加賀藩で千二百石の禄を食んでいた野村家の武家屋敷跡です。20240411123124
頂いた説明文から一部引用させて頂きます。
野村家跡
天正十一年(1583)藩祖前田利家が金沢城に入城して、加賀百万石の基礎が築かれたのである。直臣として従った野村伝兵衛信貞家は、禄高千石から千二百石と累進して、代々を御馬廻組々頭、各奉行職を歴任し、この地に千有坪(三千平方米余)の屋敷を拝領し、家督は十一代にわたって、明治四年の廃藩に至った由緒ぶかい家柄である。 以下省略
世界が認めた日本庭園と建築美
石畳や土塀など、往時の面影が今も色濃く残る長町武家屋敷跡。その界隈で唯一、一般公開されているのが武家屋敷跡 野村家です。格式のある建物と風情のある庭園が見事に調和しています。加賀藩のお抱え絵師によって、「上段の間」に描かれた襖絵や野村家伝来の刀剣、甲冑等は必見です。2009年発行の外国人観光客向けガイドブック『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』で二つ星として紹介。米国庭園専門誌の2003年度日本庭園ランキングでも3位に選ばれています。 (金沢旅物語から引用させて頂きました。)
1 武家屋敷としては、移築された事もあり破格の庭に感じた。素晴らしい歴史を今に残す家構である。
2 欧米人が沢山訪問していました。
3
4
5 奥の間の床の間と段違い棚です。
6
7
8 上段の間です
9
10 仏間の掛け軸です。
11 不細工をよしとしない棟梁のこだわりの釘隠しの細工ものです。
12 日本刀の歴史が脈々と受け継がれて、刃物を研ぐ日本の調理人など源流でしょうか。美しくそれで且つ強く切れ味の素晴らしい刀鍛冶の匠の世界です。
13
14 鐙です。
15 キセルや灰皿など蒔絵が施された煙草盆です。
16
17 女子の武具としての感覚が強いですが、剣道と薙刀で勝負した所を観たことが有りますが、脛を切り付けられますから剣道では歯が立ちませんでした。
18
19
20 12進法かと漠然と思っていましたが、日本では4進法だったと今回はじめて知りました。
21 濡れ縁で座ったまま観ることが出きる庭園です。
22 この箱の中にうぐいすを入れて鳴き声を聴くのだそうです。
23 茶室への途中に手水鉢がありました。
24
25
26 2階にある茶室(不莫庵)です。
27 天井の形が船形している形式かも。
28 桐板天井に神代杉の一枚板をおき、緑松で押さえた珍しい茶室との説明が書いてありました。意図して虫などにくわれた風の造形美の天井の様です。
29 野村伝兵衛の着用した甲冑です。腕は自由に動くように鎖帷子なんですね。でも、防御力は弱そうですが。
30 すべての襖絵には、保護のためのアクリル板がはめ込まれていました。
31 盆栽の如くですが木の幹の中心部の所が枯れて朽ち果てています。外側の年輪的に新しい所が木として生きているようです。
99
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます