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旧生駒トンネルにまつわる怪談話

2007年09月01日 01時19分46秒 | 身辺雑記・ちょいまじ鉄ネタ
 

●夏の最後は心霊スポット散策で締めくくり

 今日の休みは、心霊スポットとしても有名な旧生駒トンネルを散策してきました。心霊スポットの探索を思い立ったキッカケは、ブログ更新の合間にホンの息抜きで見ていたオカルト・サイトのインターネットです。それで暑気払いを兼ねて、近場でそんなに金もかからず、尚且つ新アフガン板の作風にもマッチした所をという事で選んだのが、この旧生駒トンネル。以前見た映画「パッチギ」第一作に、主人公の日本人高校生が在日の母親から「生駒トンネル誰が掘ったか知っているか!」と言われた場面があったのも思い起こしながら、訪ねる事にしました。

●当地にまつわる因縁話

 旧生駒トンネルは、当時の大阪電気軌道(後の参宮急行、現在の近鉄奈良線)が大阪・奈良間にある生駒山地をぶち抜いて、2年7ヶ月の歳月をかけて1914年に完成させたものです。それから1964年に現在の新線に切替わるまで使用されていましたが、工事に際しては朝鮮人労働者を初め多数の坑夫が事故で亡くなっているので、完成後も怪異譚が後を絶ちませんでした。例えば、奈良行最終電車がトンネルに差し掛かるとそれまで閑散としていた車内が亡霊で一杯になるとか、トンネル内で人の声が聞こえたとか亡霊を見たとか。実際、開通後も大きな鉄道事故が何度も起こっているのです(但しこの事については後述)。それで近鉄としても放っておけず、亡霊避けの為に、最終電車の後にわざわざ回送電車を走らせたりとか、トンネル近くの石切駅の時刻表にだけ、わざわざもう一本後の架空のダイヤを載せたりしたとか(ここまで来るともう笑い話に近い)。今日見てきた限りでは、当然ながらそんな架空のダイヤなぞは設定されていませんでしたが。
 そういう歴史的背景もあるので、私としては、ただ単に心霊スポット探訪記とするのではなく、社会勉強の気持ちも持っていました。まずは地元の府立図書館で参考文献(田中寛治・他共著「旧生駒トンネルと朝鮮人労働者」国際印刷出版研究所・刊、左上写真)を借りて、奈良県生駒市の宝徳寺境内にある韓国人犠牲者慰霊碑(1977年に近鉄が建立、中央上写真)に参った上で、くだんの心霊スポットを散策してきました(右上写真)。

●現地の様子

 このトンネルは、新線切り替え後は鉄道としては使用されていませんが、奈良県側は現在のトンネルにも通じている事から、今も保線工事用の搬入口として使われ、構内には高圧線の電力ケーブルも通っています。その為、トンネルの大阪府側は無断立入禁止の掲示がされ監視カメラ付きの扉で閉鎖されています(記事の写真参照)。但し、その直ぐ横の孔舎衛坂(くさえざか)旧駅プラットホームの遺構には小さな祠があり、地元のハイキングコースの一部にもなっているので、トンネルの直ぐ近くまで行く事が出来ます。
 また、事前にインターネットで調べた通り、直ぐ傍まで新興住宅地が迫っており近くには如何にもセレブ御用達といった感じの私立保育園まであって、実際は「只の産業遺跡」でしかありませんでした。この辺の感覚は、同じく心霊スポットとして有名な京都の深泥池とも似ています(ここも何度か行った事がある)。ただ、夜行くとまた感じが違うかも知れません。高台の見晴らしの良い所にあるので「ここから大阪平野の夜景を見たらさぞかし綺麗だろうなあ」と思いました。今度来るとしたら桜か紅葉の季節にしよう。

