アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

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小選挙区制の弊害

2009年06月29日 13時02分21秒 | 二大政党制よりも多党制
 「在特会」関連記事の後は、ブログ記事が、ついつい身辺雑記を中心としたものに、流れてしまっていました。それもこれも実は、マスコミが流す政治関連ニュースが、どれもこれもアンマリなものばかりなので、少々シラけてしまっていたというのが、正直な所です。
 東国原の件一つとってもそうでしょう。あんな淫行ウヨク知事にすがり付くしか能の無い自民党も自民党なら、自分の損得勘定で動いているだけなのに、まるで自民党を手玉に取ったつもりでいる思い上がり知事も知事だし、そんな人物を救世主に仕立て上げようとしているマスコミもマスコミです。
 しかし、そんな事で政治への関心が萎えてしまったら、それこそ「敵の思う壺」。そこで今回から、再び政治関連中心の話題に戻す事にします。

 少し前に、国会議員の定数削減がニュースになっていました。「この世界的不況下で、庶民が痛みに耐え、そろそろ増税も已む無しと考え始めている折に、自ら率先垂範して身を削らなければ、一体誰が着いて来るだろうか?」と勝手にこじつけて、「衆院比例区定数80削減」やら「衆参合体して一院制に」やらの主張を、自民党も民主党も掲げました。そして、その少し前には、「世襲制限」という事も言っていた様に思います。「昨今、親の七光だけで当選してきた二世・三世議員が、余りにも多くなり過ぎたので、世襲制限を掛ける必要が出てきた」と。
 もうアホかと思いますね。そもそも、そんな苦労知らずで人の痛みも分からない、麻生・安倍みたいな二・三世のバカボンや、ネットウヨク程度の知能しかない電波芸者が増えたのは、一体何処に原因があるのでしょうか。小選挙区制こそ諸悪の根源である事ぐらい、少し考えれば直ぐに気が付きそうなものを。それを、自分たちの政治家特権の大元を為す小選挙区制には頬かむりしたまま、その弊害緩和作用をまだかろうじて果たしている比例区定数や参議院の方を削減・廃止しようと言うのですから、厚顔無恥も甚だしいという他ありません。

 小選挙区制が如何に酷い制度であるか、身近に感じる事が出来た事例を、ここで二つほど紹介しておきます。
 その一つは、職場の同僚N君の出身地である鹿児島県徳之島の例です。当地では衆院中選挙区時代から、定数1の事実上の小選挙区制下で、「保徳戦争」の骨肉の争いが繰り広げられて来ました。
 地場産業と言えば一次産業・観光の他には公共事業しかない土地柄の中で、N君の親父は徳田陣営の一員として、「選挙キチガイ」(N君)の如く奔走していたようです。それに対する反発もあって、N君は政治に無関心になったのだとか。しかし、島の郵便局が無くなると聞いて、前の郵政選挙では初めて野党に投票したのだとか。そのくせ、現首相の名前も知らず、「別に自民党でええんちゃうん」とか平気で言ったりもするので、どこまで本気で言っているのか疑問に思う節もあるのですが。

 もう一つは、テレビ番組「NHKスペシャル」で見た、インド総選挙のルポです。英領時代から受け継いだ小選挙区制の下での選挙戦の様子を取材していました。カースト制度が根強く残り、経済自由化政策の下で格差も拡大する中で、支持基盤の最下層カーストだけの票に止まった野党の地域政党に対して、貧困対策を打ち出して全貧困層から満遍なく集票出来た与党の国民会議派が勝利した。これぞインド民主主義のダイナミズム。そういう番組構成でした。
 しかし、私は途中からその番組を見ていたものの、与野党とも公約は単なるバラマキにしか過ぎず、その中で、ガンジー一族御曹司とカリスマ女帝の地域ボス同士が対決する、そういう構図でした。これでは民主政治というより単なる衆愚政治ではないか。こんな政治風土の中では、いつ何時、ヒンズー教右派による大衆扇動で、インドがパキスタンとの核戦争対決の道にも乗り出しかねない、そういう懸念すら持ちました。

 そもそも、小選挙区制導入の口実とされた、「比例区での民意の反映とは別に、小選挙区で民意の集約を図る必要がある」などという、一見さも尤もらしい主張にしてからが、眉唾モノです。
 「民意の集約」なんて言いますが、「保徳戦争」やインドの選挙に見られるバラマキの中で、一体どっちを選べというのでしょうか。保岡・徳田にしても、御曹司・女帝にしても、どちらも田舎紳士(淑女)の似た者同士が、選挙の時だけ、人々の頭の前に人参ぶら下げているだけではないですか。しかも「保徳」に至っては、とうに両者間で手打ちが為され、今やどちらも郵政民営化推進の立場だと言うではないですか。そんな無意味な踏み絵に踊らされた挙句に、それが「民意の集約」だなんて言われたのでは、堪りません。
 「殺されるのと犯されるのと、どっちを選ぶ」なんて言われて、仕方なく犯される方を選んだら、それが民意になるのとでも言うのでしょうか。「殺されるのも犯されるのも嫌だ」以外に、一体どんな民意があるというのでしょうか。しかし、選択肢は、殺されるかレイプされるかしかないのです。こんな理屈で行けば、幾らでも民意を捻じ曲げる事が出来ます。

 得票率51%、有権者比ではたかだか20~30%程度の票で、簡単に議席を乗っ取る事が出来てしまう。後には膨大な死票の山しか残らない。
 市町村単位の狭い選挙区の中では、地盤(組織)・カバン(金)・看板(知名度)だけがモノを言う。勢い、利権漁りと損得勘定だけに秀でた田舎紳士ばかりが衆議院に進出し、そういう政党だけがのさばり返るようになる。一旦そういう政治の仕組みが出来てしまうと、小選挙区制ではない参議院や地方議会も、大なり小なりその影響を受けざるを得なくなる。
 地盤・カバン・看板を持たない名も無き庶民は徹底的に政治から排除され、似たような田舎紳士政党同士の取引・駆け引き・鞘当て・揚げ足取りだけが、恰も政治の全てであるかの様に語られる。そこに看板(知名度)だけで当選してきた、知能はピーマンかネットウヨか田舎紳士と同程度でしかない芸能人も時々加わり、恰もそれがアンチ田舎紳士の象徴であるかの様に持てはやされる。劃して、ワンフレーズだけで中身の無い小泉郵政選挙や、橋下・森田圧勝劇が準備される。

 その結果、政治への無関心が更に酷くなり、投票率は年々低下の一途を辿る。偶に上がっても、それは芸能人候補がポット出てきた時だけ。国民の監視が行き届かなくなり、益々政治家は勝手放題に振舞いだす。公務中の酩酊然り、愛人の公舎囲い然り。
 そんな政治の在り方が問題になればなったで、そこでも問題の摩り替えが行われる。金権是正が選挙定数削減の問題に、高級官僚の天下り・放蕩が官公労の責任に、巧妙に摩り替えられる。利権議員の温床たる小選挙区は無傷のまま、比例区削減だけが殊更問題にされ、郵政族・厚生族・防衛族の跋扈は大目に見られる一方で、カラ専従だけが槍玉に挙げられる。いずれもマッチポンプによるガス抜きの典型的な手口です。
 そうして、諸外国と比べてもそう多くない議員定数の、それも弊害緩和作用を果たしている比例区定数削減だけが強行され、益々政治に民意が反映しなくなる。その一方で、議員歳費や議員年金、政務調査費や政党助成金などの掴み金には頬かむり。寧ろ、議員定数削減よりこちらの方こそ、焦眉の問題である筈なのに。

 議員歳費を減らし利権の旨味を無くして、政治家は井戸塀になる事も甘受させた上で、尚且つそれでも議員に立候補する人が増えれば、議員定数は逆に増やすべきではないのか。幾ら議員定数を減らしても、それで手弁当の井戸塀議員が減って田舎紳士ばかりになってしまったら、自分で自分の首を絞めるようなものではないか。議員が少なければ少ないほど良いと言うのであれば、一層の事、国会なぞ全部無くしてしまって、日本も北朝鮮やサウジアラビアみたいな国にすれば良い。しかし、それではもう、主権在民や民主主義であるとは言えないのではないか。

(参考)
・世襲政治の問題の本質はなにか-小選挙区制が事態を悪化させている(1~5)(児玉昌己研究室)
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1798
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1800
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1801
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1803
 http://masami-kodama.jugem.jp/?eid=1806
・百害あって一利なしの「比例区定数削減」にこだわる民主党(きまぐれな日々)
 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-914.html
・議員定数削減を企業の人減らしにたとえてみる(村野瀬玲奈の秘書課広報室)
 http://muranoserena.blog91.fc2.com/blog-entry-1287.html
・アメリカ大統領選挙の本質と秘密
 http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/kichi-ido/mki-38.html
・奄美群島選挙区(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%84%E7%BE%8E%E7%BE%A4%E5%B3%B6%E9%81%B8%E6%8C%99%E5%8C%BA
・インドの衝撃 第二回 世界最大の選挙戦 貧困層が国を動かす(NHKスペシャル)
 http://www.nhk.or.jp/special/onair/090531.html
コメント (4)
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チンコの罪でタイーホ!

