今回、蔵王の山越えで初めてGPSを本番で使用してみた。なるほど困ってしまった時の神頼みとしては実に強力な武器となり、電池切れ、故障などさえなければ確実にコースを辿る事が出来る。限られた時間に確実に帰ってこなければならない人にとっては、必須のアイテムともなるかも知れない。
事実我々もまったく視界が利かない場面ではすっかりGPSだよりで、無駄な時間を浪費することなく確実に帰れるメリットは大きい。
しかし山スキーの面白さ、奥深さと言う点では何か緊張感が薄れ、地形を読んだりコースを探したりする本来のゲーム的な要素は少なくなる。通常は地図、コンパスそれと高度計があればあまり困ることはないので、最初からGPS頼みとするのは何が充実感が薄れるような気がして疑問が残る。目的としてではなく最後の手段として活用してこそ意味があり、自分の力で解決するのが本来の姿とも感じる。
かつて30年以上前の話だが「ボルト論争」と言うのが有った。クラックのない壁にボルトの連打で強引に突破するやり方で、私もかつてはボルトのお世話になった当事者だが、その後フリークライミングへと通じる新しい価値観の変化が現れた。
まあ、そんなに大げさな話ではないだろうが、つまりは各自の価値観、スタイルの違いによって目的が異なってくるということで、他人に同じ事を強いることもナンセンス。
しかし今後自信過剰のスキーヤーが巷に溢れて来るのも困る。
事実我々もまったく視界が利かない場面ではすっかりGPSだよりで、無駄な時間を浪費することなく確実に帰れるメリットは大きい。
しかし山スキーの面白さ、奥深さと言う点では何か緊張感が薄れ、地形を読んだりコースを探したりする本来のゲーム的な要素は少なくなる。通常は地図、コンパスそれと高度計があればあまり困ることはないので、最初からGPS頼みとするのは何が充実感が薄れるような気がして疑問が残る。目的としてではなく最後の手段として活用してこそ意味があり、自分の力で解決するのが本来の姿とも感じる。
かつて30年以上前の話だが「ボルト論争」と言うのが有った。クラックのない壁にボルトの連打で強引に突破するやり方で、私もかつてはボルトのお世話になった当事者だが、その後フリークライミングへと通じる新しい価値観の変化が現れた。
まあ、そんなに大げさな話ではないだろうが、つまりは各自の価値観、スタイルの違いによって目的が異なってくるということで、他人に同じ事を強いることもナンセンス。
しかし今後自信過剰のスキーヤーが巷に溢れて来るのも困る。