昨日からは七十二候の一つ『綿柎開(わたのはなしべひらく)』です。
綿柎開とは綿を包む柎が開き始める頃。
綿柎開とは綿を包む柎が開き始める頃。
柎とは花の萼(がく)のこと。
柎が開き始めるとふわふわとした綿毛が中からとび出してきます。
この綿毛をほぐし綿の糸を紡ぎます。
育てたことも見たこともないのでネット検索してみました。
綿の花はこんな花なんです。
ハイビスカスいやオクラの花にも似ていますね。

この可愛い花は翌日ピンク色になって萎んでしまいます。
花が落ちると子房がふくらんで緑色の固い実がどんどん大きくなり、
やがてはじけて中からふわふわのコットンが顔(お尻?)を出すのです。
その様子がこれ。

日本の綿栽培は平安時代に三河国へ漂着したインド系の青年が種子を持ち込んだのが始まりといわれます。
ペルーやインドではそれぞれ紀元前2600年頃すでに行われていたのに、
中国・朝鮮・日本などではかなり遅れて10世紀以降とされます。
年代については諸説あるがはっきりしているのは、
「コットンの普及が日本の庶民の生活を劇的に、まったく劇的に変えた!」という事実です。
それ以前は富貴な人は軽くて温かい絹の服を着ることができたが、
それ以前は富貴な人は軽くて温かい絹の服を着ることができたが、
貧しい庶民は真冬でも素肌に麻や樹皮でつくった服を着るしかありませんでした。
こんなことも書いてありました。
万葉歌人・山上憶良の『貧窮問答歌』には、
袖のない麻の服をありったけ身につけ、
藁をぱらぱら敷いた土の上に直に寝る様子が歌われています。
寒さのために病気にかかって亡くなる人がとても多かったといいます。
そんな厳しい寒さと闘う民に、
そんな厳しい寒さと闘う民に、
恵みのようにもたらされたコットン。
温かくて丈夫で肌触りが良く洗うほどになじむ布・・・どれほど人々を癒し、心にやすらぎを与えるぬくもりだったことでしょう!
富む者だけでなく貧しい者の肌まで覆うことができる木綿は、
富む者だけでなく貧しい者の肌まで覆うことができる木綿は、
「衣食住」の根幹を変えたのです。
だから先人たちは敬愛と感謝をもつため七十二候に載せているんですね。
大事に木綿を着よう。
< 凍えし民救いし綿につつまる >