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アフガン・イラク・北朝鮮と日本

黙って野垂れ死ぬな やられたらやり返せ 万国のプレカリアート団結せよ!

どうせなら反ファシズム博物館に造り替えよう

2012年09月07日 00時53分17秒 | 都構想・IRカジノ反対!
 橋下大阪市長や松井大阪府知事が大阪人権博物館(浪速区芦原橋にある通称「リバティおおさか」)の展示に対して、やれ「内容が分かりにくい、差別や人権を強調し過ぎる、偏っている」「展示内容がネガティブで、これでは子供が希望を持てない、頑張ろうという気持ちになれない」なぞと難癖を付け、補助金削減や大阪国際平和センター(中央区森ノ宮にある通称「ピースおおさか」)との統廃合、果ては右派の展示も受け入れた「近現代史博物館」への改組まで打ち出しています。それを聞いて、「そもそも人権博物館なのだから差別・人権中心の展示なのは当然だろう」が、まずは「百聞は一見にしかず」という事で、「リバティおおさか」と「ピースおおさか」の展示を両方見てきました。
 当初は午前中一杯、遅くても午後2時位には両方見終わるだろうと踏んでいましたが、とてもそんな短時間では見れません。結局ほぼ丸一日かかってしまいました。

・大阪人権博物館:リバティおおさか支援、「全国ネット」結成集会(毎日新聞)
 http://mainichi.jp/area/news/20120722ddn041040007000c.html

  
   

 まずは午前中に「リバティ大阪」の方から見始めました。10時半過ぎに着いたので、1時間位見てお昼でも食べようと思っていたのが、結局午後1時過ぎまでかかってしまいました。ちょうど別室で福島菊次郎氏の写真展をやっていたのですが、この展示が思った以上に素晴らしく、時間を大幅に超過してしまいました。
 一介の出征兵士に過ぎなかった氏がプロの報道写真家に変わるきっかけになったのが、原爆被爆者との出会いでした。国から見捨てられ病院からも追い出され発作にのたうち回りながら、被爆者が氏に託けた「儂の仇を打ってくれ」との遺言が、もう一週間出撃命令が遅れたら自身も広島で被爆していたかも知れない氏を、戦争責任やマイノリティ(少数者)の人権問題に向かわせる事になりました。戦艦乗組員の遺骨を重油まみれで海底に放置し、白木の箱に石ころを詰めて無理やり遺族に遺骨だと思わせ、被爆者も戦争孤児も見捨て、特権層の軍幹部やA級戦犯のみを恩給等で優遇してきた国は、実際は「英霊」を使い捨てにしてきたのだという事が、氏の写真からひしひしと伝わってきます。その権力の不正に対する憤りや弱者に対する優しい眼差しが、やがて後の安保・沖縄・全共闘運動や三里塚闘争、ウーマンリブの写真撮影でも如何なく発揮されます。70年代ウーマンリブのデモで掲げられた「人間の住める社会で住みたい産みたい」という横断幕は、今や当時のウーマンリブの枠を超えて、派遣切りや福島原発事故ともダブって、今の私たちに迫って来ます。それと比べたら、脱原発運動の一部にある「日の丸は認めても労組の旗は認めない」とする姿勢の如何に卑屈・偏狭・セクト的な事か。
 そんなこんなで、大幅に時間を超過してしまいました。それが別室での特別展だったのですが、肝心の常設展示の方は、個々の内容は特別展に負けず劣らず素晴らしかったものの、人権一般という事であれもこれも取り上げすぎて、却って何が言いたいのか分かりにくいものになっていました。 



 上記がその常設展示の見取り図です。博物館設立当初は解放同盟の影響下に問題中心の展示で出発したのが、やがて沖縄やアイヌ、在日朝鮮人など他の少数者に対する差別問題も取り上げるようになったので、この様な展示になったのだとか。その方向性は基本的には正しいと思いますが、それでもHIV・AIDSやDV・虐めから(ゾーン1:テーマ「いのち・輝き」)、ハンセン病・在日・沖縄・アイヌ・障害者・(ゾーン2:「共生社会」)、職業観や受験競争から労働問題(ゾーン3:「夢・未来」)まで広げてしまったのでは、余りにも大雑把過ぎて、もう何が言いたいのか訳が分からなくなってしまいます。そのどれもこれもが、一つの博物館として展示しても良いような大事な問題を、たとえパーテーションで区切ってカテゴリー分けしたとしても、一つの建物の中でしかもワンフロアーで展示する事自体に、無理があるのではないかと思います。
 如何に優れた内容でも、これではワールドカップと世界陸上とメジャーリーグを同じオリンピック会場でやるようなものです。ここは逆に、各テーマ毎に一つの博物館として独立させた上で、通路で結ぶなりした方が却ってすっきりすると思います。或いは、リバティそのものは、かつての姿や今の水平社博物館のように問題だけを展示するようにして、しかし、それだけに止まらず大正区の「沖縄館」(仮称)や生野の「コリア」館(同)、天満橋にある府立労働会館(える大阪)の労働問題の展示などとも連携する形にした方が、見る方にとってもより分かりやすいのではないでしょうか。

  

 午後から回った「ピースおおさか」の方は、私的には「まあこんな物でしょう、可もなく不可もなく」という感じでした。これは決して貶めて言っているのではなく、寧ろ逆に「細かい点については色々あれど、行政それも大阪の超反動府政の下で、よくここまで良心的な展示を維持して来れたな」と評価したい気持ちです。ちょうど「大阪大空襲」特別展の期間中という事もあり、空襲の展示が主流を占めていましたが、それでも満州事変や南京大虐殺、三光作戦や朝鮮の植民地支配の事もきちんと取り上げていて、単に「騙された、苦労した、そのお蔭で今の”平和”と”繁栄”がある」という薄っぺらで平板一色な展示にはなっていませんでしたから。
 その上で欲を言えば、まだまだ教科書的・知識偏重で、単に歴史年表を辿っているだけの観も、決してなきにしも非ずでした。社会科見学と思しき生徒・教師らしき集団もいましたが、子供たちも、ただ遠足気分で騒ぎながら先生に言われて仕方なくメモしていた様に見受けられたのは、非常に残念でした。

 橋下市長は、この「ピースおおさか」と「リバティおおさか」を統廃合した上で、新たに右派の「新しい歴史教科書をつくる会」「日本会議」関係者の意見も取り入れた「両論併記の近現代史博物館」に造り替えるつもりらしいですが、何をか況やです。
 そんな事をしたら、今でも大雑把過ぎて掴みどころのない「リバティ」の展示が、更に掴みどころのない訳の分からないものになってしまいます。しかも、戦争や差別の犠牲になった沖縄やアイヌの展示を、それを征服し支配した明治政府の言い分と一緒に展示するというのですから、「気でも狂ったのか」と言わざるを得ません。
 これは、南アフリカや米国の人種差別の展示をするのに、ネルソン・マンデラやキング牧師の展示と一緒に、旧南ア白人政府やKKKなど人種差別を肯定する側の言い分も展示するという事に他なりません。しかし、そもそも何の為に展示するのでしょうか。単に受験知識を得る為でしょうか。違いますよね。もう二度とこんな過ちを繰り返さない為に、歴史の教訓として展示する訳でしょう。それを差別肯定の旧南ア政府やKKKの言い分も展示してしまったら、また同じ過ちを繰り返す事にしかならないじゃないですか。
 上記「ピースおおさか」写真のうちの真ん中の物が、橋下が学んだ府立北野高校(戦時中は北野中学)の壁に残る米軍機銃掃射の跡です。自分さえ良ければ良いと掃除当番もサボって受験勉強に明け暮れていた当時の橋下に、この様な歴史の真実や平和の尊さや説いた所で、馬の耳に念仏でしかなかったのでしょうが。

 「天動説」と「地動説」を幾ら「両論併記」で取り繕うような真似をしても、それは嘘で真実を帳消しにする事にしかなりません。そんな行為は単なるゴマカシでしかなく、およそ「中立」でもなければ「公平」でもありません。
 そんな事を言い出せば、戦争賛美でとても慰霊施設とは言えない靖国神社付属の博物館(遊就館)の展示も、「両論併記」で三光作戦や31独立運動の写真も展示しなければ、「中立」「公平」ではないですわね。或いは、今の「リバティおおさか」の様に間口を広げて、ポルポトやタリバン、オウム、金正日の肖像画も「現人神」のご真影と一緒に掲げて、「あらゆる専制や個人崇拝、世襲支配を地上から一掃する」とした方が、今の「嫌韓・嫌中国」一辺倒の展示よりもよっぽど、北朝鮮の人権問題を国際世論に訴える事が出来るのじゃあないでしょうかね。

