庭に白いユリがたくさん咲きました。全部切って花瓶に投げ入れて眺めているうちに、FBでつながっているY木さんの先日の投稿のことを思い出しました。
シンテッポウユリという新しい呼び名を教えてくださった投稿です。
シンテッポウユリという新しい呼び名を教えてくださった投稿です。
以下Y木さんの投稿を表にまとめてみました。
今までは、テッポウユリとタカサゴユリの差は承知していて、タカサゴユリの花には赤い筋があるものとないものがあるのだとばかり思っていました。
そうではないことがよくわかりました。しかも花に赤い筋があるかないかということだけチェックすれば、きちんと分類できるというまたとない情報でした。
我が家にたくさん咲いてくれた百合はシンテッポウユリです。
そうではないことがよくわかりました。しかも花に赤い筋があるかないかということだけチェックすれば、きちんと分類できるというまたとない情報でした。
我が家にたくさん咲いてくれた百合はシンテッポウユリです。
筒状花
葉が細い
花びらに赤い筋がない
興味関心があるテーマだと、情報が目に飛び込んでくるような気持になります。そして受け取ったその情報を、使ってみたくもなりますね。
興味関心のあり方はまさに十人十色。いったん関心を持てば、それを深く追求していくタイプと、淡々としているタイプ、関心が向くテーマがあれこれとあるタイプ。
私はまさに後者ですが、植物への関心は結構ある方だと思います。
いま私が持っているこのような植物への関心はどのように、育まれたのか振り返ってみましょう。
私は北九州市で生まれ、18歳で上京するまで引っ越すこともなく生活しました。当時はちょうど日本が高度成長期に差し掛かる時代で、当然北九州工地帯は隆盛を誇り、なおかつ私の家は工業地区のまさにただなかにありました。
田どころか畑もない。八幡製鉄所からでる七色の煙は繁栄の象徴だったし、ばい煙が家の中にも侵入し、洞海湾が死の海といわれるときにもどこかに繁栄とのバーター取引のようなムードを感じました。つまり生の植物に囲まれることのない暮らしぶりでした。
ヒマワリ
ただし幸いなことに、夏休みなどには父の田舎によく行きました。青空の元、水田の浮草の動きに目を見張り、五右衛門ぶろを沸かす木や草のにおいは今でも大好き、蛍を蚊帳の中に飛ばし、マクワ瓜や夏野菜を畑に採りに行きました。こうして書いていくとキラキラ輝く田舎の景色が眼前に広がります…
今のように旅が日常的でなかった時代に、旅行にも連れて行ってもらいましたが、その目的地は阿蘇、桜島、日田など自然にあふれたところだったことに気づきました。小学生の間は春になると毎年、ツクシ採りのために自動車でプチ旅行したのも印象深い思い出です。
考えたら、私に対する「教育的配慮」というようなものではなく田舎で大きくなった父が緑を求めていたのかもわかりません。ちょっと恩が足りないかなあ…
考えたら、私に対する「教育的配慮」というようなものではなく田舎で大きくなった父が緑を求めていたのかもわかりません。ちょっと恩が足りないかなあ…
ハマユウ
母は町育ちでしたから、わざわざ出かけるほどのモティベーションはなかったかもしれませんがお花をよく活けてくれていました。花屋さんにもよく一緒に行き、そして花の名前を教えてくれるので「よく知ってるなあ」といつも感心していました。わからないときにはすぐに尋ねる姿勢は母から教えてもらったのですね。
18歳で上京した時に、通学電車からみる明治神宮やキャンパスの木々や花たちを見るたびに東京はなんと緑豊かな町!と楽しみました。
ハイビスカス
植物は好きでしたが東京時代までずっと受け身だったことに気づきます。大きな変化は茶花に興味を惹かれた時からでしょう。東京時代は「今の時期は○○を生けたいのですけど」とおっしゃりながら、花屋さんのお花が床の間に生けられていました。
静岡に転居して稽古を再開したら、東京の先生があこがれるようにおっしゃった季節の野の花が当たり前のように生けられています。
ちょっと車で出かけると、珍しい茶花(つまり自然に咲いている花)がいくらでも目に飛び込んできます。
ポケットサイズの茶花図鑑を片手に、現物を見て知る喜びを十分味わいました。(茶道では問答があるので花をめでるだけでなく名前も知っておかないといけないのです)
ちょっと車で出かけると、珍しい茶花(つまり自然に咲いている花)がいくらでも目に飛び込んできます。
ポケットサイズの茶花図鑑を片手に、現物を見て知る喜びを十分味わいました。(茶道では問答があるので花をめでるだけでなく名前も知っておかないといけないのです)
今はちょっとは花を植えたり、挿し木や挿し芽をしたりしています。育てるところまで来られたということです。
そうそう、ブログを書くためにちょうど句読点のようなつもりで写真を入れますが、今住んでいる伊豆高原はその写真に事欠かない環境といえるほど植生が豊かです。
そうそう、ブログを書くためにちょうど句読点のようなつもりで写真を入れますが、今住んでいる伊豆高原はその写真に事欠かない環境といえるほど植生が豊かです。
富戸海岸のカンゾウ
たった一人の、しかも植物に絞って興味関心がどう育っていうかを振り返ってみました。
一番ベースには、生得的なものがあるに違いありませんが、環境要因も大きく関与していることが納得されます。しかも現在から過去に向かって考えた方が、より置かれた状況の影響の大きさがわかりますね。
茶道をしなかったら。茶花に恵まれない東京でしかもそれを残念に思う先生にお稽古をつけていただいたからこそ、静岡でのお稽古で目の前がぱっと開けるような気持になったのだと思います。
そういう気持ちが持てたのは、自然に恵まれない生育環境のなかで両親が植物に目が向けられるシチュエーションを作ってくれたからでしょう。
ホーリーバジル
何でも体験する方が、人生を生き抜くには有利です。前頭葉は知識の脳ではありませんから「知ってる」だけではだめで「体験する」ことでできあがっていきます。成功体験も失敗体験も自分の前頭葉を作り上げていく必要な過程。
認知症にならないためには高齢期に変化のある楽しい生活を送れるようでないといけません。自分の興味関心はどの分野にあるかと考えてみましょう。その興味関心を深める方向でも、新しい興味関心を模索することでもいい。
それが認知症予防だと知れば、意欲がわいてくると思います。だってどこで講演しても「ボケるくらいなら死んだ方がいい」という声が聞こえますから。
by 高槻絹子