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JCO事故と六ヶ所村の悲劇から何を学ぶか

2011年06月26日 23時43分44秒 | 福島の犠牲の上に胡坐をかくな
六ヶ所村ラプソディー [DVD]
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紀伊國屋書店


朽ちていった命―被曝治療83日間の記録 (新潮文庫)
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新潮社


 この前の休みに脱原発映画の「六ヶ所村ラプソディ」を観た帰りに、本屋で偶然見つけた文庫本の「朽ちていった命」を買って読みました。当初は「六ヶ所村ラプソディ」の感想だけをブログにアップするつもりでしたが、後で買った文庫本のほうに惹きつけられて、当日のうちに一気に読み終えてしまいました。だから、まず最初に後者の「朽ちていった命―被曝治療83日間の記録」(新潮文庫)のほうから、読んだ感想などについて書いてみたいと思います。

 この文庫本は、JCO臨界事故を取り上げたものです。当該事故は、1999年に茨城県東海村にあるJCOという会社で起きた放射能被曝事故です。高速増殖実験炉「常陽」で使用されるウラン濃縮燃料を、規定外のバケツと漏斗を使っての手作業で製造した為に、臨界(核分裂反応が持続する状態)を引き起こしてしまい、二名の作業員の方が致死量の放射線を浴びて亡くなりました。
 しかし、この作業員の方は直ぐに亡くなった訳ではありません。当初は目立った外傷もなく、意識もはっきりしていて、看護婦さんと冗談も交わしたりしていました。ところが実際は、体内のDNAや染色体が、被曝によって悉く破壊されてしまっていたのです。これは新たな細胞が再生されない事を意味します。
 その結果、当初は元気だった作業員の方も、身体が内部から壊れていくように、皮膚・内臓器官・免疫機能・造血機能が徐々に失われていき、散々苦しみぬいた末に、変わり果てた姿で死んで行きました。その時に、作業者のひとり大内さんの治療に携わった医療関係者の挑んだ壮絶な記録が、この「朽ちていった命」です。同様の内容が下記動画の形でもアップされています。まずはそちらからご覧下さい。全5編に分かれた長い動画で、中にはショッキングな映像も出てきますが、どうか目をそらさずに全てご覧下さい。

東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故 1


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・2


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・3


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・4


東海村JCOバケツ臨界ウラン放射線・放射能被爆事故・5


 どうです、ご覧になった感想は。私がまず思ったのは次の二点です。まず最初に押さえておかなければならないのは、これは「決して個人の不注意による事故ではない」という点です。
 「規定外のやり方で作業が行われていた」と書きましたが、実際は当初のマニュアルが有名無実化してしまっていて、作業員への安全教育が全く為されなった中で、違法で危険な我流作業が「会社ぐるみで」まかり通ってきたのです。何故このような事になったのか。恐らく、当初のマニュアル自体も、決して現場の実情を反映したものではなく、所詮は「見てくれ」に過ぎなかったのではなかったか。
 これは大なり小なり、どこにでもある話ではないでしょうか。過去の幾多の食中毒事件や食品公害の例でも明らかなように。原発関連産業と言えども例外ではなかった。それどころか、寧ろ秘密のベールにつつまれた原発産業だからこそ、「原発ジプシー」に象徴されるような暗部が、これまで明るみに出なかったのではないでしょうか。

 もう一つは、放射能の汚染や被曝が、実際にはどれだけ恐ろしいものかという事を、初めて白日の下に曝け出されたという事です。日本は「唯一の被爆国」と言われるだけあって、放射能汚染の恐怖は国民一人一人に浸透しています。でも、それは長年に渡る政府の「核隠し」政策の影響もあって、「科学的裏づけ」「被曝者連帯の精神」「核を弄ぶ者への怒り」等を欠いた、単なる忌避感情に止まってしまっていました。だから、「唯一の被爆国」であるにも関わらず、被爆者へのいわれなき差別や、根拠なき「原発安全神話」がまかり通ってきたのです。

