◎ああ、もう一度ハワイをやる(山本五十六)
昨日の続きである。映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』(東映、二〇一一)では、始まってから一四分ぐらい経ったところで、山本五十六が、海軍次官から連合艦隊司令長官に転じる場面となる。
まず、新聞の売り場が写される。そこには「平沼内閣総辞職/連合艦隊司令長官 山本五十六中将」の文字がある。調べてみると、平沼内閣が総辞職したのは一九三九(昭和一四)八月三〇日、山本五十六が連合艦隊司令長官に就任したのも同日である。
続いて、米内光政海軍大臣(柄本明)と山本五十六が面談する場面。ここで米内は、「命がいくつあっても足らんから、潮風に当たってこい」と言っている。米内は、山本が右派から暗殺されることを心配したのである。
ウィキペディア「山本五十六」の項には、次のようにある。
1939年(昭和14年)8月30日、山本は第26代連合艦隊司令長官(兼第一艦隊司令長官)に就任する。山本は連合艦隊司令長官に任官されることを拒み、吉田善吾が海軍大臣に内定された際、吉田の下で次官として留まり日米開戦を回避出来るように補佐する事を要望して、米内光政に人事の撤回を強く要求したが認められなかった。連合艦隊司令長官就任は采配・指揮能力を買われたものではなく、三国同盟に強硬に反対する山本が、当時の軍部内に存在した三国同盟賛成派勢力や右翼勢力により暗殺される可能性を米内が危惧し、一時的に海軍中央から遠ざけるためにこの人事を行った。
始まってから一時間八分ぐらい経ったところでは、予備役になっている海軍中将・堀悌吉(ほり・ていきち)と山本五十六とが会話する場面がある。時期は、日米開戦から数か月後。
堀悌吉(坂東三津五郎)は、山本五十六に向かって、「真珠湾は失敗だったな」という。山本も「ああ大失敗だった」と認める。
堀は、さらに、「また、やるんだろう」と問う。これに対し山本は、「ああ、もう一度ハワイをやる」と答えている。
映画では、ミッドウェイ海戦は、山本にとって、ハワイ再攻略・占領作戦の前哨戦という位置づけになっていた。しかし、そのミッドウェイ海戦で、海軍は致命的な大敗を喫してしまう。これによって、「もう一度ハワイをやる」計画が潰えたばかりでない。大日本帝国海軍が壊滅し、大日本帝国そのものも破滅に向かうことになった。
この映画は、山本五十六という人物を、三国同盟に強く反対し、日米開戦後も「早期講和」を目指していた軍人として、好意的に描こうとしている。その意図は、よくわかった。しかし、映画を観おわって感じたのは、山本五十六の責任と罪は重いということであった。ハワイ攻略、ハワイ再攻略という構想そのものに問題があったのであり、山本のこの構想が、結果として、日本を破滅に導いたのではなかったか。
明日は、話を「岡本綺堂」に戻す。