2009年03月21日 22時33分35秒 | 二大政党制よりも多党制
 西松献金事件のニュースが、引き続き世間の注目を集めています。このニュースについては、私も、既に「仏ではブサンスノーなのに、日本では小沢かよ」と、「小沢民主党美化の行き着く先をイタリアに見る」の、2つの関連記事をアップしています。ところで、この2つの記事ですが、既に付属のコメント欄でも少し触れましたが、実はミクシイでの議論がベースになっています。ここでは、その議論の中身についても、少し書いておこうと思います。

 ミクシイでの議論は、ミー猫さんというマイミクさんの、下記要旨の書き込みから始まりました。
 
●当該事件については、小沢一郎の公設第一秘書が逮捕された事で、総選挙を前に民主党の人気失墜を狙った国策捜査・政治謀略の疑惑も浮上しており、その影響もあってか、左派系ブログのうちの少なからぬ部分が小沢擁護に回っているが、何をか況やだ。そもそも小沢こそが、かつて自民党幹部として、田中角栄譲りの金権政治を推進した張本人ではないか。

●ここで、単純な「小沢叩き」や、その反対の単純な「小沢擁護論」に流されてしまったのでは、事件の本質を見失ってしまう事になる。そうではなくて、企業・団体献金や、その元凶たる自民・民主の保守二大政党による政治支配の在り方こそが、問題とされなければならない。

 このミー猫さんの書き込みは、私とも意見を同じくするものでした。それで、ミー猫さんの書き込みに触発されて、私も先述の2つのエントリー記事を、自分のブログにアップしたのです。

 その後、ミクシイでも、ミー猫さんの書き込みに対して、数多くのコメントが寄せられました。3月8日の当初の書き込み以降に、付いたコメント数が先日時点で既に92件に達している事からも、この事件に対するネットユーザーの関心の高さが伺えます。その中で、ミー猫さんや私の意見に対して、ある方から下記趣旨の反論が為されました。

●今回は、あくまでも権力による恣意的な国策捜査のあり方が問われているのだから、小沢ではなく権力を批判するのが筋である。確かに、小沢も自民党と似たり寄ったりの人物だけれども、だからといって、国策捜査の標的にされて良い訳が無い。この事件は、小沢民主党の体質問題とは、別個に考えるべき。

 そこで、両者の間で議論が続いたのですが、先方の実際の反論が少々べらんめえ調だった事もあり、議論が少し高じてしまい、とりわけ私との間では、一時は下記の如く、下ネタまで登場しての応酬になってしまって・・・。

●小沢は、確かにちんこ出して道歩いてるようなおやじやけど、他にもちんこ出してる奴がおるのに、小沢だけが標的になるのはおかしいというてるわけや。単純なこっちゃ。(ある方からの反論の書き込みより)

●小沢が、自分もちんこ出したままで、いくら「他にもちんこ出してる奴がおるのにおかしいやんけ」と怒っても、自分のちんこを引っ込めん限り、第三者からすれば「どっちもどっち」にしか見えん、全然説得力が無いと、いうてるわけや。
 謂わば、靖国右翼が、いくら過去の西欧によるアジア植民地化の不当さを論った所で、日本自身によるアジア植民地化の非を認めん限り、他の第三国や当のアジア民衆からすれば、「どっちもどっち」にしか見えんと言うのと、全く同じ理屈や。単純なこっちゃ。(それに対する私の再反論)

●小沢は、「これは法律で認められたちんこの出し方や」と言うてるわけで、おれらとしては、「それでもちんこはしっかり出てる」し、小沢らが「自主的に引っ込める可能性はない」ということだけ、押さえとけばええねん。
 そのうえで、ここまであからさまな権力の濫用を、(小沢のちんこやからと言うて)どっちもどっちやと放っておいたら、出てへんこっちのちんこまで引っ張り出されて、出てたことにされるのが恐ろしいのよ。(それに対するある方からの再々反論)

 その中で飛び込んできたのが、大阪府門真市の戸田ひさよし市議への公民権停止のニュースでした。
 戸田議員について少し説明しておくと、この方は革新系の無所属市議で、議員の他に労組の役員(連帯ユニオン近畿地方本部の執行委員長)も兼任しています。この人の、アクの強さや、歯に衣着せぬ言動ぶりは、つとに有名だそうで、まあそういう議員さんです。
 その人が、2005年に、小沢氏のケースと同様に、政治資金規正法違反容疑で逮捕されました。その後、戸田氏は議員を続けながら、当該容疑については司法の場でずっと争ってきたのですが、この前の最高裁への上告棄却で、とうとう刑が確定してしまい、この3月23日を以って議員を失職してしまったのです。

 その政治資金規正法違反容疑の中身というのが、次の2点です。一点目が、労組内で集めた戸田氏への90万円のカンパが、違法な団体献金だとするものです。そして二点目が、労組役員としての報酬(月額20万円)が、これまた違法な政治献金だとするものです。詳しくは、下記の参考資料をご覧下さい。

・門真市でも「政治資金規正法」悪用し市議逮捕(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/government/0903/0903159406/1.php
・戸田ひさよしの自由自在HP
 http://www.hige-toda.com/

 私がこのニュースを見て思った事は、確かに一点目の容疑については、私もこれでは、違法認定されても仕方がないとは思いました。たとえ、その内実はどうであれ、労組ぐるみ選挙での資金集めの形になってしまったのは、事実なのですから。この場合は、労組内で有志が後援会を立ち上げるなりして、あくまでも、大衆団体としての労組とは別の形で、有志による個人献金として、政治カンパを募るべきだったとは思います。二点目の容疑については、これは当たらないと思います。労組役員としての報酬の、一体何処が政治献金に当たるのか、私にもさっぱり分かりません。

 しかし、そうは言っても、たかだが90万円のカンパでしょう。貧乏な労働者が、政治を少しでもよくしたいと思って、なけなしの給料から差し出したカンパでしょう。それを、確かに法手続き上に不適切な点はあったかもしれませんが、いきなり逮捕までするのは、少々荒っぽすぎやしませんか。
 過去には、ロッキード事件やリクルート事件、佐川急便事件などで、とかく噂に上りながらも、逃げ覆せた金権政治家も多数存在し(この中には当時与党の側にいた小沢自身も含まれる)、それどころか、法相の指揮権発動で逮捕を免れた元首相(1954年の造船疑獄の際に、当時与党幹事長だった佐藤栄作)すらいる中で、何故戸田議員だけが、これぐらいの金額で逮捕されなければならないのか、という気持ちもあって、何か釈然としないものを感じます。

 若しこんな理屈が通ってしまう様なら、極端な話、立ち小便をしただけで捕まってしまっても、何も文句が言えなくなってしまいます。厳密に言えば、立ち小便も、軽犯罪法に抵触する犯罪行為ですから。しかし現実には、立ち小便の一度や二度ぐらい、誰でもした経験があるでしょう。
 また、そんな事を言い出したら、上記の私の「チンコ」云々の書き込みですら、「公序良俗に反する」とかいう口実で、ミクシイやブログの投稿規程を盾に、削除されてしまう恐れがあります。しかし、実際にそんな運用をされたのでは、私としては、堪ったものではありません。幾ら自分も悪いとは言え、先に「チンコ、チンコ」と言い立ててきたのは、あくまで反論者の方じゃないですか。それが何故、反論者は一切お咎めなしで、私だけが処分されなければならないのか・・・となるのは、人情ではないでしょうか。

 更に怖いのは、今はまだ「チンコ」表現で公序良俗違反のレベルで済んでいるのが、それをそのまま放置しておくと、やがて風俗とは似ても似つかない政治的表現すらも、風俗紊乱とかで、適当に口実をでっち上げられて、封殺の憂き目に遭う・・・という事も、可能性としてはあるのではないでしょうか。

 要は、此処で何が言いたいかというと、小沢民主と麻生自民という、双方金に塗れた汚い政治家同士の泥仕合で、一方だけに肩入れして他方を貶めるだけの不公平なやり方には勿論与すべきではないし、双方とも茶番だという事はきっちり押さえておかなければならないのだけれど、それとは別に、金権とは凡そ縁の無い庶民といえども、いつ金権批判を口実に冤罪をでっち上げられるかも知れないという事も、頭の片隅には入れておいた方が良い、という事です。
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小沢民主党美化の行き着く先をイタリアに見る

2009年03月10日 23時47分37秒 | 二大政党制よりも多党制
   
 
   

 最近のネット世論の一部に見られる、反自民の勢い余って小沢・民主党を過剰に美化する傾向や、よりマシな(又は勝てる)候補者に投票する風潮とも関連して、ここ数年来のイタリア国内政治の動向について、先日から調べ始めています。

 イタリアでは、昨年2008年4月の総選挙で、中道左派連合が下野して、右翼のベルルスコーニが再び首相にカムバックしてしまいました。しかも、それだけではなく、イタリア共産党解体以降も一定の基盤を有していた国内左翼諸派(共産主義再建党など)が、国会の全議席を失うという事態になってしまいました。かつて共産党の金城湯池であった北イタリアのエミリア・ロマーニャ州などは、今や極右・北部同盟の地盤と化していると言います。
 その事態に対する、私の今までの理解は、単に「再建党も、結局は、旧イタリア共産党や、今のフランス共産党と同じ道を歩んでしまった」程度の認識でした。「確かに、それは旧日本社会党が辿った道とも瓜二つ」だが、「それでも腐っても鯛」で、「日本とは違い、パルチザンやユーロコミュニズムの輝かしい伝統を有する国において、そう簡単に左翼が自滅する筈が無い」「昨年の敗北は何かの番狂わせに過ぎない」と思っていました。
 しかし、調べ始めていくと、とてもそんな程度の認識では済まない事が、徐々に分かってきました。「これは今の日本の、我々の問題でもあるのではないか」と、今では考え始めています。

 私が、何故そこまで考えるに至ったかと言うと、
 まず第一に、90年代の日本とほぼ同じ時期に、イタリアでも政治腐敗が問題になり、それが選挙制度の問題に摩り替えられて、それまでの比例代表制から、今の日本と同じ様な選挙制度に改悪された事、
 第二に、それと同時進行で、イタリアでも日本と同様に、歴史修正主義の風潮が次第に台頭し、それが今のフォルツァ・イタリアや北部同盟の「興隆」につながっている事、
 第三に、同時期におけるイタリア共産党の解体前夜の体たらくが、右派との妥協・大連立志向や、新自由主義容認の姿勢において、今の日本の民主党と瓜二つであり、また、今の日本共産党の資本主義批判のある種の「曖昧さ」(所詮は資本主義の枠内での格差社会批判に止まる)にも通じるものがある事、
 第四に、同時期にイタリアで進行した世論の変容(右傾化、治安強化容認、移民排斥、劇場政治・ポピュリズムの席巻)が、同時期の日本のそれと酷似している事、の四点で、余りにも今の日本とよく似ているからです。

 勿論、日本との違いもあります。それはプラス・マイナス面それぞれあります。プラス面としては、少なくともイタリアやフランスでは、日本の様な形での反共の壁は無く、共産党が野党共闘から排除されなかった事が挙げられます。マイナス面は、その事がこの場合は却って仇となって、共産党が中道左派・右翼社民や保守反動とも妥協を重ね(旧日本社会党の場合とも酷似)、現在の左翼衰退につながってしまった事です。
 日本の政治的後進性を批判する場合に、それとは対照的な海外の先進事例として、フランスの反資本主義新党や、ドイツ左翼党、南米左派の躍進ぶりが、よく取り上げられてきました。事実、私自身も、ブログなどの場で、折に触れて言及してきました。それと同様に、イタリアにおける左翼後退事例も、日本における他山の石として、もっと検討されて然るべき重要な問題を孕んでいるように思われます。

(参考資料1) ※追記資料有り。

・【外信コラム】イタリア便り 2大政党時代到来?(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/world/europe/080420/erp0804200240000-n1.htm
・イタリア総選挙の結果を考える(グラムシ研究者・小原耕一氏の論考)
 http://members3.jcom.home.ne.jp/sada.m/italiasousenkyosoukatu.html
・岐路に立つイタリア左翼とアクチュアル・グラムシ(同上)
 http://members3.jcom.home.ne.jp/sada.m/obara08.10.html
・読者より:イタリアの2008年4月上下院選挙結果について(私にも話させて)
 http://watashinim.exblog.jp/7978421/
 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-3.html
・共産主義再建党(ウィキペディア)
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E5%86%8D%E5%BB%BA%E5%85%9A
・イタリアの左翼
 http://www.geocities.jp/stkyjdkt/italia.htm
・やそだ[EU&イタリア]総研
 http://www31.ocn.ne.jp/~yasodasoken/index.html
・4月総選挙、イタリア政治基礎知識2008(All About)
 http://allabout.co.jp/contents/secondlife_tag_c/politicsabc/CU20080212B/index/
・イタリア総選挙(ヴェネツィア ときどき イタリア)
 http://fumiemve.exblog.jp/7009065/

(参考資料2)
2008年イタリア総選挙の結果
前記・小原氏の論考から引用)

●下院(定数630)の党派別得票数・議席数(括弧内は増減)
ベルルスコーニ連合(自由国民+北部同盟など)
--------------17,063,874票--46,81%(+4,51)--344議席(+102)
ヴェルトローニ連合(民主党+価値あるイタリア)
--------------13,686,673票--37,54%(+4,05)--246議席(+ 9)
中道連合--------2,050,319票--5,62%(-1,13)--36議席(- 3)
左翼「虹」連合----1,124,418票--3,08%(-7,10)--0議席(- 72)
右派‐三色旗の炎---885,229票--2,43%(-)--0議席(-)
社会党-----------355,581票--0,98%(-1,91)--0議席(- 18)
以下引用略

●上院(定数315)の党派別得票数・議席数(括弧内は増減)
ベルルスコーニ連合
--------------15,507,549票--47,32%(+3,74)--174議席(+ 39)
ヴェルトローニ連合
--------------12,456,443票--38,01%(+7,26)--132議席(+ 23)
中道連合--------1,866,294票--5,69%(-0,95)--3議席(- 18)
左翼「虹」連合----1,053,154票--3,21%(-8,12)--0議席(- 38)
右派‐三色旗の炎---687,211票--2,10%(+1.47)--0議席(+- 0)
社会党-----------284,428票--0,87%(-1,94)--0議席(-)
以下引用略

(注)旧イタリア共産党は、左翼民主党への改組を経て、最終的に民主党に合流。共産主義再建党は左翼「虹」連合の、右翼のフォルツァ・イタリアはベルルスコーニ連合を構成する「自由国民」の、それぞれ一員として選挙戦を戦った。
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仏ではブサンスノーなのに、日本では小沢かよ

2009年03月08日 20時55分20秒 | 二大政党制よりも多党制
  

 西松建設の政治献金問題が、連日マスコミを賑わしていますが、その取り上げられ方が、如何にもワンパターンで。まるで「お前らにはこの程度の報道でお似合いだ」と言わんばかりの、人を小バカにした様な姿勢が透けて見えて、最近では関心が急速に萎えてきていました。

 新聞を開けば、やれ「小沢が西松に献金を催促した」の、「小沢への献金額が突出している」だの、小沢バッシングばかりの内容で。これは、特に産経新聞にそれを強く感じます。
 それでもここ最近は、献金が小沢民主党だけでなく、自民党の二階俊博や尾身幸次、森喜朗らにも及んでいる事にも、ようやく言及するようになってはきたものの、漆間官房副長官による「自民党には捜査が及ぶことは無いだろう」という、国策捜査を臭わせる様な発言に対しても、追及の論陣を張らずに、恰も小沢・麻生個人のバトルの様に捉えて、面白おかしく書きたてているだけで。

 また、その様なマスコミの姿勢に対して、左派・リベラル系ブログはと言うと、その少なくない部分が、国策捜査への懸念が先走る余りに、逆に小沢を過度に美化し、まるで「小沢・民主党に日本の民主主義の命運が託されている」みたいな捉え方をされるのでは・・・。
 企業・団体献金なんて、100%賄賂目的に決まっているのに、何も詮索せずに「ごっつぁんです」と戴くような人や党に、民主主義の命運なぞ、私はとても恐くて託せません。やはり自民党の元幹事長だけあって、経世会の血は争えないというか、田中角栄の頃から何も変わっていないというか。
 しかも、小沢は今までも、福田・自民との大連立や、アフガン・ソマリア派兵や、「自立を装っての更なる対米従属」を主張するなど、その本質においては、自民党と全く同じであるのは、誰が見ても明らかなのに。

 今回の事件で、自民党が、下手すれば自分たちも返り血を浴びる可能性が充分あるにも関わらず、案外安穏としているのも、そういう小沢・民主党の弱点を、彼らなりに熟知しているからではないでしょうか。
 自分たちと同じ土俵で闘っている限り、彼らにとっては、結局は「卸し易い相手」でしかない。だから、仮にそれで二階・尾身・森にも累が及ぶデメリットがあったとしても、それよりも、小沢を窮地に追い込んで民主党を混乱に陥れる事で得られるメリットの方が、遥かに大きい、と。自民党にとっては、一番大事なのは、何が何でも政権を維持して米国と財界に尽くす事であって、所詮その前では、二階や尾身なんて捨て駒で、森も過去の人にしか過ぎませんから。

 しかし、だからと言って、単純に「どっちもどっち」と言って、切り捨てる気もないけれど。私も、今回の事件に対しては、国策捜査の疑惑を払拭する事が出来ません。何故ならば、今回の事件は、少なくとも小沢代表に関しては、違法性だけに限って見れば、所詮は政治資金規正法というザル法の、記載方法を巡る問題にしか過ぎないものでした。捜査対象が自民党の大物なら、修正申告や追徴課税だけで済ます可能性も充分ありました。それが、総選挙も近いこの時期にここまでやるのは、偏に政権交代が取りざたされる野党第一党の党首だからではないでしょうか。

 だから、国策捜査の疑いを徹底的に晴らすという、その一点に限って、私は小沢代表の言う事も、尤もだとは思います。しかし、肝心の当事者である小沢自身が、前述の「ごっつぁんです」・金権体質や、イデオロギー・政策面での「親自民」体質を払拭出来ない限り、はっきり言って、勝ち目はありません。
 こんな「第二自民」には誰もついて来ないでしょう。肝心の小沢自身が、金を積まれて自民党に寝返られたら、それで終わりです。その挙句に、追従した人間だけが最後にバカを見るのでは、余りにもアホらしいですから。

 西松献金問題の本当の問題は、企業・団体献金や政党助成金で、財界や国家権力によって雁字搦めに支配されている、今の日本の政治や政治家の在り方にこそ、あるのでしょう。そして、そんな金権・利権塗れの政治家や、金に物を言わせてマスコミをも支配下に置く事の出来る政治家しか、当選できない小選挙区制・保守二大政党制こそが、諸悪の根源でしょう。そこまで小沢が認識出来てこそ、初めてそれを打ち破っていく展望も生まれてくるのです。そうしてこそ、国民も、これを単に一政治家や一政党だけの問題ではなく、日本の民主主義の命運がかかった問題として、捉える事が出来るのです。

 しかし、自民党は言うまでもなく、民主党・小沢も、大手マスコミも、一切その気はないし、そもそも、そんな事は出来ない。党収入の8割以上を企業・団体献金と政党助成金に依存する中では、財界にも物申すなんて絶対に無理です。そんな事が出来るくらいなら、今頃はとっくに、民主党なんかではなく、共産党の委員長に納まっているか、フランスのNPAみたいな新党を立ち上げています。
 その一方で、国民の目や野党第一党としての手前もあるので、余り露骨な御用路線は取れない。それ位は小沢にも分かります。しかし、小沢を突き動かしているのは、基本的には政権欲でしかない。革命や革新のビジョンなんぞ、ハナから持ち合わせてはいない。彼が、最近は格差社会批判を口にし、時として社民的な政綱を掲げたりするのも、あくまでその時々の打算や損得勘定に沿って、そうしているだけにしか過ぎません。だから、所詮は、同じ土俵での「目くそ鼻くそ」の闘いしか出来ない。

 それでも、「国策捜査を許さない」の一点で、小沢民主党を「戦略的に支援」する局面も、場合によっては在りでしょうが、それが高じる余り、「ミイラ取りがミイラになる」事だけは、絶対にあってはならないと思います。所詮、小沢は小沢でしかなく、ブサンスノーとは、全く非なるものでしかないという事だけは、絶対に忘れてはなりません。
 日本における政治・社会の民主化を図る立場からすれば、企業・団体献金や政党助成金、小選挙区制・保守二大政党制を打ち破る事こそが、一番大事な事であって、小沢・民主党への評価も、あくまでも、その立場に沿ったものでなければならない筈です。

(関連・参考記事)

・お笑い大連立
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/0da3c28abadd715db418b86c026d080b
・ピンチとチャンスは紙一重
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/ad365b04f47f41073cf41ddd914803eb
・この際、民主党解体まで突き進めば良かったのに
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/399c9e7b5522c582bdd104fd91797f7d
・大連立騒動以降の民主党をどう見るか
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/5c90fb59e53ebeb40b93af3d58b4f970
・[AML 24916] Re: 《緊急提案》 今こそ民主党を応援しよう!民主党本部に激励に行こう!
 http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-March/024356.html
・フランスの反資本主義新党
 http://blog.goo.ne.jp/afghan_iraq_nk/e/236970946390866afc09d00f40b3e68d
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ネオコンとネオリベ、偽装対決の茶番

2009年02月17日 01時07分09秒 | 二大政党制よりも多党制

※そう言えば、当時も「ミーハー感覚で小泉・自民を支持するB層有権者」と、揶揄されていましたね。

・鳥取・岩美「かんぽの宿」 1万円で入手し6千倍で転売(朝日新聞)
 http://www.asahi.com/national/update/0131/OSK200901310039.html?ref=goo
・「かんぽの宿」疑惑拡大と麻生コウモリ首相の迷走(植草一秀の『知られざる真実』)
 http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2009/02/post-3d3a.html
・再度問う「小泉郵政民営化とは何だったのか!?」ー「かんぽの宿」の奥に見えてきたもの(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/government/0902/0902107198/1.php

 今、日本国内を騒がせているニュースがあります。それが、言わずと知れた、旧・郵政公社(現・日本郵政株式会社)が保有する保養施設「かんぽの宿」の、オリックス不動産への「落札談合、叩き売り」疑惑です。そして、それとも関連して、麻生・現首相の「郵政四分社化見直し」言及に対して、小泉・元首相が放った「怒りを通り越して笑っちゃうぐらい呆れた」発言です。

 しかし、このニュースですが、私にとっては「目糞、鼻糞を笑う」の次元でしかありません。麻生発言が呆れる他ないのは、その通りですが、それを批判する小泉の方も、「今更どの面下げて、そんな事をよくも言えたものだ」「厚顔無恥も甚だしい」と思いますね。
 一方的に郵政民営化を争点にして解散・総選挙に打って出た小泉も小泉なら、当時、小泉内閣の総務相としてそれを実行に移した麻生も、規制改革推進会議の議長として民営化を先導したオリックス会長の宮内も、ともに一蓮托生の共同共謀正犯ではないですか。みんなで示し合わせて、「古い利権を追い出す」という名目の下に、行政サービス(郵便)や国民の資産(郵貯・簡保)を、何の事は無い、ただ「新しい利権」同士で山分けしただけではないですか。

 その挙句に、地方で簡易郵便局の相次ぐ閉鎖や、各種手数料の大幅値上げ、郵政労働のワーキングプア化・労働強化によって、郵政民営化や、ひいては小泉構造改革なるものが、所詮は「行政サービスも、住民の生存権も、万事金次第」というものでしかなかった事が、誰の目にもはっきりしてきた今頃になってから、「改革の方向性は間違ってはいない」が「弊害の手直しにも少し手をつける(形だけでもそうするフリをする)」などと、よくも言えたものです。「怒りを通り越して笑っちゃうぐらい呆れ」るのは、小泉も麻生も宮内も、鳩山邦夫(現・総務相)も西川善文(現・日本郵政社長、元・全銀連会長)も、みんな同じです。

 こんな体たらくの首相ですから、内閣支持率が日本テレビの最新世論調査で9.7%と、とうとう一桁台に転落してしまいました。しかし、その一方で、小泉再登板を期待する声も根強く存在するかと思えば、最近では「麻生頑張れ、小泉なんかに負けるな」なぞという声まで聞こえてくる始末で。これだけ痛めつけられても、まだ分からない人たちがいる様です。

 今までも折りに触れて言ってきた事ですが、麻生に代表される様なネオコン右翼政治家も、小泉に代表される様なネオリベ弱肉強食資本主義者も、どちらも「同じ穴のムジナ」であり、ともに悪政推進の共犯者なのです。それを、「どちらがより悪く、どちらがよりマシか」なぞと言っている限り、「両者の思う壺」にしかなりません。また、これは単に「小泉と麻生」だけに限った話ではなく、その他の安倍晋三・中川昭一などの「真・保守派」(ネオコン)や、中川秀直・小池百合子などの「上げ潮派」(ネオリベ)も含めて、全体的な構図の中で捉えなければなければならない問題です。

