親の立ち位置を自省してみる

2022-12-10 18:26:22 | 学習塾・勉強の仕方

前回「出来る親⇒出来る子」、「出来ない親⇒出来ない子」の連鎖の構図について書きました。おそらくは多くの人がこれについては大した根拠もなく漠然と同じように感じてもいるのではないかと思います。

高学歴の親の子は高学歴になりがちですし、その反対も漠然とではあってもやはりあるようだということは色々なところで言われてもいます。高学歴の人の多くが高い所得水準であって、子供を高学歴にするんはそのことが非常に重要な要素であるということも言われています。

高学歴や所得水準の高さに人間としての根源的な価値があるのかどうかということは横に置いて、こうした傾向からは、子供に高いものを要求するには、まずその親自身が高い立ち位置に立っていることが大切だということがわかります。

私の立場で思うことに、このことが二の次にされているというか、そもそも最初から歯牙にも書けていない人が少なくないことの危惧があります。

そういう人はそういう人なりの考えがあってそうしているのかもしれませんが、子供に高いものを求めるに当たって的外れなこともそこには多々あったりします。ここはまず無条件に「出来る親」ならこの場合何をどうするかを考えて事に当たるのも必要ではないかと思います。


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車内の会話から

2022-12-10 12:58:54 | 学習塾・勉強の仕方
普通でいることはそんなにおかしいことでしょうか?難しいことでしょうか?最近よくそんな風に思うことがあります。

身近なところでは、子供に「死ね」など、信じられないメールを平気で送り付ける親。大人のクセに「キモい」とか「なのでー」とかの幼児語を多用する人。  

3日坊主どころか3分も集中出来ない子。
遅刻せずに来ることが出来ない子。

ネットを見れば、屁理屈をこねて学校にも行かず、他人の金で旅行していい気になっている発達障害気味の中学生と、これに輪をかけてアホみたいに悪態ばかりついているその親や、「しっかりしっかり」ばかり連発して決断も実行も出来ない貧乏神みたいな総理大臣の陰気臭い顔が繰り返し登場とくる。

これが「普通」なのでしょうか?

たまたま乗った根岸線の中で耳にした会話のひとこまです(泣)。
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「出来る出来ない」の連鎖はあるのか?

2022-12-10 10:32:33 | 学習塾・勉強の仕方
今回は読み方によって多少刺激的なことを書きます。

最近、立て続けに質的な意味で高学歴な人の子供が県内トップの難易度を長年維持している学校にさしたる苦労も感じさせずに合格しているのに出会いました。

途中経過的説明は省きます。
所謂頭の良い人の子供が難易度若しくは偏差値が低いと揶揄される学校に進むことは希にありますが、その反対にそういう境遇の子が難関校に進むのは全然珍しいことではありません。

頭のそれほど良くない(とおぽしき人)の子供が難関校に進むことは希に見られる反面、その子が低いといわれる学校に進むのはわりと頻繁に目にします。

現象としてみられることを書いているだけで、これらを科学的に分析しているわけでも、統計をとっているわけでもありません。むしろ、極めてシニカルで悪意すら感じられもする見方かもしれません。

でも、このようにみられることに(上でも書いたような)例外もあるものの、その上で尚みられる現実の現象とその理由には多少なりとも関心を持たせるものはありますので、目下これを論じる本やサイト等を探しており、見つけられたら勉強して仕事の場で前向きに活かして行きたいと思っています。
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