とやはり第八軍の憲兵司令官ら五人の米人であるという話があつた。私は立ち所に、この監督長官と憲兵司令官に接近しようと決心した。
 まず第一の段取りとして、私たちが平成そこだけに出入を許されている第八軍情報部の新聞係り大佐に「この二人に会わせてほしい」と頼んだ。日頃わりに温和だと思つていた大佐は、私の頼みをきくと、急に顔を硬ばらせ、頭からこれを拒絶した。「君はこの司令部への出入パスをもらつた最初から、情報部以外へは出入りしないと誓約したのを忘れたのか」というのだ。そう言われて改めてパスの文面をみるとなるほどそう書いてある。仕方なく引退つたが、私の野心はそのままでは承知しない。一日、二日後、私は何喰わぬ顔で要所要所に立つている衛兵の前を通り抜けて、いくつかの階段を上り、長廊下を回つて「インスペクター・ジェネラル」と大きく名札の出ている部屋の前に立つた。若い兵隊の秘書が出てきて、何か用かと尋ねた。こわごわながら虚勢を作つて、「朝日の記者だが、長官に会いたい」というと、意外にも直ぐに通してくれた。監督長官というのは比較的若い大佐だつたが、大体が日頃日本人記者との接触など全くないから、どう取扱つていいのか、とつさの判断ができず、つい面会してしまつたものとみえる。内心予想もしなかつただけに、ワクワクしながら、私は「処刑はいつごろですか」「死体はどう処理するのですか」「火葬にしたあと骨は海の中へ捨てるというウワサがあるが、本当ですか」とか、考えてみれば向うが答えるはずもないことばかり質問した。「何も言えません」「知りません」というのが決つた答えだった。それでもこのことに気をよくして私はその後、処刑に関係のある十数人の米軍人を訪問した。総合しても収穫はゼロに近かつたが、やれるだけやつてみたという満足感が駈け出しだった私を相当得意にさせていた。 
 ところがある日突然、新聞係り大佐から私に呼び出しがあった。何事かと行つてみると彼はこわい顔で、「お前のボスを連れて、一緒に来い」という。仕方がないので支局長に事情を話し、同道して再び大佐の前に立つた。彼は私たちを見ると、立ち上って支局長が差出した握手の手を憎々し気に無視し、大きい声で私の罪状を述べ立てた。私は吃りながら、自分で自分の犯した罪について、逐一通訳した。最後に大佐は私に出入パスを出せ、といい、支局長と私の目の前で力一杯私の写真も貼つてあるパスを破り捨てた。そして支局長に「この男は今後第八軍司令部に一切出入を差止める」と宣告した。【以下、次回】

 木谷記者は、第八軍の監督長官に向かって、「火葬にしたあと骨は海の中へ捨てるというウワサがあるが、本当ですか」と問うている。このウワサには、それなりの根拠があった。ニュールンベルグ裁判で処刑され、火葬された戦犯の遺骨は、イーザル川に流されている。おそらく木谷記者も、この話を伝え聞いていたのであろう。
 なお、「第八軍」とは、アメリカ陸軍の部隊のひとつで、一九四四年一月に創設された。初代の司令官は、アイケルバーガー中将(一九四八年八月まで)。日本占領の主力となったのは、この部隊で、占領後の司令部は、横浜市の横浜税関本庁舎に置かれた。

*このブログの人気記事 2021・12・26(9位になぜかミヨイ国)

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吉野源三郎・富本一枝・渡邊一夫の三人で作った本

2021-12-25 03:13:48 | コラムと名言

◎吉野源三郎・富本一枝・渡邊一夫の三人が作った本

 今月初めごろ、神保町の某古書店で、吉野源三郎著『人間の尊厳を守ろう』(山の木書店、一九四八年一一月)という本を入手した。吉野源三郎(よしの・げんざぶろう、一八九九~一九八一)に、こういう著書があったことは、そのとき初めて知った。
 帰ってから調べてみると、発行所である山の木書店は、画家の富本一枝(とみもと・かずえ、一八九三~一九六六)が、戦後の一時期、東京の世田谷区祖師谷(そしがや)で営んでいた出版社だった。山の木書店から出た本の数は、十数点にとどまるようだ。
 また、この本は、フランス文学者の渡邊一夫(わたなべ・かずお、一九〇一~一九七五)が装禎を担当している。
 いずれにしても、なかなか珍しい本である。そういう本に出あえたことを、年甲斐もなく喜んだ。
 表紙をめくると、左右のページに、それぞれひとつ、砂時計を持った熊のイラストがあらわれる。右ページの熊は左を向き、左ページの熊は右を向いている。どちらのイラストにも、「TEMPVS ET HORA」の文句がある。おそらく、「time and hour」を意味するラテン語であろう。
 左ページのイラストの両側には、次のような、ペン字の「書き込み」があった。

昭和二十三年十二月/クリスマス プレゼント/秋田のケン三 六十七サイ ヨリ
□□仁子 へ/ミンナ ナカヨクシマショウ!

