豪徳寺と言えば井伊家の菩提寺です。
井伊家と言えば徳川家と縁戚の家柄です。
大名家が徳川家から輿入れする時に通る門として御守殿門(赤門)が建立されました。竣工時の姿のまま残っている御守殿門は現在の東京大学の赤門(前田家)だけです。
豪徳寺のHPから引用です。
豪徳寺について
大谿山 豪徳寺は、世田谷区にある曹洞宗の寺院です。彦根藩主・井伊家の江戸における菩提寺で、井伊家ゆかりの文化財が数多く所蔵。
寛永10年(1633年)に、世田谷が彦根藩の所領地となり、文明12年(1480年)に建立されていた「弘徳院」を、彦根藩主井伊家は江戸菩提寺と定めましたその後、万治2年(1659年)2代藩主井伊直孝の法号「久昌院殿豪徳天英大居士」に因み、豪徳寺と改称され、大名家墓所に相応しい伽藍を整え現在に至ります。
江戸時代の大名墓所の形態をよく保存し、周辺では最大規模の国指定史跡となっています。
次の東京大学の赤門について文京区のHPから借用いたします。
加賀藩13代藩主前田斉泰(なりやす)は、文政10年(1827)に11代将軍徳川家斉(いえなり)の娘溶姫(やすひめ・ようひめ)を正室に迎えた。
この門は、その際に建立された御守殿門。
当時、三位以上の大名が将軍家から妻を迎えた場合、その人・居所を御守殿と称し、表通りからその場所へ出入りする朱塗りの門を御守殿門と呼んだ。
1 江戸時代の浮世絵に描かれている赤門です。大名家が徳川家と縁戚を持つことは戦略的にも財政的にも政治的にも力を増すものです。その冴えたるものがハプスブルク家です。
武士は勿論一般庶民にも売られていた版画です。この時代にあっても文化の豊かな日本です。平和と教育の素晴らしさを痛感します。ヨーロッパが驚くのも頷けます。
2 江戸の観光ガイドブックと言えば言えなくもありません。旅にいけない我が家です。パスポートが切れてユーチューブ動画動画を見ていますが、版画を見て夢を託している人も多かったのかもね。
3 自分が幼い頃は東京でもお正月と言えば凧を挙げていました。トンビとが奴凧とか色々ありました。
4 前田家への輿入れの行列だそうです。朱色の赤門が現在の東大の赤門だそうです。現存する唯一つの門だと思うとより貴重に感じます。
5 豪徳寺に再現された井伊家の赤門です。
6 井伊家の墓所の手前にある六地蔵です。
7 この門の先が井伊家のお墓がある所です。
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18 豪徳寺の境内の位置関係です。🔲の赤枠が赤門で〇の赤枠が井伊家の墓所です。
招き猫で有名ですね。
明治初期に江戸らしさの残る写真を港区立郷土歴史館で見学していました。
https://blog.goo.ne.jp/iinna/e/ed7d432d7f64f59a110f4e7b62a4f17f
つい先日に、井伊直政が勇猛果敢な「井伊の赤鬼」といわれた物語を読んだばかりてせした。
井伊直弼はいい大老と言ったから 結構生きたのですよね〜
と思ったら 46歳で殺された?
若かったのですね〜
人生50年の時代だから
大老なのですかねえ〜
ただ 招き猫だけをみに行っていました。
この記事で 初めて寺の事を知りました。
https://blog.goo.ne.jp/tsakaegoo/d/20180920
招き猫も井伊家も猫つながりだったんですね。
今回の件で招き猫と井伊家の繋がりをしりました。
創作もあるかもしれませんが。
猫好きの我が家にとって大切にせねばならない豪徳寺さんです。
以前は沢山の招き猫が鎮座していましたが、今は綺麗に整然と並んでいる感じです。
また、増えてくれば以前の感じに戻るかもしれませんが。
沢山の招き猫が居るスレッドを拝見させて頂きました。
いつもコメントありがとうございます。
それとご返事が遅くなり失礼いたしました。
ついにカレンダーも最後の一枚に成ってしまいました。
素敵な師走をお過ごしください。
確か今、記憶違いでなければ赤門から東大校内には入れないかとおもいます。
改修工事で赤門が修復中かと思います。
https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/z1603_00004.html
東大に限らず大学構内は一般公道と変わらずにはいれますが、調べたら赤門を潜り入る事はできません。
現存するお輿入れする特別の門だから知って入るのと東大校内に入るのでは少し異なるかもです。
我が家は、四谷を通過して銀座方面に抜ける時は桜田門外の変の所を通ります。
歴史の1ページと思ってしまいますが、暗殺から100年経たずに自分は生まれています。
遠い過去の事と思ってしまいますが、歴史は脈々と繋がっている事を最近は強く感じてしまいます。
いつもコメントありがとうございます。
素敵な師走をお過ごしください。
最近、日本人の素晴らしさを特に感じます。
好きではなかった勉強としての歴史。
でも、少し遡れば日本人の血も文化も気質も脈々と引き継いている事を感じる自分です。
戦中戦後世代にとっては、野蛮な日本人を変えてくれたのは戦後の民主主義教育だと勘違いしていました。
新渡戸稲造などの著名人を知ると、今の文化人より江戸時代や明治、大正時代、戦前の昭和の時代の知識人の人間性には敬服します。
歴史の繋がりの大切さを肌で感じる歳になりました。
お寺にも、文化にも、人間の気質にも歴史が深く関わっている事を強く感じる今日この頃です。
いつもコメントありがとうございます。
素敵な師走をお過ごしください。