遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その3 古事記の檜くま
以前に「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その1」(2011年08月20日 05時23分10秒)と「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その2 江戸の檜前氏」(2011年08月20日 17時48分39秒)を書きました。
その続編です。
『古事記』には「檜くま」という地名は2カ所だけ出てきます。宣化天皇さんは、継体天皇さんの息子ですから、たぶん6世紀前半の人です。
この人が「「檜くま(「くま」=「土偏」+「向」)の廬入野宮(いほりののみや)に坐(いま)し、天の下、治しめき」と書いてあるのと、次の天皇の欽明天皇さんの項目に「檜くま天皇(ひのくまのすめらみこと)」と紹介してあるところ、それだけかと思います。
(読み下し分は中村啓信さんの訳註『古事記 新版』角川ソフィア文庫によりました)
以前に「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その1」(2011年08月20日 05時23分10秒)と「遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その2 江戸の檜前氏」(2011年08月20日 17時48分39秒)を書きました。
その続編です。
『古事記』には「檜くま」という地名は2カ所だけ出てきます。宣化天皇さんは、継体天皇さんの息子ですから、たぶん6世紀前半の人です。
この人が「「檜くま(「くま」=「土偏」+「向」)の廬入野宮(いほりののみや)に坐(いま)し、天の下、治しめき」と書いてあるのと、次の天皇の欽明天皇さんの項目に「檜くま天皇(ひのくまのすめらみこと)」と紹介してあるところ、それだけかと思います。
(読み下し分は中村啓信さんの訳註『古事記 新版』角川ソフィア文庫によりました)