 クリスマスの今日、この本を話題にしたのは、この「書き込み」を紹介したかったからである。それにしても、「秋田のケン三」さんのクリスマス・プレゼント、なかなか気がきいていますね。孫(?)の仁子さんも、きっと喜んだことでしょう。

今日の名言 2021・12・25

◎ミンナ ナカヨクシマショウ!

「秋田のケン三」さんが、1948年のクリスマスに、孫(?)の仁子さんに贈った言葉。上記コラム参照。

*このブログの人気記事 2021・12・25(なぜか、9位に柳宗玄、10位に藤村操)

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岡田啓介首相は避難先で二夜を過し……

2021-12-24 00:02:10 | コラムと名言

◎岡田啓介首相は避難先で二夜を過し……

 小坂慶助『特高』(啓友社、一九五三)の「Ⅲ 二・二六事件秘史」から、「一一、救出決行」の章を紹介している。本日は、その五回目(最後)。

 「閣下! 出ませう!」
 呆気に取られている、二人の女中を押し退ける〈オシノケル〉ようにして、押入の襖を一杯に開け、総理の手を取って、力一杯引出すようにして、座敷に出した。総理は既に背広にオーバー姿であった。座敷に立った総理は二日間の窮屈な端坐に、よろめく様に私に寄かかって来た。総理の右脇下から左肩を入れて抱えた。女中の府川〔きぬえ〕さんが総理に帽子を、秋本さくさんが黒いマスクを夫々附けて呉れた。廊下に出て裏玄関に急ぐ途中で、息をはずませて来た福田〔耕〕秘書官が、飛び付く様に、総理の左脇に肩を入れ、重病人を二人で抱えるようにして、玄関広間に出た。生か? 死か? 名状し難い数秒だった。
 「小倉伍長! 急病人だ! 車を入れろッ! 屍体など見るからだッ! 車ッ!」
 大声で呶鳴りながら、車寄せに出た。突然の大声に何事かと、司令始め三、四名の控兵が飛び出して、此方等〈コチラ〉を見ているのにはギョッ! とした。
 「小倉ッ! 早く車を入れろッ!」
 僅か一、二秒の事であったが、自動車の来るのが遅いように感じられた(尾崎行雄氏の女婿佐々木久二氏の乗用車フオード三五年型)。自動車は呆気に取られて眺めている、警戒兵の前を通って、車寄〈クルマヨセ〉に横付けとなった。福田秘書官がドアーを開けた、総理の身体を押し込むようにして中に入れて、福田秘書官が直ぐ乗込んだ。車は音もなく、警戒兵注視の真只中を裏門を無事突破して其姿を消した。時は午後一時二十分であった。
 総理救出の偉大なる奇蹟は遂に成った。その瞬間涙が止度なく出て来て仕方がなかった。昂奮の連続で張り詰めた気持も一度に弛み、心の焦点を失って呆然として車寄に暫く其侭立っていた。
 どの位経った自分にも判らなかった。突然林〔八郎〕少尉が兵五名を連れて、裏門前に立っているのを認めてハット我に返った。救出がもう二、三分遲れていたらと思うと、総身〈ソウミ〉の毛穴が粟立つ思いだった。天佑だ! 神助だ! と思った。林少尉は裏門から玄関に這入って来た。敬礼して 
 「只今! 総理の近親者が弔門中です!」
 と、何喰わぬ顔で云った。
 「早く屍体を引き取るように云って下さい。」
 「承知しました。伝えて置きます」
 林少尉は其侭表官邸の方へ廊下伝いに姿を消した。
 私は福田秘書官と岡田〔啓介〕総理の生存の発表の時期を打ち合わせして置く事を失念していた。あの侭直ぐ宮中にでも参内されて、新聞にでも発表されたら大変な事になる、一刻も早く引き揚げる事にしなければならない。目的を達した以上危険な場所に長居は無用だと思った。裏門にいる小倉伍長を呼び寄せた。
 先づ弔門者を早く安全な場所に待避させる必要がある。小倉〔倉一〕と二人で遺骸のある寝室に行った。弔門は既に終っていた。
 「弔門の方は、一刻も早く秘書官々舎の方へ御引取下さい。遣骸は早く私邸の方へ移すように手配致します」
 私の言葉に弔門者一同は、心残りさうに黙々として引揚げて行った。
 青柳〔利一〕、小倉と共に、二日間に亘る悪戦苦闘の後を振返り、心神共に消耗し切った身体を、この奇蹟にも等しい、首相救出の成功に喜びを全身に感じつつ、足の運びも軽く、九段下の憲兵隊に引き揚げた。
 松尾〔伝蔵〕大佐の屍体は、私達が引き揚げてから、間も無く、飽く迄岡田首相の遺骸として、迫水〔久常〕秘書官が、再度訪れた平出〔英夫〕海軍中佐や大久保秘書官に、事情を打ち明け、淀橋の私邸から棺を取り寄せて、納棺し、夕刻に私邸に引き取る事が出来た。この遺骸が首相官邸を出発する時は、栗原〔安秀〕中尉以下の主力将兵は、官邸の玄関から議事堂附近迄、整列して礼を尽した厳粛な見送りをした。
 岡田首相は、避難先の淀橋区下落合の佐々木久二邸に、二夜を過し廿九日夕刻宮中に参内した。御学問所で拝謁を賜った時陛下は
 「岡田! 無事でよかった!」
 と涙さえお浮べになってお喜びになり、岡田首相も恐懼感激して、落ちる涙を押え切れなかったとの事である。

