旧嵯峨御所と呼ばれ親しまれている大覚寺です。
嵯峨天皇の離宮嵯峨院を寺院に改めた事に依り大覚寺は別名、旧嵯峨御所とも知られています。
今回は特に秋に訪れる事が出来たので旧嵯峨御所・大覚寺の嵯峨菊を中心にアップします。
京都観光ナビから引用させて頂きます。
真言宗大覚寺派の本山。876年(貞観18年)、嵯峨天皇の離宮嵯峨院を寺院に改め、歴代の天皇や皇族が住持された門跡寺院であり、嵯峨御所として知られる。境内にある宸殿(重文)は徳川2代将軍秀忠と浅井長政の三女であるお江の間に生まれた東福門院和子が女御御殿の宸殿として使用していたもので、狩野山楽筆の「牡丹図(重文)」や「紅梅図(重文)」などがあり、桃山金碧画の代表的作品として知られている。また、平安時代、弘法大師のすすめで疫病退散を願った大覚寺のご始祖である嵯峨天皇が一字三礼の誠をこめ、般若心経を写経浄書、弘法大師は嵯峨院持仏堂の五覚院で五大明王に祈願すると、たちまちのうちに疫病が治まったと伝えられる。このことから、嵯峨天皇をはじめ後光厳・後花園・後奈良・正親町・光格の各天皇の宸筆・般若心経は、現在も勅封として大覚寺心経殿に奉安され、60年に一度しかご開封されない。そのため大覚寺は、般若心経写経の根本道場として、心経信仰が盛んに行われている。
境内の東側に広がる大沢池(名勝)は、平安時代、唐(現在の中国)の洞庭湖を模して造られた日本最古の林泉式庭園である。池畔には桜や楓が約700本程植えられており、平安時代から変わらない風光明媚な風景を今に楽しむことができる。また日本三大名月観賞地であることから観月の名所として知られ、中秋の頃には観月の夕べが開催される。また華道のいけばな嵯峨御流の礎となった菊ヶ島があり、大覚寺はいけばな嵯峨御流の総司所(家元)としても知られている。建立:876年、本尊:五大明王
大覚寺は別スレッドでアップします。今回は嵯峨菊が載って居る画像を中心にアップします。
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