脳機能からみた認知症

エイジングライフ研究所が蓄積してきた、脳機能という物差しからアルツハイマー型認知症を理解し、予防する!

100歳の調査

2024年12月28日 | エイジングライフ研究所から
「『100歳✖️100人 元気&長生きの秘訣1万年の健康パワー』見た?面白かったし、納得できた」と友人から連絡がありました。私は見ていなかったので見逃し配信で見ました。
年末のプレゼント企画のようなテレビ番組で、視聴者に老後の指針と元気を与える意図が感じられました。
命あっての物種ですから、体の健康を保つための調査のまとめが紹介されて行きます。
最初に感じた違和感というか疑問が大きくなって行きました。(写真は2024年年末の花)
早いですね!カンザクラ?

ウィキペディアによると「健康寿命とは日常的・継続的な医療・介護に依存しないで、自分の心身で生命維持し、自立した生活ができる生存期間のこと。 
この文章の「自立した生活ができる」ということは健康寿命の大きな柱です。自立した生活にはもちろん前半の文章に書かれているように体の健康が大切です。ただ、よく考えてみると例え寝たきりになったとしても、自分で欲することが明確にわかり、それをを伝えることができる。やってもらったことに対して感謝を伝えることができる。それならば、その生活はその人らしく成り立っていると言えると思うのです。
その時に必須なのは、その一連のことを理解して伝える能力と感謝できる能力。それらを担うのは脳。つまり、体の健康に問題があっても脳の健康に問題がなければ、それは限りなく自立生活に近い生活と言えるでしょう。
イソギク

逆に足腰に何の問題もなく、歩こうとすればいくらでも歩ける状態で、脳の判断力に大きな問題がある時、徘徊につながることがあります。
介護する家族の「寝たきりになって楽になりました」という言葉の何と悲しいことでしょう。
脳が正しい判断ができなくなったら、体の健康はむしろ不要だと…
今が何時か、ここがどこがわからない、ついでに言うとその先には自分が誰かわからなくなる状態が訪れるということは、脳の機能からいって当然起きることです。
さらに考えていくと、もちろん健康寿命とはいえませんが、ベッドに縛り付けられてなお生きている時に、見当識に大きな問題がある状態(今が何時か、ここがどこがわからない、自分が誰かわからない状態)だとしたら、それがどんなに「つらい」状況かということにも、思いを広げていただきたいのです。「健康」を考える時には、体と脳の二つの側面が必要ですね。

元気な100歳という時には、体だけでなく当然脳も元気という前提を見逃すわけには行きません。はっきり言葉にされてはいませんでしたが、
そういう疑問に応えるように番組は展開されて行きました。以下は画面を写真で撮りました。
「100年で一番おもしろかった番組は?」

相撲中継、ニュースと納得のラインナップ。確かにかくしゃくとした高齢者はニュースとスポーツ番組が好きです。続けてなぜこのような番組を見るのか尋ねてくれています。

「最新情報を知っておかなければならない」

「誰かと話題について話したい」
この二つの回答からは、この100歳の方々の意識の中に自分以外の誰かがいることがわかります。
私の体験から言ってもとても納得。
「今度の集まりの時、話をしたいんです」
「夫が死んで戸主ですから、ニュースを言われた時、何のことかわかっていたいんです」
かくしゃくとした高齢者が話した言葉です。
この人は現職で化粧品販売をしていると言われていました。
このようにだんだん生活ぶりにテーマが移って行きました。
次の調査結果も興味深いものです。
座右の銘

そして具体例の紹介です。



100年で一番嬉しかったことは?の第一位は「戦争が終わったこと」

そして、寿命に影響を与える生活習慣ランキング。一位は沖縄で100歳高齢者の生活調査を続ける鈴木医師によって、元気に100歳を迎える必須条件は「つながり」だと明かされました。




そして沖縄でよく行われる「模合」の話がありました。全国的にも「無尽講」「頼母子講」などという名前で行われていた「講」の一種です。私が30年くらい前に沖縄に行った時に保健師さんが「子ども世代が那覇に出て行って、親世代を呼び寄せることが増えてきました。そうすると田舎で出来上がっていた近所付き合いが絶たれてしまって昼間はひとりぼっちという高齢者が増えてきています」
「模合」はどのくらい継続しているのでしょうか?