 一般的に言うと、ネオコン(新保守主義者)は、「愛国心や伝統」といった価値を重視し、「国家による統制」を強めようとします。それに対して、ネオリベ(新自由主義者)は、「経済活動の自由」を重視し、「規制緩和」を推進します。時によっては、恰も両者の利害が衝突するかのように見える場合があります。今までの人権擁護法案、女系皇位継承、国籍法改正問題や、今回の郵政民営化を巡る両者の「対立」などは、その典型例です。
 しかし、片やネオコンは「国家統制」志向、もう片やネオリベは「規制緩和」志向と、一見、両者は恰も対立している様に見えても、両者間には、何ら本質的な差異は在りません。何故ならば、ネオコンが「愛国心や伝統」「国家統制」を説くのも、ネオリベが「経済活動の自由」「規制緩和」を説くのも、偏に現体制擁護が目的であり、もっと有体に言えば、現・資本主義体制下での搾取の旨味を手放すまいとする為のものに、他ならないのですから。そういう意味では、両者は共に「合わせ鏡」「コインの裏表」の関係にあるのです。

 それは、彼らが言う「国益」とか「自由化・民営化」とかいう言葉が、誰の利益を守るものであるのかを考えれば、直ぐに分かります。トヨタやキャノンの私益にしか過ぎないものを、「国益」と言いくるめているだけであり、トヨタやキャノンの「搾取の自由」だけを守るのが、「自由化・民営化」というものの正体なのですから。
 ネオコン安倍政権時代の教育再生会議が、戦後民主教育を敵視し教育基本法を改悪する一方で、全国一斉学力テストや教育バウチャー制度を導入し、受験競争や教育格差を煽ったのも、ネオリベ首相の小泉やネオリベ知事の橋下徹が、靖国公式参拝や「日の丸・君が代」強制を肯定しているのも、これで全て説明がつきます。
 
 格差・貧困の問題でも、ネオリベの財部誠一と、ネオコンの長谷川慶太郎が、ともに「派遣切り」を擁護しているのが、その何よりの証左です。彼らも、世論の手前があるので、一応は「セーフティ・ネットの充実」を言いますが、それはあくまでも「トヨタやキャノンによる搾取の自由」を損なわない範囲で、という事にしか過ぎません。そんなものは、只の口先だけの枕詞にしか過ぎません。
 そして、その次に出てくる本音が、この間の世界恐慌を、恰も自然災害か何かであるかのように言い募り、やれ「派遣切りも経営判断の一つにしか過ぎない」だの、「内部留保を吐き出してしまえば企業は倒産する」だの、「経営者の努力・真意を理解しろ、経営者をもっと尊敬しろ」だののオンパレードなのですから、何をか況やです。もう、「そんな八つ当たりみたいな事しか言えないのかよ」と、哀れみすら感じます。

・財部誠一「派遣切り批判をあえて批判する」(日経PBnet)
 http://www.nikkeibp.co.jp/article/column/20081212/119407/
・長谷川慶太郎「派遣切りは悪なのか」(月刊WiLL)
 http://www.zassi.net/mag_index.php?id=228

 しかし、そもそも今回の世界恐慌を招いたのは、誰の責任なのですか。サブプライム問題一つとっても分かる様に、全ては、米国などのハゲタカ・ファンドや金融資本が、博打みたいな経営に走って、世界経済に穴を開けたが為に、起こった事でしょうか。その責任だけを労働者や消費者に転嫁して、経営者や株主はノウノウと今でも高額の報酬や配当を手にしているではないですか。
 そして、偽装請負・二重派遣や、クーリング期間の悪用による規制逃れや、派遣寮の割高な寮費や、備品リース代名目のピンハネなどの、「違法・脱法・人権侵害」行為によって、派遣労働者を散々食い物にしてきた事については、一切だんまりを決め込んでいるではないですか。
 その挙句の果てに、企業の内部留保の僅か数パーセントを、従業員の雇用・福祉に回すだけで、今の「派遣切り」は避ける事が出来るのに、「そんな事をすれば企業倒産続出」みたいな脅し文句で、「派遣切りは悪なのか」と居直っているのですから、大したものです。

 これが、ネオコンとネオリベの正体です。こんな「どちらも悪でしかない」ものに対して、「どちらがより悪く、どちらがよりマシか」などという、自作自演のマッチポンプに乗せられて、騙されていてはダメです。内閣支持率一桁台にまで追い詰められた麻生・自公政権ですが、その裏では、渡辺喜美や、「せんたく」、橋下徹、東国原英夫、石原慎太郎などの「ネオコン・ネオリベ別働隊」が、「隙在らば」とうごめいていますので、油断大敵です。
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くさい芝居はもう沢山だ!

2009年01月17日 15時15分51秒 | 二大政党制よりも多党制
 
※画像解説:
 自慢げに掲げた離党届には、自民党への感謝の言葉も。
 所詮は偽装「反自民」によるガス抜きか。(出典:産経新聞)


 昨日の仕事帰りに、駅のベンチに置いてあった夕刊フジ(1月17日付最終版)トップの、「『喜美新党』旗揚げ」の見出しに目が行き、12面に掲載の当該記事を読んでみました。

 それによると、自民党を離党した元行革担当相の渡辺喜美が、無所属衆院議員の江田憲司らと、脱官僚主義や地域主権などを柱とした新党結成を模索しているのだとか。他にも、政府の道州制ビジョン懇談会座長を務める江口克彦(PHP総合研究所社長)や、評論家の屋山太郎などが、この「喜美新党」への参加に意欲を示しているとも。

 何の事はない。道州制論者にネオリベ評論家も登場して、以前私がブログで批判した「せんのう」もとい「せんたく」と、全く同じ動きじゃないですか。つまり、一見「反自民・反官僚」を装っての、自民党・保守勢力による延命戦術に他ならない、という事です。
 これは、自民党や保守勢力が、今まで通り政権を維持出来なくなった時に、いつも使う常套手段です。「同じ穴のムジナ」のネオコン・ネオリベ仲間でありながら、如何にも「水戸黄門」や「暴れん坊将軍」風の、「何かやってくれそうな人」を装った似非「改革者」を、やにわに登場させて、そいつに期待を持たすだけ持たせておいて、ほどなく似非「改革者」の権力掌握となった後に、ほとぼりが冷めた時点で、その似非「改革者」をまた自民党が取り込む、と。

 そうやって、自民党は、今度は「同じ穴のムジナ」の力も借りて、以前よりも更に「焼け太り」する、と。今まで何度、それで煮え湯を飲まされてきた事か。
 その例として、古くは70年代後半の新自由クラブや、90年代初頭の日本新党があります。最近では、小泉改革が、その一番分かりやすい例でしょう。「自民党をぶっ壊す」と言って自民党総裁・日本国首相になった男に、自民党を生きながらえさせて、ぶっ壊されたのは我々の生活の方でした。

 そして、自民党とは一時は袂を分かち、刺客さえ放たれた郵政造反議員も、ほとぼりが冷めたら選挙時の公約はどこへやら、最後には元の自民党の鞘に納まって。結局、自民党による、郵政票と反郵政票の二重取り詐欺ともいうべき結果に、終わっただけではなかったか。

 その小泉政権の後も、最初の安倍内閣を散々こき下ろしていた今の厚労相を、安倍が人気挽回の為に閣内に取り込み、厚労相・安倍内閣とも「もちつもたれつ」の結末に持って行った事も、記憶に新しい所です。今の麻生にしてもそうでしょう。やれ「ローゼン閣下」だの「オタクの味方」だのという触れ込みで、総理に祭り上げられたものの、実際に首相をやらせたら、もうトンでもない人物でした。
 
 今回の渡辺喜美にしてもそうです。この人物、元・行革担当相でしょう。行政改革は本来自分の仕事だった筈。それが、大臣の任期中には役人と喧嘩一つするでなし、特段何もしなかったくせに、離党した今頃になってから「脱官僚政治」とか言われても、全然説得力がありません。裏返して捉えれば、「大臣の仕事を何もして来なかった」と、自分から言っている様なものじゃないか。
 本当は、「脱官僚政治」なんて、単なる口実にしか過ぎないのでしょう。実際は、麻生内閣の不人気ぶりが、もう誰の目にはハッキリしてきたので、自分だけ「泥船」から抜け駆けを図ろうとしただけの事でしょう。

 その渡辺に、ナベツネなどの財界中枢が目をつけたのでしょう。何故なら、渡辺の主張というのが、「道州制」や「大連立」や「消費税増税」にしても、全て財界が長年に渡って要求してきた事ばかりじゃないですか。それを、今までは小泉にやらせ、安倍にやらせ、福田にやらせ、麻生にやらせていただけの話で。
 http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20090114-OYT1T00705.htm

 ところが、その財界主導による新自由主義路線によって、ここまで格差・貧困が広がり、それに対するワーキングプアの反撃も、本格的に始まろうとしている。もはや、自民党のこれまでの面々だけでは、国民を支配する事は出来なくなっている。
 そんなこんなで、「せんたく」も大連立も、自民党総裁選も、全て不発に終わったが、そんな事ぐらいで諦める財界では無い。此処は是非とも、新たに「客寄せパンダ」を登場させて、目先を変えさせる必要がある。その為に、渡辺が担がれてきたのでしょう。