 岡田啓介首相が官邸日本間を脱出したのは、二月二七日午後一時二〇分のことであった。文章にもあるが、首相は。その足で宮中に向かうことなく、淀橋区角筈(つのはず)の私邸に戻ることもなく、淀橋区下落合(しもおちあい)の佐々木久二邸に避難した。岡田首相の生存が、宮内省から発表されたのは、二月二九日午後四時四八分のことであった。官邸脱出から生存発表までの経緯については、かつて、当ブログで紹介したことがある(「なぜ岡田啓介首相は、救出されたあと姿を隠したのか」二〇一三・一〇・一三)。
 明日は、話題を変える。

*このブログの人気記事 2021・12・24(時節柄か9位にA級戦犯)

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弔問者十二名通ります!(小坂憲兵曹長)

2021-12-23 02:51:08 | コラムと名言

◎弔問者十二名通ります!(小坂憲兵曹長)

 小坂慶助『特高』(啓友社、一九五三)の「Ⅲ 二・二六事件秘史」から、「一一、救出決行」の章を紹介している。本日は、その四回目。

 十二畳の座敷には、屍歩哨が着剣の小銃を小脇に持って、青柳軍曹と話をしていた。歩哨の眼の前で押入から総理の洋服を出す訳にはいかない。青柳に歩哨の異動を眼で合図した。青柳は、それと察して盛んに歩哨を異動させようと、仂き〈ハタラキ〉掛けているが、歩哨は盤石〈バンジャク〉の如く動かうともしない。業を煮した私は
 「青柳! 間も無く弔門者が来るから、その準備をして置いて呉れ」
 と助け舟を出した。
 「さうですか! 最速〔ママ〕準備します」
 と、云うと歩哨に向い
 「其時歩哨の位置は、此辺にして呉れませんか?」
 と、歩哨を隣室に誘うた〈イザノウタ〉。歩哨は青柳の誘われる侭に隣室に異動した。絶好の機会、素早く押入を開けて、乱箱〈ランバコ〉の内にある洋服類全部を一抱えにして其侭廊下に飛び出した。女中部屋で、秋本さくさんに調べて貰うと、靴下、帽子ネクタイ、靴、眼鏡が不足しているとの事である。亦取って返し、歩哨の眼をかすめては目立たぬ様に一品宛つ〈ズツ〉、丁度親燕が巣に餌を運ぶように何回となく往復し、漸く其の目的を達する事が出来た。併し後で総理の話に依ると、靴は松尾〔伝蔵〕大佐のもので、大き過ぎて困ったと云う事であった。私の第一の任務は誰にも見咎められる事もなく完全に成功した。
 青柳〔利一〕軍曹と小倉〔倉一〕伍長の工作の進捗状態はと、玄関の広間迄来ると、叛乱軍の軍曹を長とする三名の巡察兵に亦出会った。次の巡察迄に一時間の余猶がある。この間隙を利用できると思った。玄関の廊下に青柳を呼び出し、総理の準備は既に終った旨を伝えた。
