雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

雨宮家の物 3 神社と古墳の方向測定用の磁石(旧)

2011年11月11日 23時25分41秒 | 雨宮家の物
雨宮家の物 3 神社と古墳の方向測定用の磁石(旧)

 「遠州の寺社・遺跡」探訪のとき用に、車に常備していて、神社の神さまの見ている方向(反対方向は僕たちが神社を拝む方向=鳥居の真ん中に神社の拝殿の中心を入れて測ります)や前方後円墳などの方向を測っています。

 これはずっと使ってきた器械で、昔、天文ファンのとき(今でも天文ファンですが)に買った方向測定のコンパスです。

 小型の望遠鏡の中にコンパスが組み込まれていて、視界のなかで「何度」か測ることができます。

 壊れないのでずっと使っています。
 
  ☆

 ここまで書いてから、ネットで念のため「天体観測 コンパスグラス」で検索したら、出てきました。

 アマゾンで「コンパスグラス 一般用モデル」石神井計器製作所、1万5千円前後でした。これ、そんな高かったのかあ、びっくりです。もちろん、ボクが買ったのは、たぶん20年以上前?ですから、もっと安かったと思います。

 誤差は±2度以内、と書いてあります。


原発ニュース 11月11日 文科省が空中で静岡県測定

2011年11月11日 23時11分41秒 | 地震・原発・津波・防災情報
原発ニュース 11月11日 文科省が空中で静岡県測定

 文部科学省が空中から静岡県内などの放射線量を量ったデータを地図で公表したので公式サイトを見ました。

 たぶん明日の12日の新聞に掲載されると思いますが、文科省のサイトを見たら、静夫か県内は浜松市天竜区の北半分くらい、川根本町、静岡市葵区の北3分の1くらいで、0,1μSv/h以上、ほかはすべて0.1以下です。

 空中から測るので放射線量のまだら模様は平均化されます。

 今回とこれまでの測定で、地上1mの放射線量が、富山県~岐阜県~静岡県より東の東日本での地図ができています。

 福島第1原発から南へ東京まで到達する流れと,西へ群馬県まで達する流れがあります。

 北へは岩手県・宮城県・山形県でそれぞれの県境などに0.1以上の地域があります。

 群馬県までの流れとはすこし離れて、富山~岐阜~長野~静岡県に0.1以上の帯があります。

 これは果たして福島原発事故の影響なのでしょうか?それとも花崗岩など岩石から出る自然放射能でしょうか?



 

遠州の遺跡・寺社 62 中区早出町の延命地蔵尊

2011年11月11日 16時40分07秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 62 中区早出町の延命地蔵尊

 「61」で紹介した「中区早出町の村社八幡宮」の北西、馬込川の東岸・堤防上の道路の東脇にある小さな祠です。

 この前の台風でちぎれたのか、赤いのぼりを見ると「延命地蔵尊」と書いてありました。

 祠の中に石のお地蔵様がいらっしゃいます。お地蔵様の正面に向かって228度です。つまり、お地蔵様は北東の方向(真北から45度)から3度南へぶれた方向を向いていますが、まあ北東でしょう。道路の加減なのか、真夏の太陽の日の出を見ようとしているのか、どっちでしょうか。
 
 祠の右前に、ひらがなで「おん かかか びさんまえい そわか」と書かれています。何の祈願文でしょうか。

 祠の中の石の延命地蔵様は、左手に玉を持っています。地蔵様の頭の上には「卍」が刻まれています。これは何でしょうか。地蔵様などについては素人なので何も分かりません。これから調べます。

 延命地蔵様の横(後ろ)には、秋葉灯籠があります。

 

遠州の遺跡・寺社 61 中区早出町の村社八幡宮

2011年11月11日 16時24分51秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社 61 中区早出町の村社八幡宮

 場所は早出町のマックスバリュー早出店(昔の松菱マート)のすぐ西の信号を北に入っていくと、それがまっすぐ八幡宮の参道につきあたります。

 というよりマックスバリューの横からずっと八幡宮の参道だったのではないでしょうか。

 神社へ向かって測ると、真北から6度東へぶれていますが、まあ真北と言っていいでしょう。鳥居から神社までの石畳の参道は神社からまっすぐ出て、すぐ向かって左へズレ、さらにまた右へずれて、要するに1回だけ之ジグザグになっています。なぜでしょうか。

 祭られているのは「誉田別命 応神天皇」さんですが、スサノオ命さんと、天照大神さんが合祀されています。

 もともと、八幡(はちまん)さまは、8つの「はた」と書くように秦(はた)族の氏神だと思いますが、たぶん源氏の氏神として全国に広がったので、秦族のことは知らずに祭っている「八幡さま」も有るのかも知れません。

 このすぐ近くには、近世の今川時代の「引馬城」の家老・江間家の屋敷もあったので、たぶん八幡宮は江間氏が尊崇していたのでしょうか。

 浜松地域の「秦族」の居住地の本拠地は、今の東区「半田町」「半田山」のあたりではないかと思います。

 (探訪&撮影 2011年11月11日(金)午後)
 

 

遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その4 「万葉集」の檜くま

2011年11月11日 05時38分57秒 | 遠州古代史
遠州古代史 浜松「曳馬」と古代の「檜前」 その4 「万葉集」の檜くま

 現存の「万葉集」のうち、地名としては「檜隈川」が歌われている歌が2首あります。

 1首は「巻第七」の「雑歌ざふか)」の「河を詠める十六首」(1100~1115)のうち、1109番です。

 中西進さんの読み下し文で

 「左檜隈(さひのくま) 檜隈川の瀬を早み 君が手取らば 言寄せむかも」

 原文の前半は「左檜乃熊 檜隈川之」

 もう1首は「巻第十二」の3097番です。

 「左檜の隈(さひのくま) 檜隈川に馬駐(と)どめ 馬に水飲(か)へ われ外(よそ)に見む」

 人名の中の「檜隈」は、また次回に…。