 「リバティおおさか」の展示が分かりにくいのも、徒に間口を広げ過ぎて、北朝鮮拉致被害者や飲酒運転被害者の人権問題まで扱いだした為に、却って訳がわからなくなってしまったのでしょう。ならここはある程度精選すべきです。テーマを「反ファシズム」に絞って、ヒトラーの誕生や欧州戦時下のレジスタンスの歴史から、今の小泉・橋下劇場の問題まで取り上げるようにすれば、見る側も単に歴史の丸暗記ではなく、自分たちに直接関わってくる問題だと認識できるのではないでしょうか。「維新の会」のマスコミ操作やデマビラの展示なんかも是非すべきでしょう。そうする事で初めて、大阪大空襲の犠牲者も、ただ単に「苦労させられた」だけでなく「非道なファシズムの犠牲にされた」事が明らかになるし、そのファシストの生き残りが戦後は米国と、最近は中国とも裏取引して、ずっと日本の政治を牛耳ってきたからこそ、派遣切りや福島の原発事故も起こるべくして起こったのだという事も、初めて明らかになるのではないでしょうか。

 もうそうなったら、橋下は絶対に金を出さないでしょうから、一層の事、完全民営化して財団法人で寄付を募ればどうでしょうか。解放同盟や連合だけでなく、共産党・全労連や、その他の反差別を標榜する全てのNGOや労組が運営の核になるのです。行政関係者も橋下みたいな奴ばかりではなく、中には長野県の中川村長のような真の愛国者もおられるし、保守系の中にも、必ずしもネオコン一色ではない広島・長崎市長や沖縄県知事の様な人や、橋下・松井のやり方には眉を潜めている方も大勢おられる訳ですから、それらの方たちを味方につけつつ国内外の世論に広く訴えれば、もう橋下や松井の顔色をいちいち窺う必要もなくなるでしょう。確かに、思想統制ではなく住民の福利厚生が行政本来の仕事であり、それを踏み外している橋下の方が本当は間違っているのですが、もうここまで来たら、完全民営の反ファシズム博物館として再出発すべき時期に来ているのではないかと思います。但し基調はあくまで「反ファシズム・反差別」ですから、保守の中でも比較的マシな人たちとは共闘しても、たまたま今だけ反橋下に回っているだけの様な、「在特会」崩れの極右なぞは絶対に入れてはなりませんが。
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1 コメント

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記事の補足(mixiボイスの呟きより) (プレカリアート)
2012-09-10 19:41:44
橋下や松井がリバティおおさかの展示に対して、差別・人権に片寄りネガティブな内容だと難癖を付けているが、これの一体どこがネガティブなのだろうか?確かに今の総花的な展示方法には工夫が必要だが内容はこれで充分。この世は弱肉強食、貧乏人は競争の歯車として死ぬまで働けと言う自分たちの方こそよっぽどネガティブ!(09月07日)

私思うに、一番橋下の逆鱗に触れたのは、歴史関係以上に青鞜の展示ではなかったかと。大正時代の出世双六を見て、受験戦争の勝者として天狗になっていた自分を揶揄されたと直感したのでは。そこで何を女子供が生意気なと、平公務員や生活保護受給者を叩く気分で、朝鮮人慰安婦叩きをエスカレートして行ったのではないか。(09月07日)

それでも橋下が支持されるのは、従来のオール与党下での解同・自治労と行政の癒着に対する市民の反発があるから。拉致問題や飲酒運転まで網羅した総花的な展示になってしまったのも、メセナ的な官製人権運動に成り下がってしまったからだろう。橋下の新自由主義に対抗する上でも、これを機にNGO主導の博物館に脱皮すべき。(09月09日)
http://mixi.jp/list_voice.pl
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