集団塾であろうと個別指導塾であろうと、伸びる子は伸びますし、伸びない子は結局どこでも伸びません。
そういうと身もふたもないようですが、全てとは言わないまでも、一定程度、これは真実です。
では、その境はどこにあるでしょうか。
言い方は様々ですが、一つには最低限の主体性があるかないかによります。
末っ子によく見られますが、わがままを許されて育ってきた子は、苦手な科目や単元に臨むに際して、すぐにへこんだりふて腐ったりしがちであることが少なくなく、その瞬間主体的に苦手に立ち向かうことを自ら放棄してしまいます。
こういう状態でも、学習塾の側としてはベストを尽くして、その場でできることを最大限の努力でもって行うものですが、そうしてその場で理解するに至った単元も、それが決して生徒自らの主体的努力で獲得したものではないことに気づきません。
むしろ、ちょっと頑張ったら簡単にできるじゃないか、などと安易に考えることも珍しくなく、そこで事の本質を分かろうとしない限り、その後が同じように順調に進むことは期待できません。
主体性というと大げさに聞こえるかもしれませんが、そんなに大した話ではありません。
勉強は誰のためにやっているのかをちょっとでも自分の頭で考えることさえできるなら、それを受け身でやり続けてよいのか、それとも少しは自分の努力で立ち向かわなければならないかはすぐにわかるはずです。
わからないなら、それはもうどうしようもないですね。
上記は、とある学習塾の集まりにおける「生徒の主体性に関する考察」討議の議事録の一部です。