 それは、こいつらの個々の発言一つ一つや、政策集団のネーミングにも、如実に現れています。
 渡辺は、離党後の会見で、「全国各地の志の高い人々、この国を変えるべきという人と国民運動を起こしていきたい。『国民会議』を立ち上げたい」と言ったそうですが、何をか況やです。折角の「志の高い人々」という美辞麗句も、渡辺が言うと、ギラギラした権力欲だけが鼻について、逆に白けてしまいます。
 「国民運動、国民会議」と、二言目には「国民」を引き合いに出すのも、勘弁して欲しい。何で我々が、お前らとの一蓮托生を、一方的に強いられなければならないのか。そんな、ナチスや戦前の大政翼賛会みたいなものに、引っ張り込まれて堪るか。

 また、この手の人たちは、自分たちの事を、よく幕末・維新の志士に準えたりもします。例えば、今回の渡辺新党のパートナー江田憲司は、かつて立ち上げた政策集団に、「脱藩官僚の会」と名付けました。また、大阪府知事の橋下徹も、「小泉政治の二番煎じ」にしか過ぎない自分の政治手法を、「維新政治」に準える事をよくします。
 しかし、明治維新とは、そもそも何であったか。そう言えば、「明治維新はブルジョア革命か否か」という歴史論争が過去にありましたが、この論争も、平たく言えば「革命には非ず、下層武士による体制内クーデターだった」という所に、落ち着いた様です。

 要するに、明治維新とは、封建社会が行き詰まり、江戸幕府が倒れようとした時に、危機感を抱いた薩長土肥の下級武士たちが、京都の朝廷を担いで起こした「革命予防クーデター」でしかなかったと、言うことです。権力掌握までは、相楽総三の赤報隊などを使って、「年貢半減」などの空公約を散々ふりまいておきながら、藩閥政府樹立後は一転して、全国各地の百姓一揆や、地租改正反対運動や、後の自由民権運動を抑えつけ、富国強兵政策や松方デフレ政策によって、農村を窮乏のどん底に追い込み、「ああ野麦峠」や「女工哀史」の悲劇を、其処彼処に生み出したのですから。

 そんなモノに自分を準えて、一人悦に浸っているのですから、お里が知れます。要するに、こいつらは、みんな「上から目線」なのですよ。陰に回れば、派遣村の人間を蔑み、「派遣規制は国の活力をそぐ」などと嘯きながら、プライドだけはやたら高く、自身の権力欲・出世欲でしかないものを、如何にも一端の国士気取りで、「志の高い」だの「義命」だのと言い繕う。傍から見れば、裸の王様が「俺様はこんなに偉いんだ」と、自慢している姿にしか見えないのに。

 そんな、「911ブッシュ劇場」や「小泉劇場」と同じ手が、そう何度も何度も通用するとでも思っているのか。これ以上、我々の税金を使って、くさい三文芝居をするのは止めろ! そんな金があるのなら、全部派遣村に回せ!
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公明党ポスターからも分かる政治の退廃

2008年10月25日 23時19分16秒 | 二大政党制よりも多党制
 この公明党ポスターの件でもそうですが、今の自公プラス民主党執行部による体制翼賛政治は、もう「毒食らわば皿までも」の喩えの如く、とことん行き着く所まで来てしまった様な気がします。

 くだんのポスターのキャッチについても、「それ、総理にかけあってみます」というものがその中にあるのですが、公明党関係者は、そんなキャッチが今でも「売り」になると、本気で思っているのでしょうか。
 ご祝儀相場も不発に終わり、4割そこそこからスタートした麻生内閣支持率も、既に36%にまで下落(毎日新聞世論調査)という、そんな「総理にかけあってやる」と言われても、一体どれほどの有難味があると言うのでしょうか。そんな「寄らば大樹の陰」の魂胆が見え見えの、さもしい事大主義根性丸出しのキャッチなど、まともな感覚の持ち主なら、とてもじゃないが恥ずかしくて掲げられないものですが。

 また、この21日に、新テロ特措法が衆院を通過し、インド洋上での自衛隊の給油活動が更に延長されましたが、その件についても。
 そもそも、アフガン・イラク戦争に付き従っているのは米国の影響下にある一部の国々だけで、それも渋々付き合わされている国々も少なくなく、その結果いずれの参戦国も大なり小なり、米国と一蓮托生で「テロ戦争の泥沼」に嵌り込んでしまっているのも、もはや誰の目にも明らかなのに。
 そうであるにも拘らず、何故「国際貢献」などと言う見え透いた嘘を、無理やり自分自身に言い聞かせてまで、こんな道理の無い戦争に協力しなければならないのか。
 しかもあろうことか、この特措法に反対の筈の民主党までもが、衆院解散と引き換えに、同法の衆院本会議での採決日程には合意してしまったのには、もう開いた口が塞がりません。あくまで特措法改悪阻止の為の政権交代であり衆院解散である筈なのに、肝心の改悪法に賛成していたのでは、政権交代や解散も全くやる意味が無くなります。
 こんな自公与党や民主党執行部の言い分など、普通に考えれば、誰が見てもとっくに破綻しているのに、真っ当な異議申し立ての声は、全て何処かで握り潰されてしまい、決して政治の上層には届きません。

 また、この前の中山成彬「日教組が教育現場のモラルを低下させた」云々の暴言にしても、これまた同様です。モラル低下や子供の非行の原因は、「日教組」などにではなく、当の自分たち政治家による退廃・腐敗・ウソ・ペテンにある事ぐらい、少し考えたら誰でも分かりそうなものを。
 子どもの実態は、大なり小なり、大人社会の反映でしかないのですから。教育基本法改悪の時のやらせミーティングに始まり、松岡「浄水器」大臣の自殺や赤城「バンソウコウ」大臣の辞任、九間「原爆しょうがない発言」から、果ては安倍・福田二代に渡る政権放り出しと、自分たちはこれだけムチャクチャな非愛国・不道徳政治をやっておきながら、その責任を日教組になすりつけ、お上に言いなりの似非「愛国心、公徳心」を国民に押し付けようとする。こんな破廉恥な行為が堂々とまかり通る事自体が、もはや異常な政治状況であると言わざるを得ません。

 この様に、誰でも少し考えれば分かりそうな大ウソを平気でつけて、しかもそれで平然としていられる程、異常な政治がまかり通ってしまっているのです。公明党のまるで「人を食った」としか思えない標記の政治ポスターは、正にそういう政治の反映でもあるのです。

 80年代の「中曽根行革」と、同年代末の「ベルリンの壁」崩壊、その後の小選挙区制施行を契機に、それまではある程度明確であった「保革対決」の政治軸が不鮮明になり、それに代わって石原・小泉・橋下・東国原などの似非「改革者」が人気を博する様になりました。
 しかし、「ベルリンの壁」崩壊が、保守や資本主義の勝利を意味するものでは全く無い事は、ワーキングプア・所得格差・自殺者の激増ぶりや、昨今のサブ・プライムローンやリーマン・ブラザーズの破綻劇を見ても明らかです。それが小選挙区制と財界による政治支配のお陰で、ストレートに政治変革を求める動きにはなかなか為らず、政治的諦観(棄権)・ニート・引きこもり・リストカット・練炭自殺・秋葉原事件・個室ビデオ放火事件などの形や、ファシスト然とした似非「改革者」への淡い期待となって、歪んで表出されてしまうのです。

 事実、90年代を境として、国政選挙の投票率が、それ以前の70年代~80年代と比べると、約10ポイントも下落してしまっているのが分かります。特に小選挙区が導入された衆院選で、その傾向がより顕著となって現れています。
 若し今の小選挙区ではなく、もっと民意が反映される選挙制度であったならば、「保革対決」の政治軸が見えなくなる事もなく、これらの10ポイント前後の棄権層は、間違いなく野党、それも革新野党に流れ、公明党も、こんな下らないポスターに国民の税金(政党助成金)を費やす事も無かった筈です。そういう意味では、この公明党のポスターは、退廃政治の土壌に咲いた徒花の一つであると、言う事が出来るでしょう。
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共産党ブームは果たしてホンマモンか?

