以前の記憶が今の体験を深めてくれることを実感したので、美術館に行ったことを記録しておこうと思います。
上野の東京都美術館「エゴン・シーレ展」に行きました。
珍しく友人と一緒だったので、入場を待っている間にパチリ。面白い写真が撮れました。エゴン・シーレ展のポスターの前の友人がたまたま黒い服を着ていて、ポスターのシーレとシンクロしてる。彼女の持っている携帯画面にもシーレが!
どうしても行きたかったのですが、もちろん理由があります。
2018年に友人たちとプラハ旅行をしました。
「人」が生きるということ
「人」が生きるということ
この記事にチェスキークルムロフ城の写真をあげていますが、ちょうど開催中のエゴンシ―レ展を見る予定で、一日かけてチェスキークルムロフを訪れたのです。会期中のはずがまだ開催されていないという、日本では考えられない顛末で見ることは叶わなかったものの、モルダウ川に沿ったかわいい町は印象的で、訪れた甲斐は充分にありました。
それにしても、エゴンシーレ展…見たかったのに見られなかった。日本で開催されるのならばこれは行かずばなるまいでしょう?
もちろんあの自画像は見ました。(撮影不可)
撮影可能のところに風景画が2枚。キャプションを読んでみると、母の故郷クルマウ(現在のチェスキークルムロフ)とありました。
チェスキークルムロフ城のような高いところから町を見下ろすと確かにこういう風に見えるはず。手前がモルダウ川ですね。
あの可愛い街並みを見下ろす場所に、シーレがいて絵筆をとっているという光景が見えるようでした。シーレにとって穏やかな時間が流れただろうというような思いも湧き上がってきました。この展覧会でこのような作品に出会うということは全く想定外のことだったので、5年前の旅のあれこれを懐かしく思い出しました。
次にこの作品に出会った時、ドキドキしました。
ちょうど、高校の同級生が読んでみるようにと勧めてくれた藤原辰史著「植物考」を読んだばかりで、植物の生命力や生命維持に必要な要因についての解説から、人と植物の関係性を今までとは全く違う目で眺めざるを得ない気持ちになっていたのです。
もしかしたら力のない弱きものととらえられている植物には、人をも繰るような秘めたる力が隠されている…
もしかしたら力のない弱きものととらえられている植物には、人をも繰るような秘めたる力が隠されている…
この作品の解説には「…細い枝が神経系の如く四方に伸びる。むき出しの木は孤独感を表現し、生に向かうエネルギーを象徴…風景画で自然を擬人化、人間の形と感情を刻み、人物画に匹敵する表現…」
「植物考」の読後感と重なる表現が続いています。びっくり!なんだか共時性を感じてしまいました。
どちらの作品も全く予想もしていなかった出会いだったことに感謝しつつ思いがけない満足感に満たされて上野駅へと急ぎました。
by 高槻絹子
箱根早川で出会った水色型のサワガニ
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