新・本と映像の森 207 本多勝一『検証 カンボジア大虐殺』朝日文庫、1989年
462ページ、定価500円。
この本を久しぶりにざっと読んだ。前にも精細に読んだわけではない。ふつうのボクの読み方をすると“悪魔の行状”に気分が悪くなるから。
でもヒトラーやスターリンや毛沢東や「現代の悪魔たち」のやり口を詳細にけんきゅうしないとという思いが膨らんだ。
著者は朝日新聞記者であって、本多さんの方法はジャーナリストの通常の方法である。つまり、1つの取材場所のできるだけ、たくさんの家族を取材して「定量分析」する。
本多さんはボルポト政権崩壊後、ベトナム側とカンボジア側から取材して、この大虐殺をリアルに浮かび上がらせている。
当時の日本では「虐殺というのはベトナムのカンボジア侵略をごまかすためのウソ」説があったことを思いだす。
実態・原因・前史・後史についていろいろ判ってきたこともあるが、別途「」でいずれ触れたい。
目次は次のとおり。
1 異常事態の最初の報道【1975~1978】
2 カンボジア国境最前線(1978年)
3 カンボジア脱出難民たちの証言
4 ハチエンの虐殺
5 プノンペン ー 1980年
6 カンダル省
7 スワイリエン省
8 コンポンスプー省
9 コンポンチャム省
10 タイ側の国境にて
座談・虐殺はなぜ起きたのか
ところでカンボジア大虐殺では、いったい何人殺されたのでしょうか。
「カンボジア大虐殺」でGoogle検索すると、上から3番目のサイトで「こうしてたった4年の間に、たった人口800万人の国で、200~300万人が殺されました。」とありました。まあ妥当な数字でしょう。
では「なぜ?」、それを多面的に考えていきたいと思います。座談会で矢野京大教授が「不幸なことに、マルキシズムの中で、一番好ましくない要素と、カンボジアが伝統的にもってきた土着文化の中の一番好ましくない要素とが共鳴してしまった。……古代専制支配的なクメール帝国以来の特性、具体的な例をいえばクメール帝国の刑法のパターンが掘り起こされてしまった。」というのがボクの共感するところです。
この本の内容は再度詳細にとりあげる予定。