雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮日記 11月12日(土) 山辺の道・飛鳥旅行の1

2011年11月13日 23時20分33秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 11月12日(土) 山辺の道・飛鳥旅行の1

 則子さんと2人で、奈良にいる則子さんの弟とじっくり話をするのも兼ねて、山辺の道と飛鳥旅行に行きました。

 言うなら神社と古墳の旅ですが、則子さんと2人きりで泊まりがけの旅行をするのは、以前にあったかな?則子さんもふくめて何人かで行く旅はありましたが、2人だけというのはなかったような気がします。

 朝、こだま自由席で名古屋へ、名古屋駅から指定席の近鉄特急で大和八木へ。大和八木駅で近鉄橿原線に乗り換えて田原本町駅の次の石見(いわみ)駅で下車して…というはずが初めての路線なので、橿原線に乗る電車の方向を間違えてしまい、慌てて西八木駅で下車して逆に戻りました。

 石見駅のすぐ東側の鏡作神社から始めて「鏡作」「神社」という名抄が入っている神社を徒歩で3つ回りました。それぞれ特徴があっておもしろかったです。をのあと、途中のセブンイレブンで覚えた会社名「西村タクシー」で山辺の道の近くの黒塚古墳へ移動して古墳めぐり、詳しくは「日本と世界の古代」でレポートします。

 ここでまたハプニングというか失敗で、タクシーを降りて、ぼくが「則子さん、デジかmを入れた袋は?」と言ったら「え?智彦くんが持ってるでしょ?」と言うので、慌ててあちこち探してもなくて、結論としてタクシーの座席に置き忘れたか、タクシーに乗るときに、大事なデジカメ2台と方向測定器の入った袋を神社に置き忘れたとなりました。

 「西村タクシー」さんに電話しましたが、その「140号車」にはありませんということで、すぐ、その「140号車」さんに黒塚へ来てもらい、戻りました。

 あ~あ、デジカメがなかったらどうしよう、どっか電気屋へ買いにいくかと覚悟していて神社へ着いたら、赤いでっかい鳥居の足元に、ありました!

 ホッとして黒塚古墳へそのタクシーで戻り、古墳巡りを再開、往復で4000円の超過支出でした。こういうときに「あなたがバカだから」とか「君が気をつけないから」とか、いっさい言わない、「どうしてそうなったか」は絶対追求しない、「これからどうしたらいいか」を考え合うのが雨宮家の道徳です。

 黒塚から歩いて、「崇神天皇陵」古墳、「景行天皇良」古墳、箸墓古墳などを歩いてめぐり、箸墓で夕方になったので、則子さんの弟のAくんに電話をして迎えに来てもらいました。

 迎えを待っている間に、箸墓古墳ではなく逆方向の西を撮影している男性がいたので、なんだろう?と思っていました。なんとなく、お互い「こんにちわ」とあいさつをして話を始めたら、「二上山の夕陽を穫っているです」と言う大阪のでした。

 お互いに古代の遺跡の撮影をしていることがわかり、話がはずんで、男性のOさんからパンフレット「」やサヌカイトの破片をいただきました。ありがとうございました。ブログでお礼申し上げます。

 Oさんが「まだホケノ山古墳を見てから帰ります」と立ち去った後で、二上山の黒いシルエットの背後の燃えるような夕陽のオレンジ色が最高によかったです。

 暗くなりかけたときに来てくれたAくんの車で、自宅の橿原市東竹田町へ。彼は、独身ですが、中古の平屋を買ってそこに1人で住んでいます。

 初めて則子さんもボクも、東竹田町を訪問したのですが、栄養士なので料理上手のAくんの料理を味わいながら、おいしい奈良のお酒を飲んで、深い話をいっぱいしました。
 
 なおお酒の名称は、さすが奈良というか「やたがらす」でした。それ何?と言う方は,ネットで八咫烏を検索してください。

 いつ自分が寝たのか、どこまで姉と弟の会話につきあっていたのか…よくわかりません。こういうときは、何を自分がしゃべっていたか則子さんに聞くのもコワイので、あとあと、いっさい聞きません。

 12日に続きます。

 ☆

 補足ですが、いま13日夜に帰って来ましたが、則子さんに「新婚旅行以後で、2人だけで宿泊付きの旅に出た事って記憶ある?」と聞いたら、則子さんも思い出せませんでした。

 ということは自他ともに「認める(誰が?)」ラブラブ夫婦の雨宮夫妻は、新婚旅行から30数年ぶりの二人だけの旅行、となります。

 また二人で行きたいな。まあ家にいる次女のIさんと3人でもいいですが。次に行きたいのは、山辺の道・飛鳥の、今回いけなかったところか、古代のレイラインがかなり鮮明に判明している伊勢・志摩です。