週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#314 -’08. 「父の人生 昭和と言う時代」を読んで

2008年12月12日 21時15分50秒 | その他
たまたま、目に留まる機会がありましたので今から凡そ11年前のスレッドを再掲します。
自分の言いたい思いが出ていると感じたからです。2019年9月5日正午(20081212211550)明日には本来の2008年の位置にもどします。


翠さんのブログ【翡翠色 オパール 風の声】の8月15日付けの記事「父の人生 昭和と言う時代」を読んで、思った事。

翠さん、コメントでは長くなりご迷惑と思いますので、自分のブログに書かせていただきます。
早いもので夏が年の瀬の師走になってしまいました。
コメント欄にお約束した自分の感想を記載します。

自分の脳裏に浮んだ事。

戦争も知らない世の中に生まれ取り立てて、ひもじい思いをする事も無く成長してきた自分。
勿論、戦争も知らないから、生命の危機を感じることも無く生活している自分。

第二次世界大戦が終わり、日本に生まれ育っていると世界は平和な感じがする。
ところが記憶に残る大きな戦争(紛争)だけでも朝鮮戦争、ベトナム戦争、第一~三次中東戦争、湾岸戦争、イラク・イラン戦争、アフガン戦争など数え上げればきりがない。
独立戦争やソビエト連邦崩壊に伴なう東欧やアフリカ諸国の内戦に至っては記憶に残らないぐらい多い。
世界中では生命の危機を感じながら生活している住民が実に多いのに日本での日常生活ではその人たちに考えを思い描くことすらない。
しかし、私達日本人は第二次世界大戦後の教訓により人類は戦争の愚かさを学んだと錯覚している。
正確には戦争の愚かかを学んだと思いこんでいるだけなのかもしれない。
でなければ、これ程の戦争や紛争が発生する筈がない。
人類はそれ程学習能力がないのであろうか。

もし世界が1000人の村だったら」を思い起こすまでも無く日本は恵まれている。
蛇口をひねれば水が出て、スイッチを入れれば電気が付き、コックを捻ればガスがつく。
そんな環境が自分の生まれた時から当たり前であった。
翠さんのお父さんの戦争中の青春時代と異なり、物質的にも精神的にも私達戦後の日本人は本当に幸福な時代を謳歌している。


一休み。

(昭和と言えば、東京タワーと言う事で。)

(撮影は多分、港区役所からだとおもいます。2019年9月5日追記)

歴史上、以前は世界的に見ても戦が止むことが無く、日本においても戦に明け暮れるか、飢餓に襲われて生命の危機を意識して生活していた。

○武力による生命の危機。

○食料による生命の危機。
戦後の世代が初めて有史以来であろう生命の危機を感じる事も無く生活できる幸せ。
その幸せな時代に生きていること自体忘れてしまっている私達・現代人。
その幸福な満ち足りた時代である事を『父の人生』を読んで痛切に感じた。
小さな不幸せは存在しても、何と幸福な時代に生を受けたのかと感謝したくなる。

地球に蓄積された貯金を勝手に下ろして使っている現代人。
45億年の太陽の恵みを後世の地球上の人類を含む生物に残す事無く使い、地球温暖化を招く強欲な現代人。
石炭、石油、天然ガスなど総てが太陽が残してくれた化石燃料である。
自分達の世代で使い切って良いのだろうか。

総べての動物は自ら栄養源を造り生命を維持することは出来ない。
動物の生命維持と活動のエネルギーは総べて植物からでなければ摂る事が出来ない。
または、その植物から得た動物から摂取しなければならない。
至って平和的な植物と植物から得なければ生きられない人間を含む動物。
人類と言う一つの種がこれ程地球上に繁栄して地球に負荷を与えている。
その人類が爆発的な勢いで増えている。
その人類の増加と共に地球上から絶滅する種が増え出した。
違った側面から地球を眺めえ見ると、地球温暖化も地球が人類に対して反乱を起こして(警告)いるだけである。
地球が温暖化しても宇宙天体としての地球の存在は全く影響を受けない。
地球誕生以来、温暖化と寒冷化は周期的に訪れたいる。
その気候の変動がそこに住む生き物に試練を与えて、存在を否定されても地球には次の生き物が誕生するだけである。
人類ないしはその他の動植物は絶滅するだけのことである。
それ程地球としての存在は大きい。
なのに地表面に存在する生物のなんと頼りなく弱弱しく儚いことか。
地球カレンダーに拠ると人類が地球上に出現したのは暮れも押詰まった12月31日の大晦日、NHKの紅白も終了した頃であろう午後11時37分である。
我が家の息子達も大好きだったあの恐竜が絶滅したのが、クリスマスの翌日の12月26日の事。
大昔と思っているが地球のカレンダーに拠るとホンノ一瞬である。
それでも、恐竜ですら地球カレンダーで見ると15日間、その足跡を残している。
このままの状況が続けば、賢い人類なのにカレンダー上に一日の存在の足跡すら残せなくなる。


二休み。

(高級官僚の天下りの為の箱物でしょうか、昭和館。
一度も入った事がありませんから、安易に批判はできませんが、見るに値する物が・・・?。
軍人の九段下の九段会館です。)

(撮影は九段の北の丸公園に入る所で左を向いての撮影です。九段会館は今は改築中です。内濠の牛ケ淵の所に菜の花と桜は咲いていますので春の時期にです。2019年9月5日追記)



話を戻して、これからの私達の生活はどのように変わるのであろうか?
次の世代から非難されない為にも、どの様にしなければならないのであろうか?

今の私達。
その時その時の社会要因による雇用などの不安が存在したとしても恵まれた時を歩んでいることは間違いない。

後進国が発展途上国へ。
そして先進国へと仲間入りして来る。
人間が造りだす富は増やせても、その富で購入できるものには限りがある。

その限りある資源の争奪戦である。
武力によるか、富によるかは別にして。
いかにしてこれらの物を正しく分配していくのか、それが問題である。
”増加したこれからの人類の数”と”生活水準が向上した人類”に分配するほど地球は優しくない。
即ち絶対量が不足するのである。

エネルギー。
水。
空気。
食料。
土地。
その他の資源。

1000人の村人全員が車を持つことなどは不可能である。
それでも、蜘蛛の糸の如く人間は上に上りだす。
限られた水を求め、食料を求め。限られた平和な土地を求め。

これからは、平和が長続きしない暗黒の時代にしないためにも、英知を絞らねばならない苦しい時が訪れるかも。


子の世代、孫の世代・・・・と続く人類と地球上に存在する生き物、風景などすべて、後世に継承すべき責務を負っていると強く感じた。


それにしても、戦後の世代は恵まれた時代に生を受けた事を神に感謝しなければならないとせつに思った次第である。

(現在の富の象徴でしょうか?
ご存知六本木ヒルズです。)

(撮影は多分、毛利庭園からだとおもいます。2019年9月5日追記)


書いてからの自戒の念。
自分自身が地球に負荷を与える最大の物は車である。
最低限の使用に止めることと共にスピードを抑えねば。


コメント (5)
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