原発ニュース 報道特集 東電の元原発エンジニアが語る衝撃の内部
今日は、何も予定のない土曜日で、週1回の休みの日です。則子さんのつくってくれた夕食を、則子さんとお父さんがゆっくり味わって食べている台所へ行って、あっという時間(たぶん10分以内)にガッと食べて「ごちそうさま」と玄関の脇の居間へいき、めったに見ないテレビの夕方のニュースを見てました。
「報道特集」で、元東電エンジニアというテロップが出たので、則子さんを呼んでいっしょに見ました。
福島県で育った男性で、高校は、東電が作っていた「東京電力学園」という高校に入り、東電から給料をもらって高校生活を送り、原子力技術者として福島第一原発で原子炉と向き合ってきた男性です。
男性は、かなり以前に、実際の原発での体験から、原発の未来に疑問を抱くようになり、東電を「依願退職」し、3/11以後に、奥さんと娘さんと3人で高知県土佐清水市に移住、土佐清水市で、経歴を生かして、太陽発電の提言と普及などをしています。
サーファーで、自然に向き合っていたことも、決断ができた一つでしょうね。
彼は、福島原発で、配線の劣化から起きた浸水で、地下の非常電源が浸水した事故をまのあたりにします。
そして、地震や津波のときには、原子炉が制御不能になると確信を抱いて、上司と話をしますが、上司は「そのとおりだが、上はそういう意見は受け入れないので」という意味の会話で、彼はショックを受けます。
やっぱり、人間なら、東電の中にいても、こういう風に感じるんだなあと、ホッとする報道でした。
いや、ホッとしてはいけませんか。
番組の中で興味深かったのは、福島県の現地で反原発運動を続け居ていて、自分で太陽光など電力を作って、東電からは電気を買わない、という「原人」とあだなされたaさんのお宅へ、東電社員と言えずに、彼が出入りしていたことです。
「原人」さんのいうには「東電社員というのは、別の世界の存在」で、自分たちの言葉の通じる世界には、いなかったという意味でしょうね。
いろいろ考えさせられる番組でした。
今日は、何も予定のない土曜日で、週1回の休みの日です。則子さんのつくってくれた夕食を、則子さんとお父さんがゆっくり味わって食べている台所へ行って、あっという時間(たぶん10分以内)にガッと食べて「ごちそうさま」と玄関の脇の居間へいき、めったに見ないテレビの夕方のニュースを見てました。
「報道特集」で、元東電エンジニアというテロップが出たので、則子さんを呼んでいっしょに見ました。
福島県で育った男性で、高校は、東電が作っていた「東京電力学園」という高校に入り、東電から給料をもらって高校生活を送り、原子力技術者として福島第一原発で原子炉と向き合ってきた男性です。
男性は、かなり以前に、実際の原発での体験から、原発の未来に疑問を抱くようになり、東電を「依願退職」し、3/11以後に、奥さんと娘さんと3人で高知県土佐清水市に移住、土佐清水市で、経歴を生かして、太陽発電の提言と普及などをしています。
サーファーで、自然に向き合っていたことも、決断ができた一つでしょうね。
彼は、福島原発で、配線の劣化から起きた浸水で、地下の非常電源が浸水した事故をまのあたりにします。
そして、地震や津波のときには、原子炉が制御不能になると確信を抱いて、上司と話をしますが、上司は「そのとおりだが、上はそういう意見は受け入れないので」という意味の会話で、彼はショックを受けます。
やっぱり、人間なら、東電の中にいても、こういう風に感じるんだなあと、ホッとする報道でした。
いや、ホッとしてはいけませんか。
番組の中で興味深かったのは、福島県の現地で反原発運動を続け居ていて、自分で太陽光など電力を作って、東電からは電気を買わない、という「原人」とあだなされたaさんのお宅へ、東電社員と言えずに、彼が出入りしていたことです。
「原人」さんのいうには「東電社員というのは、別の世界の存在」で、自分たちの言葉の通じる世界には、いなかったという意味でしょうね。
いろいろ考えさせられる番組でした。