テレビを見ながら、思い出というか感慨に耽っていました。
私は1991年に東京・神奈川・静岡・愛知在住の超100歳の819人を対象にかくしゃく100歳の調査をしたことがあります。
そのまとめを日本を代表する総合医学雑誌と言われる日本医事新報誌に投稿し採択されました。


脳機能という物差しを用いた調査であったことと、当時はまだ100歳に注目している研究者はいなかったからだと思います。ちなみに100歳の双子「きんさん、ぎんさん」は翌年のデビューでした。
調査とそのまとめが大部であることを主張して、上、中、下での掲載を要求したところ「あくまでその論文ごとに掲載の可・不可を決めるので、上、中、下と論文名に入れることはできない」といわれました。
ところが第一報の採択が決まった時に「『生活実態』に関しては同一題名で1、2としても良い」という知らせが来ました。かくしゃく高齢者の道に進むための鍵は生活実態にあるという主張に光が当たったと達成感を覚えたことが懐かしく思い出されました。
コバノセンナ

それでも、認知症発症に関してはアミロイドβや脳の萎縮などに原因を求めることが学会の主流という状態が、その後30年以上も続いていいます。
この流れを断ち切るためにはもっとマスコミの力が必要なのかもしれません。
少なくともこの番組を見た人たちは、100歳まで心身ともに元気で生きる時には「人とのつながり」が必須であることに気づいてくれたと思うのです。
それは言い換えれば、いつもエイジングライフ研究所が言っている「自分らしく前頭葉をイキイキと使い続ける生活」を意味しています。
ユッカ



私の医事新報掲載の論文
「超100歳老人における『ライフスタイルと脳機能』調査」日本医事新報3542号
「かくしゃく超百歳老人71名の生活実態」(1)日本医事新報3559号
「かくしゃく超百歳老人71名の生活実態」(2) 日本医事新報3567号


by 高槻絹子





鎌倉の古民家縁側カフェ「麻葉屋の勝手口」

2024年12月14日 | 私の右脳ライフ

ポイント使用しての東京ミニトリップの続きです。
1日目は歌舞伎鑑賞。
その後予定通り、夕刻で混雑していましたが新橋駅で友人と無事に出会えました。チェックインした汐留の近代的なホテルでも、おしゃべりに花が咲くのは予想通り。





2日目も6時30分に、新橋駅で友人と待ち合わせ。ホテルでは、昨夜と同様おしゃべりを楽しみました。
3日目はモーニングビュッフェをいただいて、鎌倉に連れて行ってもらいました。

新橋までは歩いて10分なので、当然歩きます。
電通ビル

日本テレビ宮崎駿デザイン

鎌倉…一応小町通を歩きましたが人波に恐れをなして若宮大路へ。

二の鳥居で段葛終了…道幅が狭くなっていました。

今日の目的地はピンポイントで、鶴岡八幡宮の東門を出たところにある古民家縁側カフェ「麻葉屋の勝手口」店名の由来は、玄関から入るのではなく、裏口から入るから。




築100年という昭和の建物を、その雰囲気をできるだけ残しつつ、センスよくカフェに生まれ替わらせています。屋根付きの広い縁側を設けているので古民家縁側カフェなのです。




12月でも風がなく穏やかな日でしたから、縁側でお茶を楽しんでいるお客さんもいました。
普通のコーヒーカップではなく、お茶碗でした。茶道で言えば茶通箱に入れるようなちょっと小ぶりなもので、コーヒーカップの2杯分はあると思いました。

大福餅を炙った麻葉屋餅をいただきました。

店主のこだわりのインテリアにも感心しましたが、元々この家が持っているものたちにも心惹かれました。
襖に織布が使われています。

襖を開け閉めするスペースは網代天井。

これは扉のノブ。

カフェの佇まいもインテリアもこだわりがあり、女性店主も魅力的。お話も興味深いものでしたから、稿を改めて書くつもりです。「麻葉屋の勝手口」ご贔屓に!と言いたくなりました。



