アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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一泊二日で長崎・軍艦島を観てきます。

2015年08月02日 15時52分40秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
軍艦島は生きている!―「廃墟」が語る人々の喜怒哀楽 (長崎游学マップ 4)
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 暑い日が続いていますが、読者の皆さんはいかがお過ごしでしょうか。私も夏バテで、なかなかブログを更新する気になれませんでした。これからぼちぼち更新していく事にします。まずは旅行の告知から。既にツイッターでは告知しましたが、この8月5日、6日と一泊二日で長崎に旅行に行きます。行き先は世界遺産登録を巡る騒動で話題になった軍艦島です。そのついでに長崎市内も回ってきます。
 軍艦島というのは、九州・長崎半島の沖に浮かぶ炭鉱で栄えた小島です。端島(はしま)と言うのが島の正式名称ですが、横から見ると軍艦のように見えるので軍艦島と呼ばれました。幅数百メートルしかない小島に最盛期には5千人余もの人々が住んでいました。現在は炭鉱も閉山して無人島になり当時の廃墟だけが残されています。その廃墟群の世界産業遺産登録を巡り、日韓両国の間で対立が起こった事は皆さんもニュース等でご存知でしょう。
 私も最初は、なぜ韓国政府が軍艦島の世界遺産登録にまでケチをつけてくるのか、いぶかしく思っていました。たとえ、朝鮮人強制労働などの負の遺産があったとしても、それをきちんと後世に伝える為にも世界遺産登録は必要だと思っていましたから。
 でも本当は、ケチをつけていたのは韓国よりもむしろ日本政府の方だったようです。「前述の私のような趣旨であれば、韓国政府としても登録申請に協力する」と言う事で両国間で合意していたのに、そこに安倍政権の方から急に、「登録対象とするのは1905年までの産業遺産だけだ。1905年までが対象なので、1910年の日韓併合以降に本格化した朝鮮人強制連行などには触れなくても良いのだ」と横槍を入れてきた為に、問題がこじれてしまったようなのです。

・世界遺産をめぐって露わになった、安倍政権ニッポンの時代錯誤に歪んだ歴史観と、事実・現実の認識から逃避する精神構造 by 藤原敏史・監督(FRANCE10)
 http://www.france10.tv/international/5147/
・世界遺産「韓国の裏切り」報道は大嘘! 難癖をつけたのは日本政府と安倍首相だった(リテラ)
 http://lite-ra.com/2015/07/post-1256.html
・韓国反発「明治産業遺産」は安倍首相のゴリ押し! 仕掛人の女性に「俺がやらせてあげる」(同上)
 http://lite-ra.com/2015/07/post-1250.html

 これは誰が見てもおかしな理屈です。1810年に炭鉱が発見され、1890年に三菱の手に渡って本格操業が始まり、1916年以降は島内に鉄筋コンクリート造りの高層アパートが建設され、軍艦島(端島炭鉱)は最盛期を迎えます。炭鉱の石炭は優良品質の瀝青炭(れきせいたん)だったので、戦後にエネルギー源が石炭から石油に代わってもしばらくは操業を続ける事ができましたが、それでも時代の流れには逆らえず、1974年の閉山で無人島になってしまいました。その軍艦島の歴史からすれば、最盛期はむしろ1905年以降です。少なくとも産業遺産として登録するなら、1810年の発見から1974年の閉山までを一体として捉えなければならないのに、なぜ1905年なぞという中途半端な年代で、その後の歴史を切り捨てなければならないのか。
 それでも時代区分で観るというのであれば、私はむしろ、1945年を境とした戦前と戦後で区分すべきだと思います。軍艦島の案内サイトには、「テレビや洗濯機がいち早く普及した」なぞと、戦後高度成長期における炭鉱夫の豊かな暮らしぶりが紹介されていますが、これも戦後の民主化で労働組合の活動が認められるようになったからでしょう。それ以前の、労働組合も労働基準法も無かった戦前の時代には、朝鮮人だけでなく日本人労働者の間でも、タコ部屋労働や「蟹工船」「女工哀史」的な搾取がまかり通っていたはずです。

 だから、本当に分けて考えるならば、1905年なんかではなく、1945年を境としたの戦前と戦後に分けて考えなければならないはずです。その上で、戦前の悲惨な暮らしも、戦後の比較的余裕のある暮らしも、その余裕(高賃金)も落盤事故の危険と隣り合わせのはかないものであった事も、きちんと見た上で、過去の光と影の部分を公平に紹介するものでなければならないはずです。そうしてこそ初めて、軍艦島を世界産業遺産として登録申請する価値もあると思います。それが、安倍政権のような「光の部分のみにスポットを当て、影の部分は闇に葬り去る」ような姿勢では、韓国政府の反発を呼ぶのも当然でしょう。
 もしも他国が同じような事をしたらどうなるでしょう?たとえば、米国が、1940年前後で歴史を適当に区切って、原爆開発におけるアインシュタイン博士の功績のみを伝え、広島・長崎の惨禍については評価の対象外だとして全然伝えなかったとしたら、我々はそんな「功績」の世界遺産登録に賛成できるのでしょうか?軍艦島の問題もそれと同じではないでしょうか。

『日本残酷物語』を読む (平凡社新書)
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 今、長崎では、軍艦島観光がちょっとしたブームになっているそうです。世界産業遺産への登録申請を機に、島への上陸ツアーが企画され、島内の一部には見学路も整備されました。その中で、どこまで島の「影の部分」の歴史についても、きちんと紹介がされているか。それをまず観てこようと思っています。そして長崎(野母)半島先端近くにある軍艦島資料館にも是非行ってみたい。年末年始以外は年中無休で、長崎市内から約30分おきに出る市バスで比較的容易にたどり着く事ができ、入場料も無料との事。
 そのついでに、せっかく長崎まで行くのですから、グラバー邸や坂本龍馬、シーボルトの史跡や、オランダ坂、眼鏡橋や、原爆資料館なども観てこようと、有休を取って一泊二日の日程で、オリジナルの旅行計画を立てました。
 交通費を浮かせるために、行きは夜行バス、帰りは格安航空便で、宿泊も長崎市内のビジネスホテルを使う事にしました。8月4日の夜に大阪を立ち、5日はまるまる長崎市内観光に当てます。午前中に、軍艦島資料館の他にオランダ坂、大浦天主堂、グラバー邸などを巡った後、午後からは平和公園や原爆資料館の方に行く予定です。その中でも特に、原爆の爆風で残された山王神社の一本足鳥居や、中国革命の父・孫文と交流のあった実業家・梅屋庄吉の史跡(旧香港上海銀行記念館)は是非観てみたい。その上で、坂本龍馬やシーボルトの史跡にも行けたらもう御(おん)の字です。
 その夜、前述のホテルに泊まった後、6日の午前中に軍艦島に上陸します。長崎市内に帰ってきて昼食を食べたら、もう13時過ぎには遠郊の大村市沖の空港に向かわなければ、大阪に帰る格安航空便の搭乗手続きには間に合いません。そう考えると、ちょっとハードスケジュールかも知れません。念の為に、効率良く回れるように、下記のオリジナル観光マップも作りましたが、さて、どれだけ回れる事やら。この調子では旅先も酷暑だろうし、軍艦島ツアーでは船に長く揺られたりもするので、日射病対策や船酔い対策も欠かせません。では、旅の報告については、次回のお楽しみと言う事で。

コメント (21)
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