雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 9月6日(火) 則子さんが作ったわらび餅

2011年09月06日 23時28分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月6日(火) 則子さんが作ったわらび餅

 則子さんが、わらび餅をつくりました。
 プニョプニョして、冷たくて、おいしかったです。

 ワラビは,やはり日本の野生の植物としてアク抜きをして古くから食用にされていましたし、きなこは大豆を粉にした「黄な粉」ですし、どちらも日本の古くからの文化と深い関連があります。

 照葉樹林文化のことも思いながら、食べました。


雨宮日記 9月5日(月) 台風12号の余波で稲光りが

2011年09月06日 23時19分54秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月5日(月) 台風12号の余波で稲光りが

 台風は去ったと思っていたら,のろのろ台風なので、まだ台風の余波があって、早朝、仕事の終わりかけに浜松市の中心部で、凄い稲妻の光りで中心街が照らし出されました。

 頭上で凄い稲光りが光って、「雷(=神鳴り)」がごろごろ鳴ると、やはりこわいです。
 
 パソコン、特にねっとをやっていて、パソコンをダメにする人もいますから、それもこわいですね。ぼくは自宅にいて、雷が鳴り出したら、まずパソコンからねっとのコードを急いで抜いて、パソコンのスイッチを切ります。

 写真は、則子さんの部屋の、則子さんのパソコンです。

 この前、自分で一本指で、チョン!ちょん!と打っているので「則子さん、パソコンのキーは、ピアノの鍵盤のように10本の指で音楽のように弾くんだよ」と言ったら「いいの、初心者のピアノはこんなものよ」と言い訳してました。

 全国で大雨でしたが、ちょうど浜松あたりは、うまく雲と雨の群れをすり抜けて、そんなには降らなかった台風12号でした。

  

雨宮日記 9月4日(日) 雨靴とズック靴を買いました

2011年09月06日 23時15分25秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月4日(日) 雨靴とズック靴を買いました

 小豆餅の靴屋さんに、短い雨靴とズック靴の底が破れてきたのでズック靴を買いにいきました。

 水曜閉店なので、開いていて、品数もそろえていて奥さんの対応もいいので、気に入って、ぼくの雨靴と、ぼくのズック靴を買いました。どちらも3000円前後。2つで6000円でした。

 数日前に、台風の来る前に新しいカッパも買ったので、これで雨の備えは万全です。

 則子さんが「古いズック靴捨てる?」と言うので
 「いや、まだ晴れた日ははけるから」と。

 
 

浜松・放射線量測定値 1 9月5日(月)

2011年09月06日 05時55分47秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定値 1 9月5日(月)

 購入した放射線量測定器「ホリバ Radi(PA-1000)」で測定を始めました。

 ガイガーカウンターではなくて、シンチレーション式カウンター(測定器)です。

 測るのはガンマ線(γ線)です。

 測定範囲は,0.000~9.999μシーベルト/h です。つまり1時間当たり、10マイクロシーベルトまで測れます。

 「エネルギー特性」とか「エネルギー範囲」とか、まだわからないので、わかったら書きます。

 測定は10秒ごとに、60秒の平均値を表示するので、基本的には、10回、つまり100秒間、測ろうと思います。

 「指示誤差」は、「±10%以内(Csー137の基準値に対する誤差)」と書いてあるので、10%位の誤差があるということかな。

 さっそく、自宅の外のコンクリの駐車場で測ってみました。地上1mです。静岡県浜松市中区十軒町です。今日は9月5日(月)で、台風12号のあとの雲がまだ残っています。測定&記録者雨宮智彦。

 午後4時25分から。10回測定しました。
 最大値は0.060
 最小値は0.050
 平均値は0.0555

 同じコンクリの駐車場の上で、地上0センチに探知機を置いてみました。午後4時22分から。
 最大値は0.088
 最小値は0.072
 平均値は0.0780

 

 

遠州古代史 湖西市の神座(かんざ)古墳群発掘

2011年09月06日 05時25分27秒 | 遠州古代史
遠州古代史 湖西市の神座(かんざ)古墳群発掘

 湖西市の神座(かんざ)にある東雲寺の裏側(裏山?)に「神座古墳群」があります。

 約70基の古墳郡ですが、そのうち8基からななる神座古墳群B群のうち2基を、この夏、駒澤大学高校学研究室が発掘しました。

 7日には、ぼくも別の用事で湖西へ行くので、正確な場所を聞いてから、現地を見に行きたいです。

 新聞やネットで見ると、4号墳と5号墳を調査し、これまで7世紀とされてきた築造時期が須恵器の破片の特徴から6世紀の築造の可能性が出てきたとなっています。

 もう一つは『静岡新聞 8月30日』(18)面の報道記事で「墳丘は土石混合で増勢され、県内他地域や長野県で5~6世紀に岩石だけで築造する墳墓として広く分布した「積石塚」の影響を受けたと考えられることなどが分かった」と、あります。

 「積石塚」は、端的に言えば高句麗系の移住民ということでしょうが、浜松市浜北区の有名な高句麗系の積石塚との関係がどうなのか、気になります。

 それと、高句麗系という推測のある浜松市内の神社・地名との関連ですね。この問題は、この「遠州古代史」で別項目で取り上げますね。

 興味深いのは、この湖西市の地名「神座(かんざ)」ですね。どうして、神のいる「座」に古墳があるのでしょうか。

 しかも、お寺の東雲寺の裏山に古墳があるという、「寺社」と「古墳」の共存の一例です。

 『静岡新聞』の記事に「湖西地域は鎌倉時代まで国内屈指の窯業生産地だったとされるものの、実態が解明されていない」と書いています。
 
 この「窯業」「湖西焼」と朝鮮系・あるいは高句麗系移住民との関連は?

 ぼくも探求していきたいと思います。