 玄関の表に出て見ると、小倉伍長が私の姿見て、走り寄って来た。
「巡察は今行ったばかりですから、一時間は大丈夫です。衛門の司令以下の懐柔工作は上乗〈ジョウジョウ〉です。何時でも差支ありません!」
 自信たっぷりと云う態度で報告した。今は只福田〔耕〕秘書官の誘導する弔門者を迎へるばかりである。正に時に迫った。私は何処が狂って、「九仭の功を一簣に欠く〈キュウジンノコウヲイッキニカク〉」この危険な計画の遂行に当って、もう一度手落ちがないかと心を落着けて反芻して見た。大丈夫だと確信しているものの、心の奥の不安は拭い払う事が出来なかった。
 福田秘書官の弔門者の手配はどうなっているか、官舎に行って連絡を取らなければならない。小倉伍長と一緒に衛兵の前に立った。
 「只今から総理の弔門者を官邸に入れますから承知して下さい。栗原〔安秀〕中尉殿の許可は受けてあります。私が迎えに行って来ます!」
 「承知しました!」
 「弔門者は、憲兵が案内します!」
 と、小倉が一本釘を刺した。裏門を出て見ると、秘書官々舎の前に、黒塗りの自動車が二台止っていた。「来ているな!」と、思った。
 官舎の玄関に立って、書生に来意を告げると、直ぐ福田秘書官が顔を出した。救出の準備完了は以心伝心と云うが、暗黙の裡〈ウチ〉に頷づき合っただけで通じた。
 「弔門者は十二名です。御用意が宜しければ直ぐに参ります!」
 「直ぐで結構です、私も御一緒に御案内致しませう!」
 と、一足先に玄関を出て表に待っていると、福田秘書官を先頭に十二名の弔門者が、ゾロゾロと玄関から出て来た、何れも六十才前後の老人ばかりである。良くこれ迄揃ったものだと感心した。背広、モーニング、和服と服装は様々であったが、流石は一国の総理の近親者だけあって、何れも人品骨柄〈ジンピンコツガラ〉共に賤しからぬ人達ばかりである。私の姿を眺め叛乱軍の一味と感違いでもしているのか、皆不安さうな表情で、中には激しい憎悪の満ちた眼で私を睨んでいるものもいた。黙々として福田秘書官に引率され、裏門の歩哨線迄来た。
 「弔門者十二名通ります!」
 と私が云った。厳重な警戒が一層緊迫の度を増したかのようである。歩哨の員数点検を受けた一行は、一団となって車寄せから、玄関に這入った。青柳軍曹が既に玄関広間に出て、福田秘書官より弔門者受継ぎ
 「弔門の方は、之から私の指示に従って行動して下さい!」
 と、小さいが力強い声で青柳が云った。瞬間私は身を翻して、女中部屋へ馳足で行った。息詰るような緊迫感が胸を締め付ける。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2021・12・23(時節柄か1位にミソラ事件)

