雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

浜松・放射線量測定情報 13 自宅・わが家の外と中

2011年09月19日 21時53分02秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 13 自宅・わが家の外と中

 9月19日(月)敬老の日、夜、雨の降り出す直前、それぞれ10回計測

 午後7時22分、自宅の駐車場・コンクリの上
  平均値 0.0610 
  最大値 0.068
  最小値 0.054

 午後7時26分、自宅1階玄関の横の部屋
  平均値 0.0573
  最大値 0.058
  最小値 0.051

 午後7時30分、台所の木のテーブルの上
  平均値 0.0644
  最大値 0.071
  最小値 0.062

 午後7時33分、2階則子さんの部屋
  平均値 0.0488
  最大値 0.053
  最小値 0.045

 午後7時38分、2階ベランダのコンクリの上、1m
  平均値 0.0559
  最大値 0.061
  最小値 0.050

 見ての通り、屋内ではかなり放射線が減るかと思っていましたが、木造の我が家では遮蔽能力があまりないのか、むしろ増えてる部屋もあります。

 たしかに木造家屋でも屋外を漂う細かな塵に付着した放射性物質や、あるいはアルファ線・ベータ線はさえぎるかもしれませんが、もうほとんど空気中に漂っていないと思われる今の状態では、屋内外の違いはあまりないのかもしれません。

 むしろ市役所内で計測したように建物の建材自体から出る放射線で高くなる場合があります。

 
 

 

雨宮日記 9月18日(日)補遺 対話編「生命と愛と…」

2011年09月19日 06時53分21秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月18日(日)補遺 対話編「生命と愛と…」

 則子「どうして、智彦くん、そんな早く転換できたの?
    わたし、行ってもいいよって言ったのに」

 ぼく「見かけだけ生きていても、愛が消えちゃったら、生きている意味がないでしょ
    形式的には、もちろんぼくは行く権利はあるけど…でも…
    ほんとうに好きな則子さんのために、ぼく生きているんだから
    この夏は、二人とも、すごく危機だったんだよね

 則子「私は、予測外れで、すごくつらい夏だったけど…

 ぼく「則子さんが、つらいときには、ぼくだって、つらいよ…
    必死で則子さんを支援したんだよ
    そうしたら、わかったんだ。
    あ、ぼくも同じだ!逃げなくちゃ!って

 則子「もっと詳しく、みんなにわかるように説明できる?
    生命と愛と…

 ぼく「うん、やってみる。できたら、小説にするのがいいかな?
    もちろん、生命も愛もどっちも大事だよ。
    だって、それは同じものだもの
    生命は、大好きな則子さんと一緒に生きていく喜びや哀しみで
    憎しみではないし、怒りではないし
    自分の中から出てくるのではないものは違うかな

 則子「大事な生命や愛があるから、
    場合によっては、外から見るとあっけなく捨てるように見える?

 ぼく「そう!たかかうことは大事だけど、
    そこでたたかうか、そこから脱出するか、一人ひとりが決めるべきと思う

 

浜松・放射線量測定情報 12 9月18日(日) 「まだら模様」な放射線量

2011年09月19日 06時02分54秒 | 地震・原発・津波・防災情報
浜松・放射線量測定情報 12 9月18日(日) 「まだら模様」な放射線量

 ずっと放射線量を測定していると、感じるのは、まずこんなに1分くらいで放射線量がかなり変動しているとは思いも寄りませんでした。

 10秒ごとの60秒積算値が、かなりあがったり、下がったり、変動します。

 次には、すこし場所を移動しただけで、かなり数値が変動する。「まだら模様」汚染なわけです。

 最初は「2kmメッシュ」にすれば、かなり精密に放射線量の地域的変動を測れるかと思ったのですが、もっと精密に「1kmめっしゅ」で測る必要があるかもしれません。

 もうすこし広域で測ってから判断します。

 今日は快晴。暑い日です。

 午後3時25分、有玉神社北東の巨木の下。オーシンツクツクが啼いています。
  平均値 0.0371
  最大値 0.040
  最小値 0.033

 午後3時40分、積志小東の道路上
  平均値 0.0437
  最大値 0.048
  最小値 0.036

 午後3時53分、積志図書館西南の路上。以上東区
  平均値 0.0370
  最大値 0.040
  最小値 0,034

 午後4時15分、浜北区内野、御陣屋川の西、遠鉄バスの東
  平均値 0.0314
  最大値 0.036
  最小値 0.027

 写真は「浜北区内野、御陣屋川の西、遠鉄バスの東」の川です。

 
 
