前回「出来る親⇒出来る子」、「出来ない親⇒出来ない子」の連鎖の構図について書きました。おそらくは多くの人がこれについては大した根拠もなく漠然と同じように感じてもいるのではないかと思います。
高学歴の親の子は高学歴になりがちですし、その反対も漠然とではあってもやはりあるようだということは色々なところで言われてもいます。高学歴の人の多くが高い所得水準であって、子供を高学歴にするんはそのことが非常に重要な要素であるということも言われています。
高学歴や所得水準の高さに人間としての根源的な価値があるのかどうかということは横に置いて、こうした傾向からは、子供に高いものを要求するには、まずその親自身が高い立ち位置に立っていることが大切だということがわかります。
私の立場で思うことに、このことが二の次にされているというか、そもそも最初から歯牙にも書けていない人が少なくないことの危惧があります。
そういう人はそういう人なりの考えがあってそうしているのかもしれませんが、子供に高いものを求めるに当たって的外れなこともそこには多々あったりします。ここはまず無条件に「出来る親」ならこの場合何をどうするかを考えて事に当たるのも必要ではないかと思います。