by 高槻絹子




時の見当識は生活の基盤

2024年12月13日 | 正常から認知症への移り変わり
昨夜、友人と電話でおしゃべりしました。
「お姉さんが入院して、たまたま入った4人部屋で『毎日楽しいの』って言うのよ」
その内容は同室の人に看護師さんが質問をする「今日の日付けは?」その答え「3月かな」違うといわれたら「6月かな」「今、冬でしょう!」といわれ「ああ。そういえば確かにそうだよね」
そのやり取りがとても珍妙で聞き方によったらユーモアまで感じるということらしいのですが、ユーモアにあふれているわけではなくて、脳機能レベルが中ボケ…前頭葉機能は不合格。脳の後半領域いわゆる認知機能は30点満点のMMSEで言えば20点を切っている。
時の見当識は、ナイナイ尽くしの生活が続いて脳の老化が加速されていくときにはわからなくなる順番が決まっています。
日→曜日→年→月→季節→昼夜。
夜中に騒げば「ボケちゃった」といわれますが、昨日まで普通に生活していた人が突然夜中に騒ぐわけではなく、上のような経過をたどって皆さんが想像するような脳機能からいえば「手遅れの認知症」になっていくのです。

話せば普通ですし、家庭生活は自分でやるのですが、やることなすこと誰かの気配りが必要なレベル。
ただし、いわゆる認知症と断定できるような症状は一つもないという、実にわかりにくいレベルです。
もちろん服薬管理はできません。
「検査だから~しないでください」が守られるはずもありません。
「いなくなった」と大騒ぎされ、思いがけないところで発見される。
食事中「え!それを混ぜるの!」というようなドキッとする食べ方。
もう少し進めば、点滴を抜いたりもします。などなど
気を配らないといけないことが多発していることは病棟では気づかれているはずです。
この患者さんに対して、皆さんは「認知症」とは思わないでしょうが「今、何月かがわからない」という脳機能の状態になっている…このレベルを私たちは中ボケと呼んでいます。中ボケなら進行させないことは可能なのですよ!

以下は2010年7月に投稿した記事の再掲です。
「猊鼻渓舟下り(時の見当識)」写真が恥ずかしい出来ですが…文章ともに多少修正しました。


仕事で気仙沼へ行きましたので途中下車。
岩手県一関市には厳美(がんび)渓猊鼻(げいび)渓という二つの渓谷があります。厳美渓には何度か行って、散策や名物郭公団子を楽しんだことがありますから、一度は猊鼻渓も尋ねてみたかったのです。
東北新幹線一関駅に14:13到着。大船渡線スーパードラゴンに乗り換えて、猊鼻渓駅に15:20到着。船着き場まで5分くらいでしょう。
木製の船、長い竿。たった一人の船頭さんが竿一本で船を操ります。
舟は両岸の滴るような緑の中、とろりとしたような川面を進んでいきます。
高い岩には、凌雲岩とか壮士岩・少婦岩、錦壁岩などの難しい漢字の名前が付いていて、それはそれで雰囲気をよく表していました。

渓谷の終わりのところでは舟を下りて、少し歩きます。
巨大な岩が屹立しなかなかに見ごたえがありました。そして猊鼻渓の名前のいわれにもなった「獅子の鼻」のような岩も確かに見てとれました。 (写真の中央上部)

 
 
 「癒しとエコな舟下り」がキャッチフレーズの猊鼻渓舟下りは、ほんとに一本の竿だけで船を操っていきます。その竿さばきを見ながら考えたことをお話ししましょう。

竿を水に突き刺せば、固い川底がその竿を受け止めて、一瞬止まる(かどうか知りませんが)少なくともそこからがまたスタートになる。そこからなら進むだけでなく方向も変えられる。
舟は流れるように進んでいきますが、竿さした時点がいつもいつもスタート。
「時」もとどまることはありません。
でも、その「時」に対して私たちは今日とか明日とか区切りをつけて生きていきますね。
その区切りは、時間を区切るというだけの意味ではなくて、この「今の時」に何をするか、どう生きるかということの基本設定をしているように思います。
脳の老化が加速して、中ボケになったら、信じられないくらい繰り返し「今日は何日なのか?」を尋ねるようになります。
家族は、あまりにも度重なるのでそのうちに「まったく、もう。覚えようとしないんだから!」とか「自分でカレンダー見ればいいのに!」などと叱責したりします。