 

雨宮日記 9月18日(日) 暑い9・18でしたが、負けずに家と外で

2011年09月19日 05時31分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 9月18日(日) 暑い9・18でしたが、負けずに家と外で

 放射能測定で忙しくて「雨宮日記」が遅れているので,一気に日曜日まで途中を飛ばしました。

 最近は「9・18」と言っても「何、それ」と変な顔をされるようですが、要するに戦前の大日本帝国が「満州」(中国では「中国東北部」といいます)全土を戦争で占領して「満州国」(中国の言う「偽満州国」)を作って完全植民地化した第1歩の戦闘が始まったのが9月18日です。

 「15年戦争」の始まりで、1931年ですから、今から80年前です。僕の父親が9歳の時です。父に聞いてみようと思います。
 
 「「満州事変」の記憶ある?」って。

 なぜ「事変」かというと、正式に「戦争」にしないために「宣戦布告」をしていないんですね。

 すこしは学ぼうと、8月に録画した映画「人間の条件」全部を見ると9時間半だそうです。その最初、その満州で、主人公の梶さんと、恋人の美千子さんが、日本兵の行軍をバックにかわす会話から始まります。

 梶さんは、いつ兵隊に徴兵されるかわからない立場、彼女に結婚してくれと言えずに、彼女もやきもきします。

 梶さんの勤める会社(満州鉄道=満鉄?)で彼女はタイピスト(タイプライターを打つ人)のようです。
 
 そこで娘から「お父さん、いつまで見る?」と言うので「ああ、いいよ。いつでも見れるから」と画面権を譲って2階へ行きました。

 さて、今日も暑い1日でした。

 午後起きてから、最近は則子さんの部屋(いままで長女も一緒にいた部屋)で則子さんのノートパソコンを使わせてもらうことが多いのですが、今日も、自衛官人権裁判の勝利報告会の返信ハガキ「わたしのひとこと」をようやく仕上げました。8ページにしたので、B4版の紙で2枚使って印刷することになります。

 午後の3時からは、則子さんと車で北東方向へ放射能測定に行きました。2kmメッシュの交点だけではなく、積志小とか途中の地点でも測定しました。

 久しぶりに行った御陣屋川(馬込川の支流、浜北区内野付近)では、黒いハグロトンボが何匹もヒラヒラ飛んでいました。グリーンの胴体がきれいです。もちろん「羽黒」です。「お歯黒」ではないです。

 夕方、自宅に帰り、則子さんはすぐに夕食作り。以前は、則子さんが仕事で忙しかったので、子育てや夕食や洗濯もかなりやっていたのですが、最近は、則子さんに頼り切りで、時々、ずきっと良心が痛みます。
 則子さん、いつもありがとうございます。心から感謝いたします。でも、ぼくだって、則子さんの必要不可欠なことやっていて、相互支援ですよね?(うわあ、無理矢理…)。

 決して一方通行の奉仕ではないと思いますが。

 夜は、則子さんといっしょにぼくの職場に、10月に新居図書館でやる「原爆と人間展」のちらしを700枚、印刷にいきました。
 印刷を終えてから,被爆者の会のYさんに必要枚数を届けました。
 
 則子さんが「コープの小豆餅店に買い物に行って」というので、一緒に車で行き、ぼくの好きなフランクフルトとウインナーもついでに買ってもらって,家へ帰りました。

 今日も、ふつうに忙しい日でした。

 写真は、今日の夕食です。もちろん則子さんの完全自作です。