 これを木っ端微塵に打ち砕いたのが、スリーマイルやチェルノブイリの事故であり、このJCO事故や今の福島原発事故ではないのか。なるほど、放射性物質は目には見えないし臭いも無い。よっぽど大量に被曝しなければ、身体に直ぐに変化が現れない。この東海村臨界事故でもそうだった。しかし、身体はその後どうなっていったか。身体を貫いた放射線の影響で、身体は免疫機能や再生機能が失われ、徐々に壊れていった。現代医学の粋を以ってしても、それに太刀打ち出来なかった。
 では、致死量の放射線さえ浴びなければそれで良いのか。実際には、致死量の8シーベルト(8000ミリシーベルト)と1ミリシーベルトの違いは、後者は前者よりも死ぬ確率が、何十分の一か何百分の一か小さいというだけで、決して後者が安全という訳ではないのです。それが証拠に、レントゲン技師などの医療被曝の問題が、今までも問題になってきました。


 その事実を、日本のマスコミは今まで隠蔽し、代わりに原発や核兵器の「安全神話」を撒き散らしてきたのです。「核の平和利用」だとか「管理さえすれば安全」だとか詭弁を弄しながら。でも実際の原発は、「トイレ無きマンション」「海暖め装置」と揶揄されるように、再処理技術も未確立のまま、放射能・核廃棄物・温排水を地球環境に放出してきました。燃料がそのまま核兵器製造に転用できるからこそ、公害垂れ流しで経済コストもかかり、一旦事故があれば取り返しのつかない事になる原発に、ここまで固執してきたのでしょう。実際には、代替エネルギーの開発をサボりまくってきたくせに、二言目には代替エネルギーが確保出来ないと言いながら。
 そうして、下記の映画「六ヶ所村ラプソディー」予告編動画にもあるように、核燃料再処理工場を金の力で地方に受け入れさせてきた。「工場を受け入れたら、役場や図書館もキンピカのものに作り変えてやる」とか「工場で雇ってやる、仕事も回してやる」といって、地元の反対運動を金の力で押し潰してきた。

六ヶ所村ラプソディー予告編 Rokkasho Rhapsody


 その結果どうなったか。青森県六ヶ所村では、「むつ小川原」の巨大コンビナート開発計画が惨めに頓挫し、石油備蓄基地でも穴埋めが出来ずに、国策に翻弄された挙句に、核燃料再処理工場を呼び込んでしまったのです。
 その結果、工場のお零れで地元は多少潤った代わりに、丹精込めて作った花卉栽培や有機農法の野菜も、風評被害で徐々に売れなくなってしまった。豊かな漁場も、工場から出る廃液の所為で衰退してしまった。そんな歴史が、今まで六ヶ所村では繰り返されてきたのです。
 農地や漁場を奪われた住民は再処理施設で働かざるを得なくなりました。かつて反対運動に立ち上がった住民も、貝のように口を閉ざしてしまいました。「安全神話」を無理やり自らに言い聞かせながら。

 しかし、福島ではその結果どうなってしまったか。今般の原発事故で、故郷そのものを捨てざるを得なくなってしまったではないか。今までの「原発のお零れ」なんかでは到底穴埋めできない程の、甚大な被害を蒙ってしまったではないか。「奴隷根性」の見返りに、何百倍、何千倍もの「しっぺ返し」を蒙る破目になってしまったではないか。その責任は一体誰が取るのか。
 これは何も日本の例だけではありません。英国セラフィールドでも、六ヶ所村に先立つ形で再処理施設が作られました。その結果、地元のアイリッシュ海が「死の海」と化してしまった末に、セラフィールドの再処理施設は閉鎖へと追い込まれてしまいました。

 まずは、その事実から出発するしかありません。それこそが、六ヶ所村やJCO事故から私たちが学ぶべき事ではないでしょうか。そういう意味では、これらの事故の悲劇は、決して過去の話なんかではありません。今も現在進行形の事態なのです。昨日の六ヶ所村・東海村・セラフィールドが今の福島であり、それを未来の日本にしない為に、私たちが今何が出来るかを考えなければならないのです。
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