竿を何度突刺しても、突き刺しても、止まってくれない。
場所を替えてもだめ、受けてくれる底がない。
このような状態になったら、船頭さんはどんなに困るでしょう。
日付を何度も確認するレベルの時は、まさにこのような状態と考えてあげると、中ボケの困惑が少し理解できるかもわかりません。
家族は「しゃべらせたら普通なんですが、やることは幼稚園児みたいなんです」と訴えます。判断して的確にしゃべっているというよりも、長年の言語体験の蓄積で適当に話していてもまあまあそれなりに会話になっているように思われているだけです。問いに対して的を得た答えを返すのはなかなか難しくなっています。

私たちも、今日の日付があいまいなことがあります。でも、落ち着いてちょっと前の出来事のあった日はいつか考えてみる。またはちょっと先の予定の日はいつか考えてみる。そのようなことをすれば今日がいつなのかすぐに行きつくことができます。
竿をさせば、ちゃんと竿の先は川底をとらえ、次に進むことができるのです。
私たちでも起こす度忘れの「時の見当識障害」と中ボケになった人たちが陥っている「時の見当識障害」は全く別物だということをわかってあげてほしいと思います。


by 高槻絹子 

伝統芸能にハマっています②

2024年12月10日 | 私の右脳ライフ
買い物などで貯まるポイントを「上手に」使う人をポインターというそうです。
今回私はとても良いポインター体験をしました。
ホテルポイントが年内に失効するというので、慌てて条件の合う東京のホテル宿泊(2泊)の手筈を整えました。14,800ポイントを1泊7,200ポイントを使って2泊したのですから、その段階でも大満足。先週も東京で十分に楽しんだばかりですが、テーマが遊びということになると私の脳はクルクルとよく動くこと!

大まかなスケジュールは、初日の5時30分に新橋駅で友人と待ち合わせてチェックインするのですから、早く行って映画か観劇するのもいいとまず決めました。映画のチェックをしてみましたがなかなか希望に合うものがない。それでは演劇といくつか劇場のチェックもして、時間や演目を見ると歌舞伎座ということに落ち着きました。
歌舞伎座の最寄駅の東銀座からだと、待ち合わせの新橋駅までは一駅というのも好条件。
贔屓の役者さんの追っかけでないということは、これほど自由なものだと自分で笑ってしまいました。

歌舞伎座で時間調整をするという贅沢な体験を、最近になって何回もしたので、結構なれてきました。
チケットはネットで予約して劇場の窓口や発券機で手に入れます。いつものようにパソコンで予約手続きを進めていって、途中の座席の選択画面で目が点!

2列目のほとんど真ん中に1席だけ空席表示。舞台に近すぎて見えないかもという心配が、ちらっと頭をよぎりましたが、こういうチャンスもなかなかないだろうとクリック!

図中のグレイ部分が一等席。2階にもあることを知りました。
歌舞伎座に行く2日前(夜遅くだったので1日半くらい前)にこんなラッキーなこともあるのですね!
時間的にもう一幕見られるのですが、さすがに二幕とも一等席は気が引ける…
幕見席も最近は予約席が設けられていたので、二幕目は4階席。
上の座席表を大きくしてみてください。赤印が当日の席です。実に対照的な席どりだったことがわかるでしょう?
幕見席へは普通の玄関に向かって左側に特別の入り口が用意されています。
普通はここから入ります。

この角度から客席を見たのは初めてです。
下の写真の右下部が柝を打つところです。
舞台のすぐ、かぶりつきといってもいい場所から見ると、緞帳がカメラに収まりません。





ちなみに4階席からだとこういうふうに見えます。




肝心の演目は絵本発刊30周年記念「あらしのよるに」。主演は獅童と菊之助。それに獅童の2人の子供たち。先日テレビで子供たちの稽古風景をちらっと見たこともこの決定には大きく関わってると思います。ミーハーですが、子供たちに注目することも歌舞伎を長く楽しむことになると思います。と書きながら愕然。この子たちが成人したころには、もう死んでいるか、生きていてもわざわざ歌舞伎座には行かないでしょう。
といかにも悲観的に思えるような書き方をしてしまいました。命が限られているからこそ、一日一日を私らしくイキイキと楽しく生きていくという覚悟を改めて決めるというような意味ですからね。
体験こそ宝。歌舞伎座に行けなくなった私は、なんらかの方法で楽しかった時間を反芻してはきっと満足の笑みを浮かべていると思います。