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押入の総理にも聞えるように云った

2021-12-22 02:44:53 | コラムと名言

◎押入の総理にも聞えるように云った

 小坂慶助『特高』(啓友社、一九五三)の「Ⅲ 二・二六事件秘史」から、「一一、救出決行」の章を紹介している。本日は、その三回目。

 青柳の言葉で、事態の急迫している事が窺われる。最早一刻の猶予も許されない吐端場〔ママ〕に来ていると思った。四人共内心の動揺を隠し負えず、おろおろしているばかりであった。
 私は、いよいよ最後の来る処迄来たと思うと、心は白々と冴えて返って落着を取戻して来た。寒むざむとした、この広い応接間は一瞬熱気を帯びて来たかのように感じられる。
 「幾等考えていても、時間を取るばかりで仕方がない、弔門者に紛らわして脱出すると云う事で決行します! 総理と弔門者との接触を避けるためには、先ず弔門者を一団として、松尾〔伝蔵〕大佐の部屋に誘導して、襖を閉め切り、同時に女中部屋から総理を連出す。叛乱軍の連中には弔門者が虐たらしい〈ムゴタラシイ〉屍体を見て卒倒したと、見せかけて自動車で病院に運ぶ、と云う事で裏門を突破する! これ以外に脱出の方策はない。と思うが皆の考えはどうですか?」
 全身の神経を集めて、食い入るように聞いていた三人は、満々たる決意の色を顔に現わし
 「良策です。それで実行しませう!」
 と先ず福田秘書官が力強く云った。青柳、小倉の両人も無条件で賛成して呉れた。
 実行に対する具体的な方法に就いて、微に入り細に亘る、打合せの結果、四人の分担が次の様に決った。
 小坂〔慶助〕曹長――総理が羽織、袴の和服姿では不味い〈マズイ〉、着替のため女中と協力、総理に洋服に着替えて貰い何時でも出られる様に準備を整えて置く、弔門者が遺骸のある部屋に道入った瞬間、総理を玄関に連出し、福田秘書官と協力して「病人だ! 自動車を入れろ!」と呶鳴る。小倉伍長の手配に依る自動車に総理と福田秘書官を同乗せしめて裏門を突破せしめる。
 福田〔耕〕秘書官――官舎に帰って淀橋の総理私邸に電話して、待機中の近親者十名内外、特に六十才前後の老人で男のみを、直ちに官舎に呼び寄せ、小坂の合図に依って、官邸に誘導する。自動車一台を裏門脇に待機させて運転手を必ず車の内に置く、弔門者を裏玄関広間で青柳軍曹に引き継ぎ、一行が部屋に這入ったなら、襖を閉めて直ぐに女中部屋に来て、小坂に協力し総理と一緒に自動車に乗り込み脱出する。
 青柳〔利一〕軍曹――松尾〔伝蔵〕大佐の遺骸のある部屋附近に位置して、屍歩哨を懐柔し、総理の着替のための洋服類を運ぶ、小坂の行動を容易ならしめ、福田秘書官が誘導して来た弔門者を、玄関広間で受け継ぎ、室内に誘導する。焼香の際は死体の傍〈ソバ〉に近か付けないように留意する。死顔は絶対に見せてはならない。焼香は一人宛〈ズツ〉として時を稼ぐ。
 小倉〔倉一〕伍長――表玄関の警戒本部に行って、巡察の時間を偵知した後、裏門附近に位置し、衛兵司令、歩哨、控兵等を懐柔して掌中の者として置く、小坂の「病人だ! 自動車を入れろ!」の呶鳴る声に応じ、裏門外に福田秘書官の準備してある、自動車を直ちに裏玄関車寄せ迄呼び入れる。
 どこが一つ狂っても、重大な結果を生む、緊張した空気が部屋一杯に溢れていた。
 「福田さん! 弔門者ですが、官舎に着きましたなら、どんな事があっても、騒いだり、驚いたりしてはいけない、官邸内の行動は一切憲兵の云う通りに振舞って貰いたいと貴男から充分に注意して置いて下さい。」
 「承知しました。」
 「それから自動車の運転手ですが、若し病人か怪我人でも出来ると困るから、と云う事にして裏門脇に待機するように良く言い含めて置いて下さい。」
 「承知しました。」
 身心共に溶け合って、其の一体となった、打合せは終った。応接間の時計は午後十二時二十分を指していた。決行に先立って、私は姿勢を正し
 「それでは、只今から総理の救出に就て一言したい!
 各自は自分の任務に向って、ベストを尽して邁進する。私は裏玄関附近に位置する。意外の障害の起った場合は、速かに連絡を取る事。以上」
 と、命令句調で達した。悲壮な決意を表に現わし、四人は立上って固く手を握り合い、応接間を出た。
 私も福田〔耕〕秘書官も、今一番頭を悩している事は、最悪の場合、何も知らない弔門者の老人連中を、禍中に捲き込みたくないと云う事である。それを思うと、其責任の重大さを自覚せずにはいられない。矢は既に弦を離れている、愚図々々していられない。先ず自分の任務の遂行である四囲に気を配りながら、女中部屋に這入った。二人の女中は私の姿を認め軽く頭を下げた。安心し切ったと云う態度だった。
 「閣下の着替をして戴くのだが、洋服類は何処にあるのか?」
 「ハイ! 寝室の隣の十二畳間に御座います!」
 「十二畳の何処にあるのか?」
 「ハイ! 左側の押入に御座います」
 と府川きぬえが答えた。
 「私が此処へ運んで来ますから、御手伝いをして閣下に早く着替えて載いて、待って下さい」
  押入の総理にも聞えるように云って、部屋を出た。【以下、次回】

*このブログの人気記事 2021・12・22(10位になぜか松川事件)

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