実は今年はリアルでも年賀状を出さずに済まそうと思っていました。しかし思い直して、やっぱり出す事にしました。
故に今年の年賀状は、急ごしらえで手書きの上記のものになりました。
改めて、明けましておめでとうございます。本年も宜しくお願い申し上げます。
リアルでも今年は年賀状なんてナシにしようと思ったのは、ただ単純に邪魔くさくなったからです。
早や非正規雇用となって今年で満10年。我々にとっては盆も正月も普段と何ら変わらない。
会社が決めた勤務シフトに沿って、出勤日と定休日が繰り返すのみ。
寧ろ、クリスマスや盆・暮れなんて、はっきり言って「普段より仕事が増えて帰りも遅くなってシンドイだけ!」。
何も楽しい事なんてない。ちょっぴりあるとすれば、僅か数千円かの正月出勤手当が出る事ぐらいか。
それでも、今までの身近な知人や懐かしい友人には、新年の挨拶を欠かさずに来ました。
中には、もうずっと会う事も話を交わす事もなくなり、新年の挨拶のみが近況を知る唯一の機会となった知人もいます。
出す賀状の枚数もたかが知れているので、いちいち住所録を作って誰に出したかなんて控えていませんでした。
そのうちに、知人の中には、いつの間にか音信が途絶えたり、喪中で賀状を出せない人も出てきました。
片や私の方も、祝祭日も盆・正月も普段と変わらない、無味乾燥な勤務シフトをこなすうちに、
自分たちはずっと蚊帳の外に置かれながら、ひたすら惰性で世間に合わせて年賀状を出すのが、もうバカらしくなってきました。
それに加えて、パソコンの買い替え・処分、設定・ネット接続、プロバイダの乗り換え手続きなどがこの時期になってしまった事や、
大晦日からこの方、急に体調を崩してしまった事もあって、もう年賀状どころではなくなってしまいました。
普段と全然変わらず、寧ろより忙しい中で、こんな七面倒くさいモノをわざわざ書く事もないだろう、と。
そんなこんなで、別に世間を拗ねてとかではなく、ただ単純に出すのが邪魔くさくなった。ただそれだけです。
ただ、無意識の根底の所には、やはりそういうモヤモヤ感もずっと引きずっていたように、自分でも思います。
でも、こちらが出さなくても相手からは年賀状は来ます。最低限、来た人には返事の賀状を書かなければ失礼に当たります。
そこで、賀状を書き始めているうちに、次第に懐かしさもこみ上げてきて、やはり正月ぐらいは年賀状を出そうかと、思い直す事に。
もっとも、身近な知人には、上記のような大上段な文面ではなく、もっと簡単な手書きの年賀状を送りました。
しかし、当ブログ読者の皆さんには、当たり障りのない社交辞令だけで済ますのは、やはり勿体ない。
これ位の抱負は語っても良いかと。そういうつもりで書きました。
来年からは、少なくともリアル知人の中でも同じ非正規の仲間には、「目くらましの絆」や通り一遍の社交辞令ではなく、
もっと労働者の本音も交え「解放への連帯」色も少しは押し出した、それなりに「闘う年賀状」を送るつもりでいます。
流通企業の社員や非正規労働者にもクリスマス・正月休みを!
休めるだけの賃金と余裕を!
クリスマスや正月は、別に「勝ち組」だけのモノじゃないぞ!
こちとら普段以上に仕事がキツイのに、何がクリスマス・イブか!初詣か!
「絆」か!「一つになろう」か!バカにするな!!
実際には経営者第一のくせに、心にもない顧客第一なんて言葉でごまかすな!
顧客だけでなく労働者も含めた人間第一でなければならない筈だ!
大多数の犠牲の上に一部だけが肥え太るだけの競争なぞ何の意味もない!
これ以上何を我慢しろと言うのか!
搾取への怒りを「目くらましの絆」や「公務員叩き」などの矛先逸らしでごまかすな!
震災を口実にした「焼け太り」を許すな!(消費税・TPP・震災リストラ・原発復権etc)
俺たちは会社の奴隷やないぞ!
いつまでも橋下や石原なんかに飼いならされたままではいないぞ!!・・・等々。
勿論、相手やTPOとの兼ね合いも考えながら・・・ですが。どこまで出来るか分かりませんが。
2012年正月 プレカリアート@アフガン・イラク・北朝鮮と日本
私の方も元旦はお休みでしたが、2日からは仕事です。知人が立ち上げた会社に入ってからというもの、一昔前の栄養ドリンクのCMではありませんが「24時間戦えますか」状態です。
また、大阪に行く機会がありましたら、どこかで飲みたいですね。