「あらしのよるに」はオオカミとヤギの友情物語ですから、ほのぼの感に包まれそうですが、なんといってもヤギはオオカミの餌。獅童が演ずるオオカミ「がぶ」がその葛藤を面白おかしく表現し、ヤギの「めい」は、本では性別の指定がないそうですが女形の菊之助が演ずると可憐な少女の風情が溢れてきます。
ミュージカル風の演出の戦いの場も興味がそそられました。歌舞伎の決まりごとを随所に入れ込んだミュージカル。
私は歌舞伎の音曲についてはその違いがよくわかりませんが、今回は獅童が舞台の黒御簾に隠れている語りの方のセリフを受け取って、軽妙な返しをしたり、初めての演出も触れました。

紙吹雪が舞い散るフィナーレでした。
今年は團十郎「星合世十三團」もみたのです。
7月の右脳訓練③-七月大歌舞伎
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歌舞伎を見に行くということになると、鑑賞したい演目が先にあるものでしょう。高校の後輩T田T子さんは、ちゃんとファンの歌舞伎俳優がいて、北九州在住ですから博多座、小...

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その時のフィナーレは光の灯った長い竿を持った黒子が通路を軽やかに動き回る豪華絢爛でありながら心に染みるものでした。命の象徴のように感じました。
比べてみて、どちらもピッタリ。
團十郎のは、早替わり宙乗りとケレン味たっぷりで皆を惹きつけるのですから、フィナーレも華やかな方がいい。
「あらしのよるに」の方はどこか素朴な風情が漂っていますから、この紙吹雪でピッタリです。
続けてみると、素人でもわかるところがありますね。

お掃除は大変!

二幕目は「加賀鳶」
いわゆる世話物と言われる演目で、パンフレットによると「序幕の加賀鳶たちの圧巻の七五調の台詞をはじめ…」とあったのですが、残念ながら4階のせいか、私の聴力のせいかそのやりとりが聞こえづらく。結果はたくさん居眠ってしまいました(笑)

まあ、たった1日で、歌舞伎座の演目も席も両極端を体験するという目的は一応達したのでよしとしました。

開演前に小さなチャレンジもしたのです。
普段歌舞伎座に行く時は、観劇という目的がはっきりしているので、冒険しても、歌舞伎座タワーでお茶をする程度です。
テレビか雑誌で目にした、歌舞伎座の道沿いにある手作りたまごサンドのお店が、下町っぽくて興味をそそられていました。
正面に向かって建物の右側に曲がります。

通りの名前は木挽町通り。

そのまま200メートルほど進むと、昭和っぽいかわいいお店が出現。たまごとポテトのサンドイッチをランチ用にゲットしました。800円。二人でも食べきれないほどのボリュームでした。

1列23番の後ろが私の2列23番。足元にビニール袋に入ったサンドイッチが。ミスマッチなところが私らしいのです。

近代的な歌舞伎座ビルの敷地の隅、木挽町通り側にあるこの神社歌舞伎稲荷大明神は、マッチしているのでしょうか?それともミスマッチ?
お参りしている方が続いているのにはちょっとおどきました。

二幕楽しんだら、5時前でしたが冬の日は早くも暮れていました。今日もよく遊びました。











伝統芸能にハマってます①

2024年12月06日 | 私の右脳ライフ
先週の土曜日。久しぶりに友人からお誘いが。
「国立能楽堂でお能を見ませんか?」
(企画は一般社団法人伝統文化交流協会ですって。興味ある活動をしていらっしゃいます。
演目を確認する前に「もちろん、行きます!」
後で友人が言うには「あまりの即答でびっくりしました」
私の心の動き方を振り返ってみると、
能鑑賞の機会はなかなかない。
国立能楽堂は行ったことがない。
千駄ヶ谷だとイチョウが黄葉しているはず。
久しぶりの友人とおしゃべりも楽しみたい。
というような気持ちが湧いてきたのです。
源氏物語「澪標」の勉強会もあり、能の演題はその「澪標」から生まれた「住吉詣」。ちょっとだけ復習をしていざいざ国立能楽堂へ。