2008年09月05日 00時20分23秒 | 二大政党制よりも多党制
2/8 派遣法改正し”労働者保護法”に 志位委員長が質問/衆院予算委員会(全編)


・共産党:「蟹工船」ブームで1万人新規入党(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/photo/news/20080901k0000m010040000c.html
・共産党、新規党員増加 「蟹工船」「資本論」ブームで?(産経新聞)
 http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080803/stt0808032127002-n1.htm

 以前にこのブログでも取り上げた「蟹工船」ブームですが、その影響が徐々に現実政治の分野にも及んできたようです。昨年来、共産党の新入党者が毎月千人のペースで増え続け、20~30歳代の党員比率も上昇しているのだとか。
 この共産党の人気回復については、私も勿論知っていました。前述のブームも然る事ながら、日払い派遣の実態を告発した今年2月の国会質問(上記動画)が反響を呼び、若者の間で、改めて共産党を見直す動きが広がっている事については。しかし、つい最近までは、それでもまだまだ一部の若者に限られた動きだと思っていました。
 それが、最近は左派系メディアだけでなく、「諸君」「正論」などの右派系メディアや、「そこまで言って委員会」などのネットウヨクご用達TV番組までが、共産党の事を取り上げ始め、後者に至っては党本部の取材まで行ったとか。共産党ブームの話題を取り上げたブログも、こんなに多岐に渡るとは、正直言って、思ってもみませんでした(下記リンク参照)。
 http://www.blog-headline.com/themes/0080/000608/

 しかし、私はこのブームについては、「歴史の必然」だと思う反面、少し「上滑り」の感もあるように、思えてならないのです。

 「歴史の必然」だと思う理由については、今更言うまでもないでしょう。「ベルリンの壁」崩壊からこの方ずっと言われ続けてきた「米国、保守、資本主義の勝利」が、いずれも嘘っぱちでしか無かった事が、今も日に日に明らかになりつつあるのですから。
 イラク・アフガンでの「対テロ戦争」の惨めな失敗や、サブプライム・ローン問題に見られる資本主義の腐朽性、新自由主義の暴走による格差・貧困の拡大、地球温暖化問題でも露になった米国の国家エゴ、安倍・福田の遁走劇が指し示す保守政治の行き詰まりと改憲策動の一頓挫、反グローバリズム・反貧困運動の広がりや、南米・ドイツなどでの左翼勢力の拡大など、事例の枚挙には事欠きません。

 つまり、かつての旧ソ連・東欧や今の中国・北朝鮮の様な「スターリン官僚独裁」の旧来「社会主義」も、「ブルジョア独裁」の今の資本主義も、どちらも機能しなくなっているのです。
 そして、それを乗り越えるのは、やはり左翼を置いて他にはないでしょう。何故なら、旧来「社会主義」の悪弊を論うだけで、国家主義・資本主義・帝国主義への批判の目を一切持たない右翼では、先に挙げた資本主義の諸矛盾を解決する事は出来ないからです。勿論、彼の人たちも自民党政治を批判はしますが、その内容たるや、「今のやり方では生ぬるい」という反動的なものでしかありません。最近も、某極右泡沫政党が共産党ブームに対抗して、何やら反貧困運動の真似事をやり始めたそうですが、それも所詮は「生長の家」の二番煎じでしか無い。

 寧ろ今後問題になって来るのは、この旧来「社会主義」の悪弊を克服した左翼の出現が待たれる時代に、今の日本共産党が、「果たして本当にその期待に応えられるレベルに達しているか」という事ではないでしょうか。
 確かに、今の日本の国会に議席を持つ政党の中で、ワーキングプアや経済的・社会的弱者の問題について、最も正面切って取り上げているのは共産党なので、同党にそれらの人たちの支持が一定集まりだしているのは事実です。しかし、それが70年代の革新自治体の時代や90年代の「旧社会党の受け皿」として機能しかけた時期の様に、誰の目にも明らかな党勢・支持率拡大となって現れてこないのは、一体何故でしょうか。先に紹介した党員数の増加にしても、やっと昨年辺りからようやく、それまでの停滞を抜け出して増勢に転じつつあるというのでは、格差社会の弊害はもっと以前から露になっていたのですから、寧ろ「遅きに失した」と言うべきものではないでしょうか。

 勿論、全てに渡って大政党に有利な現行選挙制度の下で、「自民か民主か」の保守二大政党制キャンペーンが長年に渡って張られてきたというハンディは在ります。それより遥か以前からの反共風土の影響も在るでしょう。しかし、それだけが「遅きに失した」理由ではないと、私は思います。

 その理由の第1は、党の外交政策、なかんずく中国や北朝鮮の人権問題に対する党の煮え切らない態度にあると、私は考えています。有権者が共産党支持にまだまだ二の足を踏む最大の理由も、やはり此処にあるのではないでしょうか。
 確かに、かつての中国・北朝鮮の党からの内政干渉とは、共産党は闘いました。しかし、それはあくまでも党に直接累が及ぶ問題に限っての事です。それとは直接関係の無い、例えば脱北者救援やチベット人権問題について、党が主体性を発揮して行動を起こす事は殆どありません。しかし、それでは有権者からすれば、「やはり同じ穴の狢だったのか」という事にしか成りません。
 勿論、今のネオコン・ブッシュや政府・自民党・「救う会」の路線が、中国・北朝鮮を仮想敵に見立て、それとの対抗で改憲・右傾化・新自由主義を徒に煽るものでしかない事は、言うまでもありません。共産党がそんな路線とは相容れないのは当然です。しかし、それならそれで、「救う会」とは別に、「人権を守る」という左派としての立場からのアプローチが、当然在って然るべきではないでしょうか。

 その理由の第2は、党の体質問題、取り分け民主集中制への過度の固執があると思います。
 確かに、今の自民党や民主党の様に、党幹部の言っている事やっている事がてんでバラバラでは、有権者に対して政党として余りにも無責任であるとは言えます。また、党内議論の全てを何でもかんでも外部にオープンにする必要もありません。権力に対する防衛の観点も当然必要です。
 しかし、それらを考慮に入れても、今の様なシャンシャン大会では、本当に党内民主主義が機能しているのか、疑問に思われても仕方が無いのではないでしょうか。第一、これだけインターネットで党員も意見を自由に発信出来る様に成ると、いくら幹部が民主集中制で縛りを掛けても、限界があると思われます。それなら一層の事、ある程度議論をオープンにして透明性を確保した方が、議論も闊達に行われ、尚且つ「雨降って地固まる」という風になるのではないでしょうか。

 その理由の第3は、民主的代案のアプローチに関わる問題です。共産党が格差・貧困の問題に最も積極的に取り組んできた政党の一つである事は確かですが、今後は、その立場をもっと大衆に分かりやすくアプローチする能力が、求められているような気がして成りません。
 試しに、今の有権者の中で、「格差・貧困が資本主義のグローバル競争によるもの」であり、「自分たちも財界から搾取されながら、同時により貧しい第三世界の民衆搾取に加担している」事や、「だからこそ、最終的には全世界の貧しき者の団結で、新自由主義を乗り越えるしか解放の道は無い」事を、どれだけの人が「自分の言葉で」理解しているでしょうか。多分、理解している人はまだまだ少ないのが実情でしょう。
 勿論、感覚的には殆どの人が理解しているでしょう。今の生活や労働の在り方が、「およそ人間尊重とはかけ離れたもの」である事ぐらい、誰しも気付いてはいます。しかし、何故そうなるのかが分かっていないからこそ、石原・小泉・安倍・麻生・民主党みたいな紛い物に、みんな易々と騙されるのです。

 以上、今後共産党が乗り越えなければならない課題について、取り上えず思いつくまま3つほど書きました。共産党を支持するが故に、今回は敢えて耳の痛い事も書かせてもらいました。これらの課題を克服できた時こそ、「蟹工船・共産党ブーム」が単なる一過性のブームに終わらず、「歴史の必然」に変わるでしょう。そうでなければ、かつての70年代や90年代と同様に、一過性のブームで終わってしまう事でしょう。
 それが単に共産党一党の敗北に止まるなら、まだ良いのです。しかし、現実にはそれだけに止まらず、最悪の場合、麻生や、それよりもっと反動的なトンデモな政治家が、格差社会への不満を吸収して、台頭してくる可能性があります。その時こそが本当の「危険な兆候」(上記産経記事に登場の右翼言論人の言葉)なのです。

 そういう意味では、今回のブームは、日本の政治・社会を革新的な方向で打開し、党も更に飛躍できる可能性をも秘めた絶好の機会であると共に、大衆の不満を左翼が昇華出来ずに、和製ナチスに掠め取られる危険性をも同時に秘めたものであるとも、言えるのではないでしょうか。
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お飾り司法 vs イラク派兵違憲判決

2008年05月06日 23時00分29秒 | 二大政党制よりも多党制
・【ゲーム評】「逆転最高裁4」(ボーガスニュース)

