遠州古代史 地名編 2 東区半田町(はんだちょう)
『和名抄』の「麁玉郡」に「覇多郷」(はたごう)があります。現在の東区の半田町や「半田山」のことですが、明らかに「覇多郷」は古代氏族の秦(はた)族の居た地帯です。
秦氏は、古代朝鮮から移住してきた大部族ですが、古代の長岡京や平安京のあたりの水利を整備し,現在の「京都」の基礎を築いた部族です。
「半田町」「半田山」だけではなくて、「有玉南町の旧村時代の字には東畑屋、西畑屋…などがあった」、「『畑屋』は本字は幡屋なり。昔の神服部の処か。と「風土記伝」に記されている」と加藤鎮毅さん著『あの町この町 遠州地名町名物語 浜松・浜北編』ひくまの出版,1981年、p235)には記されています。
半田=秦氏=服部ですね。
さらに服部(はっとり)という機織り部族は、織物技術にたけていたわけですから、浜松の物作り伝統の基礎は、この秦族ということになります。
笠井地域には、豊町に「服部神社」がありますから、半田町の範囲を超えて。秦氏は分布していることになります。「遠州の遺跡・寺社23 豊町の「服織(はたおり)神社」
2010年08月01日」で紹介しました。
さらに別の、「豊町羽鳥」の「羽鳥八幡」神社のことは、昨年「遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社」(2010年07月28日)で紹介しました。
「豊町」は1955年に合併で作られた新しい町名です。
☆
蛇足ですが、耳で「はんだ」と聞いて連想したのは、金属をくっつける「ハンダ」です。ねっとで調べたら「ハンダ」は外来語ではなく、日本語だと言うことなので、古代の技術氏族である秦氏の名前と、もしかして関係があったりしたらおもしろいですね。
ありえないかな?
『和名抄』の「麁玉郡」に「覇多郷」(はたごう)があります。現在の東区の半田町や「半田山」のことですが、明らかに「覇多郷」は古代氏族の秦(はた)族の居た地帯です。
秦氏は、古代朝鮮から移住してきた大部族ですが、古代の長岡京や平安京のあたりの水利を整備し,現在の「京都」の基礎を築いた部族です。
「半田町」「半田山」だけではなくて、「有玉南町の旧村時代の字には東畑屋、西畑屋…などがあった」、「『畑屋』は本字は幡屋なり。昔の神服部の処か。と「風土記伝」に記されている」と加藤鎮毅さん著『あの町この町 遠州地名町名物語 浜松・浜北編』ひくまの出版,1981年、p235)には記されています。
半田=秦氏=服部ですね。
さらに服部(はっとり)という機織り部族は、織物技術にたけていたわけですから、浜松の物作り伝統の基礎は、この秦族ということになります。
笠井地域には、豊町に「服部神社」がありますから、半田町の範囲を超えて。秦氏は分布していることになります。「遠州の遺跡・寺社23 豊町の「服織(はたおり)神社」
2010年08月01日」で紹介しました。
さらに別の、「豊町羽鳥」の「羽鳥八幡」神社のことは、昨年「遠州の遺跡・寺社20 豊町の羽鳥八幡神社」(2010年07月28日)で紹介しました。
「豊町」は1955年に合併で作られた新しい町名です。
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蛇足ですが、耳で「はんだ」と聞いて連想したのは、金属をくっつける「ハンダ」です。ねっとで調べたら「ハンダ」は外来語ではなく、日本語だと言うことなので、古代の技術氏族である秦氏の名前と、もしかして関係があったりしたらおもしろいですね。
ありえないかな?