アフガン・イラク・北朝鮮と日本

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安倍戦後70年談話とセクハラ親父の言い訳

2015年08月19日 11時17分00秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
 またまたブログ更新が少し滞ってしまいました。実は親父が総胆管結石の手術でしばらく入院する事になり、それでバタバタして更新できませんでした。幸い親父の方は経過も順調で、このまま行けば一週間ぐらいで退院できるようです。
 その間に、安倍首相が戦後70年談話を発表しました。安倍本人は「従来の村山談話を引き継いだ」と言っているようですが、とんでもありません。村山元首相の戦後50年談話とは似ても似つかぬ代物になってしまいました。

 村山談話と安倍談話について、それぞれ両者の全文を参考資料として別のページに掲示しましたが、見比べるとその違いは一目瞭然です。
 村山談話の方は、基本的に「私は」「我が国は」という出だしで始まっています。主語と述語が明確で、「誰が何をしたのか」「それに対してどう思っているのか」がハッキリしている、非常に分かりやすい文章になっています。また、戦後談話としての性格上、過去の戦争に対する総括が主要テーマとなりますが、そこでも「わが国は、過去に国策を誤り戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によってアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えた」、その反省として「独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければならない」と、非常に論旨が明確な文章になっています。
 それに対して、安倍談話の方はどうかと言えば、その点が非常に曖昧です。まず、自分が発表した談話でありながら、「私は(どう考える、どうする)」という出だしには全然なっていません。どちらかと言うと、「私たちは」という、第三者的で他人事のような表現になっています。そして、一応は「戦争で周辺諸国に迷惑をかけた」という表現になっていますが、そこでも「欧米諸国が経済のブロック化を進めたので日本は大きな打撃を受けた」と、暗に戦争責任を他者に転嫁する姿勢が顔をのぞかせています。他にも、帝国主義戦争でしかない日露戦争をあたかも自衛戦争であるかのように描き出して、過去の日本の行為を正当化したり、「戦争には何ら関わりのない子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、まるで居直っているとしか思えない箇所が随所に見られます。

 しかし、事実はどうでしょうか。
 確かに、アジア諸国の中では、日本と東南アジアのタイだけが欧米諸国の植民地にはなりませんでした。それは、明治維新などの日本自身の努力だけでなく、日本に進出してきた外国勢力が互いに張り合った為に、かろうじて独立を保てたからでもあるのですが。その中で日本は、単にタイのように独立を維持しただけでなく、軍事大国として他の欧米諸国と同じように、アジアを侵略していくようになります。国内では富国強兵政策の下で、「女工哀史」や「蟹工船」などの小説に見られるように、農民や労働者を奴隷のようにこき使い、その犠牲の上に立って。
 それに対して、アジア諸国も、やがて欧米諸国や日本の侵略に対抗する知恵を身に付けるようになります。最初は、「太平天国の乱」「セポイの乱」「東学党の乱」のような土人の反乱に止まっていたのが、やがて孫文やガンジー、スカルノやホーチミンなどの指導者によって、西欧から学んだ人権や民主主義の思想も取り込んで、民族自決権や民族主義を掲げて植民地からの独立を要求するようになってきます。それが安倍談話の中にある「第一次大戦後の脱植民地化や戦争違法化の動き」となって現れたのです。
 このアジア諸民族の覚醒(かくせい)や「脱植民地化や戦争違法化の動き」に気付かず、日本が相も変わらずアジア諸国を「遅れた植民地」としか見なせず、国内においても国民の自由と人権を抑圧してきた所に、日本がその後、孤立を深め戦争に至った真の原因があるのです。国民の自由や権利を抑圧し、貧しい生活のまま抑えつけた為に、国内の消費市場が拡大せず、自国の製品を売る為には新たな植民地を手に入れる他ありませんでした。その為に、満州事変などを引き起こし、次第に欧米諸国とも対立し、経済封鎖で追いつめられていったのです。何の事は無い。「欧米諸国による経済のブロック化」も、元をただせば「自業自得」の結果にしか過ぎなかったのです。

