週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#045 -’22. 地王山地蔵院寶幢寺(ほうどうじ)へ梅を愛でに

2022年03月03日 15時30分01秒 | ご朱印・納経(神社仏閣)

今回の寶幢寺の梅について知ったのは、ブログ友達の「晴れた休日は自転車に乗って!(akio) 」さんの記事で知りお邪魔する事にしました。志木市にある古刹です。今は梅が満開との事で参拝しました。梅も良かったですが、枝垂れ桜の頃も美しそうです。

訪問したのは昨日(3月2日の午前10時40分過ぎ)で、我が家から40程度掛かりました。 

志木市教育員会の説明の高札文から引用させて頂きます。

寶 幢 寺 (ほうどうじ)

 正式には地王山地蔵院寶幢寺と称し、江戸期には醍醐三宝院を本山としていましたが、明治二十七年から京都智積院を本山とする新義真言宗智山派となりました。
 その創建年代については、建武元年(一三三四)四月に祐円上人が開山したという説や、現在の寺の門外の西方にあった墓場の中の地蔵堂を基に天正年中(一五七三〜九二)に新寺として開山したという説、もともと現在の敷島神社付近にあったものが、柏の城が城主大石信濃守の子息大石四郎の屋敷跡といわれる現在の地へ移転してきたという説などがあり、未だ定説はありません。しかし、いずれの説をとるにせよ柏の城落城後に現在の地に建立または移転されたのではないかと推測されています。
 『新編武蔵風土記稿』によれば、三代将軍家光が鷹狩りの際休息したのが機縁となって、慶安元年(一六四八)に御朱印地十石を賜り、また、境内が狭いと言って門前に一町歩加増してくれたとの記述がみえます。更に「此辺ニテノ大寺ニテ、末寺三ヶ寺アリ」とあり、当時よりこの辺でも大きな寺院であったということがわかります。
 なお、この寺には「お地蔵さんとカッパ」という伝説や「ほっぺたの黒いお地蔵さん」という伝説などが伝わっています。

平成七年十月二十日      志木市教育委員会掲示

尚、自分が醍醐寺と智積院にも30泊31日の旅でも参拝させて頂きました。(しかし、醍醐寺に関しては未だ、スレッドをアップしておりません。智積院についてもリベンジでもう一度参拝に伺いしましたがアップしておりません。)寶幢寺に行くまで京都の両寺院と関連しているとは知りませんでした。

山門前に志木市教育員会の建てた説明文です。

 1

大通りから左折してから更に右折してお寺の駐車場前に行かなければなりませんが、二本目を右折した為に山門前にでてしまいました。路地を通り駐車場に到着しました。一本目の所を右折すれば、直ぐに長屋門の前の駐車場に到着しましたが間違えたお蔭で少し遠回りしました。凡そ40分強で到着しました。

2  こちらはその山門です。 

3  真言宗智山派と彫られています。

 

4  大きな鐘楼もある立派なお寺です。 

5  正面に見えるのが本堂です。枝垂れ桜なども有りますから、桜の時期もすてきです。 

6  桜の花も思いつつ本堂を。

 
7  6地蔵様です。
 
8  正面に見えるのが本堂です。  
 
9
 
10
 
11  立派なものです。
 
12  紅白の梅の先に見えるお堂は文殊堂です。長屋門を入るとこちらになります。
 
13  鐘楼の前にある名木です。寶幢寺は巨大な古木も沢山在ります。
 
14  仏足の跡です。智積院にも同じ仏足跡がありました。(形式はことなりますが、リアルな仏足跡が九品仏浄真寺にも)
 
15  初七日の不動明王から始まり三十三回忌の虚空蔵菩薩までの13仏の説明文です。
 
16  その不動明王からの仏様です。
 
17
 
18
 
19
 
20
 
21
 
22
 
24
 
25
 
26  右手に見えるのが文殊堂です。
 
27 
 
 28
 
 29  長屋門を潜ると紅白の梅が満開でした。
 
 30  長屋門脇の掲示板です。
 
31  長屋門です。こちらの前に駐車場があります。
 
99
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カウンター