小金井公園内にある江戸東京たてもの園に行って来た。
数えきれない程にお邪魔して居る小金井公園ですが、江戸東京たてもの園に伺うのは初めてである。
建物を見る為に入園料を払うのに納得できないケチな自分。
なので、入った事が無い江戸東京たてもの園でした。
今日、家内から小金井公園内の江戸東京たてもの園に行かないかと言われた。
その時、高橋是清邸があるとの事で急遽行きたくなり行って来た。
取り急ぎでもないですが、高橋是清邸のみですが。
江戸東京たてもの園の冊子から引用させて頂いた文章はブルー文字にしてあります。
画像はニコンですが、途中でバッテリーが切れてしまいました。
予備も持参せず、バッテリーの残量も確認せずにじさんしてしまった。
帰ってから、直ぐに充電したのは勿論である。
芋虫がマスコットなんでしょうか?
家内に言われて教えてもらったのが次の通りです。
マスコットキャラクター「えどまる」緑豊かな野外博物館のマスコットにふさわしい色をイメージし、芋虫をテーマに宮崎駿さんにより作成されたものです。
01

ここの建物で入園料を払い江戸東京たてもの園に入ります。
小金井公園自体は無料ですし、桜も素晴らしいので良くお邪魔している公園です。
以前は駐車場も無料でしたが、今では有料なのが頭にきます。
02

入口を入り是清邸に向かうべく進むと綺麗な霊廟が在ったので一枚。
旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立した霊屋です。この建物は東京都の文化財指定を受けています。[新宿区富久町/1652年(慶安5)]※東京都指定有形文化財
03

04

今回目的の高橋是清邸です。
高橋是清邸が在ると聞か開ければ、多分江戸東京たてもの園に来なかったかもしれない。
何故か引き付けたのか。
高橋是清邸
明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。総栂普請で、洋間の床は寄木張りになっています。2階は是清の書斎や寝室として使われた。
こちらの高橋是清邸が戦禍にもめげず残ったのは、赤坂から武蔵野の地の多磨霊園に移築されていた為に残ったとの事でした。
05

06

07

08

09

10

11

12

こちらが226事件の際、決起した青年将校たちに暗殺された実際の部屋です。
血の海だったと言う事です。(ボランティア・ガイドさんの弁)
13

お庭にまわって。
《高橋是清邸庭園》
港区赤坂にあった高橋是清邸庭園の一部を復元しています。組井筒を水源にした流れと、雲見型灯籠などを含む景観を再現しています。是清は芝生での日光浴や庭の散歩を好んだと言われています。
14

蠟梅が一輪咲きだしそうでした。
日当たり良い所なのに、武蔵野は未だ都内と比べると寒いようだ。
15

数えきれない程にお邪魔して居る小金井公園ですが、江戸東京たてもの園に伺うのは初めてである。
建物を見る為に入園料を払うのに納得できないケチな自分。
なので、入った事が無い江戸東京たてもの園でした。
今日、家内から小金井公園内の江戸東京たてもの園に行かないかと言われた。
その時、高橋是清邸があるとの事で急遽行きたくなり行って来た。
取り急ぎでもないですが、高橋是清邸のみですが。
江戸東京たてもの園の冊子から引用させて頂いた文章はブルー文字にしてあります。
画像はニコンですが、途中でバッテリーが切れてしまいました。
予備も持参せず、バッテリーの残量も確認せずにじさんしてしまった。
帰ってから、直ぐに充電したのは勿論である。
芋虫がマスコットなんでしょうか?
家内に言われて教えてもらったのが次の通りです。
マスコットキャラクター「えどまる」緑豊かな野外博物館のマスコットにふさわしい色をイメージし、芋虫をテーマに宮崎駿さんにより作成されたものです。
01

ここの建物で入園料を払い江戸東京たてもの園に入ります。
小金井公園自体は無料ですし、桜も素晴らしいので良くお邪魔している公園です。
以前は駐車場も無料でしたが、今では有料なのが頭にきます。
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入口を入り是清邸に向かうべく進むと綺麗な霊廟が在ったので一枚。
旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立した霊屋です。この建物は東京都の文化財指定を受けています。[新宿区富久町/1652年(慶安5)]※東京都指定有形文化財
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今回目的の高橋是清邸です。
高橋是清邸が在ると聞か開ければ、多分江戸東京たてもの園に来なかったかもしれない。
何故か引き付けたのか。
高橋是清邸
明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。総栂普請で、洋間の床は寄木張りになっています。2階は是清の書斎や寝室として使われた。
こちらの高橋是清邸が戦禍にもめげず残ったのは、赤坂から武蔵野の地の多磨霊園に移築されていた為に残ったとの事でした。
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こちらが226事件の際、決起した青年将校たちに暗殺された実際の部屋です。
血の海だったと言う事です。(ボランティア・ガイドさんの弁)
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お庭にまわって。
《高橋是清邸庭園》
港区赤坂にあった高橋是清邸庭園の一部を復元しています。組井筒を水源にした流れと、雲見型灯籠などを含む景観を再現しています。是清は芝生での日光浴や庭の散歩を好んだと言われています。
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蠟梅が一輪咲きだしそうでした。
日当たり良い所なのに、武蔵野は未だ都内と比べると寒いようだ。
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