 その「自業自得」を他者に責任転嫁し、被害国だけでなく自国の国民をも戦争にまきこんでおきながら、敗戦の責任も取らずに、今度は国民に責任をなすりつけ、「私たちは心に留めなければなりません」「私たちは思いを致さなければなりません」とは、一体何たる言い草かと思いますね。そりゃあ、国民にも戦争責任は大いにありますよ。いかに自由や人権を抑圧されていたとは言え、努力すれば真実を知る事もある程度できたのに、政府やマスコミの言いなりになって、アジア侵略に加担した責任は当時の国民にも勿論あります。だからこそ、戦後、少なくない国民が、原水禁運動や安保条約改定反対、沖縄返還運動やベトナム反戦運動に立ち上がり、自民党による憲法改悪の企てを阻止してきたのでしょう。
 それに対して、安倍はどういう態度を取っているか。今も、「平和を守る為」とか「中国や韓国、北朝鮮による領土侵犯から国を守る」とか言いながら、中国や北朝鮮とは何の関係もない地球の裏側まで、米国の言いなりになって派兵する「戦争法案」を強行採決し、国民の自由と人権を抑圧する「憲法改正」を目論んでいるではないですか。「ホルムズ海峡を守る為」とか言いながら、親日国のイランまで敵に回そうとしているじゃないですか。「満州は日本の生命線」とか言って、国民を侵略戦争に駆り立てていった昔と一体どこが違うのか。「私たちは心に留めなければなりません」「私たちは思いを致さなければなりません」とは、私たちに言うより前に、まず己自身が今までの過去を悔い改めて率先垂範すべき言葉ではないか。

 だから、今回の安倍談話に対しては、欧米のメディアも辛辣(しんらつ)な評価しかしていないでしょう。いわく、「侵略行為や植民地化に対するお詫び」には一応言及したが、自分の言葉としては決して語らず、過去の内閣談話を踏襲する形で、「もうこれで良いでしょう」と、渋々反省してみせただけだ。そのくせ、「日露戦争ではアジアに希望を与えた」と、白を黒と言いくるめるような事を言っている。おまけに、「戦争には何ら関わりのない子孫に謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません=もう謝罪はこれっ切りにしましょう」と、居直りとしか取れないような事まで言って・・・と言うように。ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)やニューヨーク・タイムズ(NYT)、ロイターやBBC、AFPも、おしなべてそういう評価しかしていないではないですか。
 中国や韓国から何度も謝罪を迫られるのも、いくら形だけ謝罪しても、言った尻からそれをぶち壊すような事を今まで政治家が言い、それが何度も繰り返されて来たからです。その為に、戦争反対の国民や海外で人道復興支援に尽力しているNGO関係者まで「安倍の手先」みたいに思われて、後藤さんみたいにIS(イスラム国)に殺害される人間まで出てくるようになってしまったのです。確かに、今の中国も、チベットやウイグルなどの少数民族を抑圧したり、国内で言論の自由を抑圧したりしていますが、だからと言って、それが過去に日本がやった事の言い訳には全然なりません。それは、「他人が泥棒やっているから自分もやって良い」という理屈が通らないのと同じです。
 なお、WSJやNYTの報道とは対照的に、米国政府はどちらかと言うと今回の安倍談話を歓迎しているようですが、これも安倍が談話の中で「戦争法案」推進の姿勢を明らかにしたからであって、別に安倍の復古姿勢まで評価した訳ではありません。安倍がいい気になって余り突出し過ぎると、米国も次第に警戒感を示すようになるでしょう。(参考記事

 そういう意味では、今回の安倍談話も、セクハラ親父やパワハラ親父の弁解とさほど変わりません。散々、部下にセクハラを働いたり暴力を振るってきたブラック企業の上司が、ついに立ち上がった部下に取り囲まれて、渋々反省の弁を述べたものの、その中でも「薄着で挑発した部下が悪い」「仕事が出来ない部下が悪い」と、責任を部下になすりつけている。そんな構図しか思い浮かびません。もし、百歩譲って部下が薄着だったり仕事が出来なかったりしても、それは部下が全て悪いのではなく、エアコンも入れずに仕事もろくすっぽ教えなかった上司にも責任があるのに、その事を棚に上げ、セクハラや暴力行為を正当化できるはずもないのに。
 今回の安倍談話で、内閣支持率が37%から43%にまで回復したそうですが、こんな他人事のような談話で世界に恥を晒しながら、なぜそんな話になるのか不思議です。しかし、これも、今まで上司のセクハラやパワハラを容認してきた社員が、自分達もサービス残業や過重労働を強いられながら会社には何も言えず、部下から抗議されると、「お前が無能だから営業ノルマが達成できないのだ」と、逆ギレ、八つ当たりするしか能がない、「ウチの職場の誰かさん」の図を想像すると何となく理解できますw。その社員(安倍支持者)がまずすべき事は、上司(安倍)と一緒になって被害者(中国や韓国)に八つ当たりするのではなく、上司のセクハラやパワハラを諌め、誰もが気持ちよく働く事の出来る職場(世界)を作る事なのに・・・という事で、この問題でもまた「社畜の奴隷根性」克服の課題に行きついてしまいました。昨今の「右傾化、保守化」ブームも、その正体は、ひたすら時流に便乗し、ただ強い者や権力に媚びるだけの「社畜の奴隷根性」でしょう。