●終戦直後の鉄道大事故

 前述の旧生駒トンネルにまつわる鉄道事故についても少し調べました。その中で取り分け目を引いたのが、1946年のトンネル内車両火災事故と、1948年の急行暴走衝突事故です。
 前者はトンネル奈良県側出口付近で発生した車両火災で、風下の奈良県側に逃げた乗客は殆どが煙に巻かれて亡くなったのに対し、出口からは遠いが風上に当る大阪府側に逃げた乗客はほぼ無傷で生還したそうです。また後者の電車暴走事故は、奈良発大阪上本町行き急行が生駒トンネル出口でブレーキ故障を起こして暴走を初め、今の河内花園駅付近で先発の普通電車に衝突して数十名の死者を出した大惨事です。
 ただこの後者の暴走事故については、これでも犠牲者が最小限に食い止められた稀有の事例なのだそうです。何故なら、この暴走電車にたまたま乗り合わせた警察官や鉄道関係者のリーダーシップによって、空気抵抗を少しでも増す為に窓を全開にさせたり、乗客を出来る限り後部車両に避難させて床に伏せさせたり、運転士も何とか減速しようと運転レバーをバック運転に切り替えて停止させようとしたり(但しこれは暴走でパンタグラフが架線から遊離してしまってモーターが駆動せず適わなかった)、間にもう一本走っていた先行の準急電車を途中駅からの緊急通報で急遽待避線に逃がして、こちらの場合は間一髪でやり過ごしに成功したからです。この一番最初の準急電車に衝突していたら死者はもっと増えていただろうと言われています。
 この後者の事故で惜しむらくは、何故この時点で奈良線全線の運転を見合わせなかったという事です。当時は恐らく車内列車無線設備なぞなかったので、暴走原因がブレーキ故障である事までは外部に伝わらなかったのかも知れません。私としてはそれに加え、トンネル出口から大阪側に続く長い下り勾配で加速した電車が、よくぞ瓢箪山付近の大カーブを曲がる事が出来たものだと思いました。

●水車遺構と新興宗教のメッカ

 またこの生駒山地は昔から数々の遺構・遺跡がある事でも有名です。古くは、河内七谷と総称される生駒山西麓の7つの谷沿いには多数の水車があって、製粉や漢方薬の製造に使われていたそうです。しかし今はもう廃れて水車も無くなってしまいました。それどころか、今までの度重なる生駒トンネル掘削や山頂付近の生駒信貴スカイラインの建設によって、一部には水が涸れ始めた谷も出てきたそうです。
 そしてこの河内七谷には、「デンボ・オデキの神様」で有名な石切神社を初めとして、とりわけ旧生駒トンネルからも程近い辻子谷(づしだに)や額田谷を中心に、宗教法人としての登録もしていない小さなものも含め、新興宗教の聖地が多数分布している事でも知られています。知る人ぞ知る新興宗教のメッカで、心霊スポットも、旧生駒トンネルにも況して劣らず有名な暗峠越え旧奈良街道が近くにあります。この峠越えの旧街道は、名前こそ二級国道の308号線ですが急坂一車線で交通量も殆ど無く、付近には古戦場もあって夜はタクシーも通りたがらないとか。

●オカルト話の真偽

 再び心霊スポットの話に戻りますが、朝鮮人強制労働の歴史に加え、付近が新興宗教のメッカである事や、終戦直後の相次ぐ鉄道事故多発(その多くは戦争中の整備不良と酷使によるもの)が加わって、次第に因縁めいた話になっていったのではと思います。それとこれは私が思うに、生駒山地(断層帯が走っている)特有の地磁気の乱れや電磁場の影響が微妙に人体に影響を及ぼして、そこに「怖いものみたさ」の精神状態が加わって、人によっては幻覚を見たりするのではないかと思っているのですが。実際、旧生駒トンネルにも直ぐ横に電波塔や近鉄の変電所があり電力ケーブルも通っています。携帯で撮った写真がなかなか送信出来なかったのも、多分その所為では。
 はっきり言って、細木数子や下ヨシ子の霊力&財力で何でも解決するなら、これほど楽な事は無い。今頃はとっくに自民党政権が崩壊して民主連合政府が出来ている筈です。でも、そうならないのは何故? 生駒の韓国人犠牲者慰霊碑にお参りした帰りに高市早苗&安倍晋三ツーショットの自民党ポスターを見かけましたが、こいつらこそ、我々今のワーキング・プアの先輩筋でもある朝鮮人・日本人犠牲者坑夫の呪いを受けるべきでしょう・・・と、まあ色々書きましたが、やはりそうは言っても夜は余り行きたくはないです、こんな所には。

(参考記事)
旧生駒トンネル
 前掲書「旧生駒トンネルと朝鮮人労働者」に既出の韓国人坑夫慰霊碑の写真などもアップされている。
近鉄日本鉄道・旧生駒トンネル
 私が撮ってきた写真よりもこちらの方が数も多く分りやすい。
奈良線旧生駒トンネル
 近鉄奈良線の新・旧線と東大阪(けいはんな)線の、3つの生駒トンネルがある事に注意。当記事で取り上げているのは、そのうちの旧生駒トンネル(引用図中の赤線表示部分)の事です。
・新旧生駒トンネルにまつわる鉄道事故の話については、いずれもウィキペディアの生駒トンネル近鉄奈良線列車暴走追突事故の両項目を参照の事。
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