>最高裁での裁判という独特のテーマを取り上げた異色のゲーム第4弾が、いよいよ登場。今作では「靖国参拝」「君が代強制」「従軍慰安婦賠償」など新たなシナリオを追加し、ますますボリュームアップ。愛国者なら誰しも楽しめる内容となっている。主人公はおなじみ、最高裁第三小法廷裁判官の御飾里司法(おかざりしほう)。各地の高裁で国に不利な判断が出た事件を、どのようにウヤムヤにして政府寄りの逆転判決を出すかが高得点のカギとなる。(以下略)
 http://bogusne.ws/article/38949347.html

 実は上記は、この間の立川テント村弾圧不当判決やイラク派兵違憲判決の話題を、裁判員制度の問題とも絡めて取り上げているブログ・エントリーからの引用です。余りにも話題がリアルなので、本当にそんなゲームソフトが発売されたのかと、一瞬マジで思ってしまいましたw。

 地裁・高裁段階で住民寄りの判決が出ても、最高裁では悉く政府寄りの御用判決が出て、原告は失望感を味わうことになる―違憲訴訟では今までもよく見られたパターンです。下記記事を読んだ後では、特にそれを感じます。三権分立や裁判官国民審査も、所詮は「イチジクの葉っぱ」にしか過ぎなかったのか。しかしそれではもう、パキスタンのムシャラフ旧政権と、やっている事は余り変わらない。

・「米軍違憲」破棄へ米圧力/59年の砂川裁判 一審判決直後 解禁文書で判明/駐日大使 最高裁長官と密談(しんぶん赤旗)

>安保条約にもとづく在日米軍の駐留を憲法違反とした一九五九年の砂川事件・伊達判決に対し、米駐日大使が当時の最高裁長官と「内密の話し合い」をもつなど、判決破棄へ圧力をかけていたことが米政府解禁文書で明らかになりました。(中略)米軍駐留違憲判決に対する米側の衝撃ぶりと、干渉を無批判に受け入れる日本側の異常な対米従属ぶりが分かります。(以下略)
 http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-04-30/2008043001_01_0.html

 そういう行政・司法の馴れ合い状況を打ち破ったのが、今回のイラク派兵違憲判決でした。この判決は、自衛隊のイラク派兵・米軍協力が、憲法のみならずイラク特措法の規定に基づいて解釈しても、尚且つ違憲としての判断しか下せない事を、余すところ無く明らかにしたものでした。それでいて、主文の内容はあくまでも国側勝訴・原告請求却下の形を取っているので、国は控訴したくても出来ずに、とうとうこの事実上のイラク派兵違憲判決が確定してしまいました。
 裁判官国民審査制度の積極的活用によって行政・司法の馴れ合い状況を打ち破っていくのを、あくまで基本としつつも、場合によっては、今回の判決法理も積極的に取り入れる事で司法権の独立を守っていくのも、やり方としては充分「在り」でしょう。

・自衛隊イラク派兵違憲判決!(名古屋北法律事務所)
 http://www.kita-houritsu.com/tokusuru/080422-220617.html
・「イラク派兵違憲」判決を「差止訴訟の会」代表に聞く(JANJAN)
 http://www.news.janjan.jp/government/0805/0804296005/1.php
・イラク派兵違憲判決(許すな!憲法改悪・市民連絡会)
 http://web-kenpou.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_537c.html
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アムネスティが日本の人権状況を憂慮

2008年04月15日 20時25分27秒 | 二大政党制よりも多党制
 アムネスティ日本が、先日の最高裁による「立川テント村事件」不当判決に対して、憂慮する旨の声明を出しています。その声明全文を下記に転載しておきます。
 しかしまあ、NGOから「司法機関が国際人権基準の何たるかを理解していない」とか「良心の囚人」とか指摘されるとは、日本もつくづく落ちぶれたものです。たかが映画一つ上映するにも、いちいち身体を張らなければならないのですから。いくら上辺だけ先進国や民主国家を装っても、現状がこれではね。実際の所は、形だけは議会制民主主義でも国内で野党や少数民族を弾圧しまくっているイスラエル・トルコ・シンガポール辺りとも、そんなに変わらないのでは。
 こんな日本が、いくら北朝鮮・中国やミャンマーの人権状況を論った所で、ドイツ・フランス・カナダや北欧諸国辺りからすれば、「目糞、鼻糞を笑う」か、せいぜい「下見て暮らせ傘の下」ぐらいにしかなりませんね。実際、言論・表現の自由にまつわる事件で、斯くも最高裁判決が、悉く下級審判決を覆して政府御用の内容になるのでは、「三権分立はあくまで建前だけで、実際には全然機能していない」と思われても仕方ありません。これでは、ムシャラフ政権が権勢を誇っていた頃のパキスタンとも、幾らも変わらないのでは。
 ハンセン病訴訟や原爆被爆者認定訴訟にしても、この場合は国が世論を気にして控訴せず原告と和解に向けて歩みだし始めたから、まだしも良かったものの、若しそうでなければ、最高裁は今も政府御用の判決を出し続け、原告は塗炭の苦しみを味わい続けている事でしょう。


(転載開始)
2008/4/11 - 日本 : 「立川テント村事件」の最高裁判決を懸念

本日、最高裁第二小法廷は、いわゆる「立川テント村事件」に対して有罪とする判決を出した。アムネスティ日本は、本判決は日本における表現の自由を脅かすものであり、国際人権基準をないがしろにするものであるとして非難する。

そもそも、政府と異なる意見を表明する自由を確保することこそが、国際人権諸基準および国内法の最高規範である憲法が規定する、表現の自由の本質である。したがって、本件のように、政治的意見を表明するビラの配布は、それが平和的に行われるものである限り正当な権利の行使であり、社会が受容すべきものである。日本政府には、こうした政治的意見の表明を受容する義務があり、国際人権基準を遵守し、最大限その実現に努めるべき責任がある。平和的な意見表明に対して、他者の権利の侵害などを口実として制約を課してはならない。

今回の判決は、政府と異なる意見に対する弾圧そのものであり、有罪判決それ自体が、国際人権基準に対する重大な挑戦である。アムネスティ日本は、人権を保障する義務について、日本の法執行機関および司法機関が理解していない点を強く懸念する。この点については、すでに自由権規約委員会などの条約機関からも、再三にわたり、国際人権基準についての正確な理解を欠いている旨が指摘されている。日本政府は、条約諸機関からの改善勧告を誠実に実施し、法執行機関および司法機関の職員が国際人権基準を十分に理解できるよう、具体的な措置を講じるべきである。

今回の事件に見られるような国家による人権侵害、表現の自由の侵害を防ぐために、国際人権基準に基づき、独立した国内人権機関による救済措置や、条約機関に対する個人通報手続などが設けられなければならない。こうした点も条約諸機関からたびたび指摘されている。しかしながら日本政府は、これらの勧告も実施しておらず、個人通報制度も受託していない。アムネスティ日本は、日本政府が速やかに個人通報制度を規定する自由権規約第一選択議定書に加入すること、ならびに国際基準に基づく独立した国内人権機関を設置するよう、強く求めるものである。

立川での事件以後、政治的な内容を持つビラを住居に配布した個人が逮捕・起訴される事件が相次いだ。そうした取り締まりは、国内での政治的意見表明や社会的な活動を萎縮させている。そうした状況の中で出された今回の判決は、日本国内における表現の自由を後退させるものであるとアムネスティは考える。

背景情報:
日本国内ではじめて良心の囚人として認定された3人の逮捕、拘禁は、自衛隊のイラク派遣をめぐって厳しい意見対立が生じていた時期に起こった。
逮捕後、3人の良心の囚人は、弁護人の立会いがない中で毎日8時間の取り調べを受けた。そうした取り調べの様子を記録する録音、録画などは行われなかった。また、拘禁中、外部との接見交通も制約され、弁護人以外との面会が認められなかった。しかも、別件による逮捕を加えたため、75日間の長きに渡って代用監獄に拘禁されていた。また拘禁中、しばしば暴言や性的、精神的な虐待にあたる言動があったとも伝えられる。
第一審の東京地裁八王子支部は、2004年に表現の自由を保障する観点から無罪とした。しかし、検察側の控訴を受けた東京高裁は、2005年12月、住居侵入罪を適用し、罰金刑を言い渡した。

アムネスティ・インターナショナル日本声明
2008年4月11日
(転載終了)
 http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=467

 ついでに、同じくアムネスティによる4月10日付「死刑執行抗議声明」にもリンクを張っておきます。但し予めことわっておきますが、私は死刑存廃の是非自体については判断を決めかねています。しかしそれでも、鳩山法相になってからの「トコロテン式」とも言うべき死刑執行のやり方については全く賛成出来ません。
 況してや、無罪を主張して再審請求も出ている事案にまで死刑執行の承認を与えるとは、とても正気の沙汰とは思えません。若しこの事案が実は冤罪事件だったと後日判明した場合は、法相はどういう形で責任を取るのでしょうか。
 http://www.amnesty.or.jp/modules/news/article.php?storyid=466
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