 いずれにせよ、散々、鳴り物入りで報道された今回の安倍談話でしたが、こんな上辺だけの取って付けたような談話なら、何も出さない方がまだマシでした。これが安倍個人の恥だけに止まるならまだ良いでしょう。しかし、安倍個人のせいで、日本の国や国民まで世界から誤解されるようになったのでは、もう堪った物ではありません。
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参考資料:安倍談話と村山談話の全文

2015年08月19日 10時41分58秒 | 戦争・改憲よりも平和・人権
平成27年8月14日
内閣総理大臣談話 [閣議決定]

 終戦七十年を迎えるにあたり、先の大戦への道のり、戦後の歩み、二十世紀という時代を、私たちは、心静かに振り返り、その歴史の教訓の中から、未来への知恵を学ばなければならないと考えます。

 百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました。

 世界を巻き込んだ第一次世界大戦を経て、民族自決の動きが広がり、それまでの植民地化にブレーキがかかりました。この戦争は、一千万人もの戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました。

 当初は、日本も足並みを揃えました。しかし、世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を見失っていきました。

 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。

 そして七十年前。日本は、敗戦しました。

 戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。

 先の大戦では、三百万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱の、遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました。

 戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難などにより、多くの無辜の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。

 何の罪もない人々に、計り知れない損害と苦痛を、我が国が与えた事実。歴史とは実に取り返しのつかない、苛烈なものです。一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。

 これほどまでの尊い犠牲の上に、現在の平和がある。これが、戦後日本の原点であります。

 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。

 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、もう二度と用いてはならない。植民地支配から永遠に訣別し、すべての民族の自決の権利が尊重される世界にしなければならない。

 先の大戦への深い悔悟の念と共に、我が国は、そう誓いました。自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました。七十年間に及ぶ平和国家としての歩みに、私たちは、静かな誇りを抱きながら、この不動の方針を、これからも貫いてまいります。

 我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。

 こうした歴代内閣の立場は、今後も、揺るぎないものであります。

 ただ、私たちがいかなる努力を尽くそうとも、家族を失った方々の悲しみ、戦禍によって塗炭の苦しみを味わった人々の辛い記憶は、これからも、決して癒えることはないでしょう。

 ですから、私たちは、心に留めなければなりません。

 戦後、六百万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実を。中国に置き去りにされた三千人近い日本人の子どもたちが、無事成長し、再び祖国の土を踏むことができた事実を。米国や英国、オランダ、豪州などの元捕虜の皆さんが、長年にわたり、日本を訪れ、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている事実を。

 戦争の苦痛を嘗め尽くした中国人の皆さんや、日本軍によって耐え難い苦痛を受けた元捕虜の皆さんが、それほど寛容であるためには、どれほどの心の葛藤があり、いかほどの努力が必要であったか。

 そのことに、私たちは、思いを致さなければなりません。

 寛容の心によって、日本は、戦後、国際社会に復帰することができました。戦後七十年のこの機にあたり、我が国は、和解のために力を尽くしてくださった、すべての国々、すべての方々に、心からの感謝の気持ちを表したいと思います。

 日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。しかし、それでもなお、私たち日本人は、世代を超えて、過去の歴史に真正面から向き合わなければなりません。謙虚な気持ちで、過去を受け継ぎ、未来へと引き渡す責任があります。

 私たちの親、そのまた親の世代が、戦後の焼け野原、貧しさのどん底の中で、命をつなぐことができた。そして、現在の私たちの世代、さらに次の世代へと、未来をつないでいくことができる。それは、先人たちのたゆまぬ努力と共に、敵として熾烈に戦った、米国、豪州、欧州諸国をはじめ、本当にたくさんの国々から、恩讐を越えて、善意と支援の手が差しのべられたおかげであります。

