雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

古代ブログ 92 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 52 浜松市中区神田町の雀神社<再録>

2018年11月08日 09時10分21秒 | 遠州古代史


古代ブログ 92 浜松の遺跡・古墳・地名・寺社 52 浜松市中区神田町の雀神社<再録>

 今も「しずめの社」と「すずめ神社」との関係が不明です。

 以下、再録。

「遠州の遺跡・寺社 63 浜松市中区神田町の雀神社
2011年11月15日 15時29分37秒 | 遠州古代史

 神田町(かみだちょう)です。江西中学校の北側の東西に通りを西へ300mほどの信号を南へ折れるとすぐ西に鳥居があります。

 行って見るまでは東向きの神社かと思っていましたが、敷地内で参道が大きく北へカーブして,南向きの神社でした。

 ほぼ0度で、真南に向いています。

 神社名は「すずめ神社」ではなくて「さざき神社」です。祭神は、別名「大雀神社」ということからもわかるように、説明板でも「大雀之命(仁徳天皇)」と明記してありました。

 説明板によれば「合祀 神明宮(天照皇大神)」「摂社 津島神社(須佐之男命)」とあります。

 なお「静岡圏神社庁」のHPでは「ささき神社」とふってありあすが,現地の案内板は「さざき神社」ですし、大雀は「おおさざき」ですので、さざきが正しいでしょう。

 参道が曲がったのは、道路を作るときに曲げたのでしょうね。神社の方向は南北だと思います。

 コンクリの鳥居は明治33年(1900年)建造です。

 雀神社で検索したら、茨城県古川市の雀神社が有名なようです。古川市の雀神社は、
「大己貴命。少彦名命。事代主命」ですから出雲系です。

 名前も本来は「しずめの社」だそうです。」


 もう1日、追加。


「遠州の遺跡・寺社「63 浜松市中区神田町の雀神社」の2
2011年11月16日 05時28分34秒 | 遠州古代史

 昨日の補足です。

 この雀神社は、説明板で「大雀命」さん、つまり「仁天皇」さんを祭っていますが、日本の神社で、歴代の天皇さんのうち、祭神として祭られているのは、誰と誰でしょうか?

 ぼくの覚えでは、この大雀命さん=仁天皇さんと、八幡信仰と合体したホンダワケ命さん=応神天皇さんの2人だけです。

 ということは、天皇家の始祖神として信仰されたのは,応神天皇さんと仁天皇さんの2人だけでしょうか。

 神武天皇を祭る橿原神宮は、明治23年(1890年)の創建ですから、古代~中世~近世の考察のなかには入りません。

 崇神天皇さんとか、継体天皇さんとか、天智天皇さんとか、天武天皇さんとか「神」になってもおかしくはないと思いますが、なぜか、神社にはならないんですね。

 応神さん、仁さんは、日本で最大の大きさの巨大古墳をつくったというくらいです。

 天皇さんではなくても、菅原道真さんなどは「天神」として日本全土のあちこちで神として祭られています。

 この違いは何でしょう?まだ、解答はありません。もっと深く考えます。