奥山先生による歯切れのいい源氏物語「澪標」解説の後、久しぶりの能楽鑑賞。前席背面の小さなスクリーンにセリフが表示されとっても助かりました。筋が追えると眠らずに済みます。
都に復帰できた光源氏が住吉大社にお礼参りしたというシチュエーションなので、供揃いが10人くらいも用意されていて、能舞台いっぱいの役者さんたちに圧倒されました。子方も二人。とにかく賑やかな舞台でした。
能はシテが「実はすでに死んでいる」ということが多いですが、今回は現実の世界の出来事に終始していました。そうそう。全員が直面…でも見事な無表情でした。
能楽堂の佇まいは建物も庭園も洗練された日本美を感じさせてくれました。





神宮外苑の銀杏並木は予想通り。友人が撮ってくれた銀杏の写真が素晴らしいのでここに紹介させてもらいます。


大満足のひとときを過ごして、友人と東京一泊。
翌日は、大倉集古館の「志村ふくみ生誕100年記念展」へ。甲府に住む友人が「素晴らしかった」とメールで知らせてくれました。

学生時代、東京から北九州に帰省する度に、私を可愛がってくださっていた京都の知人宅にお邪魔していました。その方が志村ふくみさんのいわばお弟子さんで、草木染めで染めたり織ったりされるのをそばで眺めるという、今考えると滅多にない体験をしていたのです。1963年頃、60年も前のこと…
今回展覧会で年表を確認したら「染めを母から習い始めたのが30歳の頃(70年くらい前)」「1957年に、第4回日本伝統工芸展に初出品で初入選」「その後連続4回特選受賞」とありましたから、私が「志村ふくみ」の名に触れたのはもう世に認められたあとだったのですが、知人宅では「なんと素敵な色が出せるのでしょう。不思議なほど。同じ媒染剤を使ってもどこか違うの」というような声を聞いていました。
知らないということは勿体無いことです。
写真不可ですから何もご紹介できませんが、作品名に想いが込められていることに心動かされました。心の中に哲学があるのですね。
閑話休題。
私の夫は超がつく方向音痴ですが、正直なところ、認めてはいるものの理解はできない!と思っていました。
日本初の私立美術館である大倉集古館が、ホテルオークラヘリテージの真ん前にあることは十分承知していました。


「汐留のホテル出発。新橋から地下鉄銀座線溜池山王。下車して後は徒歩」とグーグルマップも教えてくれました。
ちょっと感じた不安は「『溜池山王』という駅は昔はなかった。使ったことがない」
「でもどうにかなるだろう」と溜池山王の改札口を出ました。
ところが、ここがどこかわからない!案内板を見てもビルの名前は書いてあるのにこの目の前のビルがどの建物かわからない!
ようやくわかったのが首相官邸。

でも、地図上でどこを向いているのかわからない!もっと悪いことに、目的地が地図上にない!
つまり、「どこにいてどこに行く」その道筋が全く掴めない状態に陥っていました。人通りがほとんどなく尋ねる方法がない!
糸口はコンビニ。このファミリーマートが溜池山王店ということが地図上ではっきりした時に目の前がパッと開けました。同じファミリーマートが見えるところにもう一軒あって、確認すると溜池山王駅南店。何度眺めたかわからないグーグルマップがイキイキと方向をさし示してくれた気がしました!
その線の向こう、横断歩道を渡れば全日空ホテルが見えて「あ〜ここならわかる!」
確かにそこにも地下鉄溜池山王の看板がありました。一番遠くの出入口から地上に出たようです。

ところがさらにもう一回小さなつまずきがありました。桜坂から登ってグーグルマップのいうように進んだのは正しい道だったのですが、左折の時一つ先の角を曲がってしまい「れいなんざかようちえん」の文字発見。どうも違うらしい…
後戻りして曲がり直しました。
すると霊南坂教会の看板が。

これで良さそうと直進しているとアメリカ大使館。

次の角の信号の向こうに目的地発見。ようやく到着できました。「どちらに向かうかわからない」以前に「今ここがどこかわからない」という方向音痴の実体験ができました。これは確かに不安なものですねえ。

信号を渡ったら、大きな看板発見。

歴史を感じる建物。

入り口の彫像。

2階休憩コーナーにも。

大倉父子によるコレクションの大倉集古館。志村ふくみ展で懐かしさを呼び覚ます感動的な体験の前にも、「方向音痴になる」という得難い体験ができました。






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