 そのことを、私たちは、未来へと語り継いでいかなければならない。歴史の教訓を深く胸に刻み、より良い未来を切り拓いていく、アジア、そして世界の平和と繁栄に力を尽くす。その大きな責任があります。

 私たちは、自らの行き詰まりを力によって打開しようとした過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる紛争も、法の支配を尊重し、力の行使ではなく、平和的・外交的に解決すべきである。この原則を、これからも堅く守り、世界の国々にも働きかけてまいります。唯一の戦争被爆国として、核兵器の不拡散と究極の廃絶を目指し、国際社会でその責任を果たしてまいります。

 私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、そうした女性たちの心に、常に寄り添う国でありたい。二十一世紀こそ、女性の人権が傷つけられることのない世紀とするため、世界をリードしてまいります。

 私たちは、経済のブロック化が紛争の芽を育てた過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、いかなる国の恣意にも左右されない、自由で、公正で、開かれた国際経済システムを発展させ、途上国支援を強化し、世界の更なる繁栄を牽引してまいります。繁栄こそ、平和の礎です。暴力の温床ともなる貧困に立ち向かい、世界のあらゆる人々に、医療と教育、自立の機会を提供するため、一層、力を尽くしてまいります。

 私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます。だからこそ、我が国は、自由、民主主義、人権といった基本的価値を揺るぎないものとして堅持し、その価値を共有する国々と手を携えて、「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります。

 終戦八十年、九十年、さらには百年に向けて、そのような日本を、国民の皆様と共に創り上げていく。その決意であります。

平成二十七年八月十四日
内閣総理大臣  安倍 晋三

http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/discource/20150814danwa.html

「戦後50周年の終戦記念日にあたって」(いわゆる村山談話)
平成7年8月15日

 先の大戦が終わりを告げてから、50年の歳月が流れました。今、あらためて、あの戦争によって犠牲となられた内外の多くの人々に思いを馳せるとき、万感胸に迫るものがあります。
 敗戦後、日本は、あの焼け野原から、幾多の困難を乗りこえて、今日の平和と繁栄を築いてまいりました。このことは私たちの誇りであり、そのために注がれた国民の皆様1人1人の英知とたゆみない努力に、私は心から敬意の念を表わすものであります。ここに至るまで、米国をはじめ、世界の国々から寄せられた支援と協力に対し、あらためて深甚な謝意を表明いたします。また、アジア太平洋近隣諸国、米国、さらには欧州諸国との間に今日のような友好関係を築き上げるに至ったことを、心から喜びたいと思います。
 平和で豊かな日本となった今日、私たちはややもすればこの平和の尊さ、有難さを忘れがちになります。私たちは過去のあやまちを2度と繰り返すことのないよう、戦争の悲惨さを若い世代に語り伝えていかなければなりません。とくに近隣諸国の人々と手を携えて、アジア太平洋地域ひいては世界の平和を確かなものとしていくためには、なによりも、これらの諸国との間に深い理解と信頼にもとづいた関係を培っていくことが不可欠と考えます。政府は、この考えにもとづき、特に近現代における日本と近隣アジア諸国との関係にかかわる歴史研究を支援し、各国との交流の飛躍的な拡大をはかるために、この2つを柱とした平和友好交流事業を展開しております。また、現在取り組んでいる戦後処理問題についても、わが国とこれらの国々との信頼関係を一層強化するため、私は、ひき続き誠実に対応してまいります。
 いま、戦後50周年の節目に当たり、われわれが銘記すべきことは、来し方を訪ねて歴史の教訓に学び、未来を望んで、人類社会の平和と繁栄への道を誤らないことであります。
 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し、それを通じて、平和の理念と民主主義とを押し広めていかなければなりません。同時に、わが国は、唯一の被爆国としての体験を踏まえて、核兵器の究極の廃絶を目指し、核不拡散体制の強化など、国際的な軍縮を積極的に推進していくことが肝要であります。これこそ、過去に対するつぐないとなり、犠牲となられた方々の御霊を鎮めるゆえんとなると、私は信じております。
 「杖るは信に如くは莫し」と申します。この記念すべき時に当たり、信義を施政の根幹とすることを内外に表明し、私の誓いの言葉といたします。

http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/danwa/07/dmu_0815.html
(注)「杖るは信に如くは莫し」=「よるは しんに しくは なし」と読む。 中国の成語で、「頼りとするものとしては、 信義に勝るものはない。」という意味になる。
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