9月3日台風の予報が出されている最中横浜港を出航した。乗船早々の不慣れと、台風による横波を受けて船酔い続出で迂回路をとらざるを得ず、ベトナム寄港を逃した事は最初に触れた。航海中や寄港先の天候ばかりではなく、日本での台風や、パキスタンの地震の被害、南米でのハリケーン情報など気を揉むことも多かった。(スポーツデッキは広くはないが、ネットの外から応援できる。「風に吹かれて早朝テニス」に始まって終日使われていた)
日本の台風の被害状況は、数日おきに掲示されるニュースで知った。たった3ヶ月前には2000万人もの人命を奪ったスマトラ沖地震を、TVを通して目の当たりにし、その津波がインド洋にまで波及したことも記憶している。当時スリランカに滞在していた英語教師のニックや、滞在経験のある外国人教師2人から経験談をインド洋航行中に聴いた。人為のなせる業の少なさがかくも大きな被害に繋がった無念さを思わずにはおれない。(右・挙手がニック。下船目近、役目を終えてリラックス気分が出ている。男性総勢丸刈りにしたのは記念撮影のため?)
10月に入ってパキスタンで地震発生。道路の決壊により現地(山岳部)への救援物資の搬入も困難と知った。boat上でも募金活動が行われ、NPOとして支援に関るとのことであった。他にも寄港地の支援に向けて現地の物産の販売や募金活動が行われた。(ランチに多用したバイキング形式の食堂。デッキに連なり海の風、匂い、眺め、お喋りを楽しむ)
またキューバ上陸前は大型ハリケーン「ウイルマ」情報に悩まされた。海図掲示板エリアにハリケーン情報が掲示されたり、上陸説明会でツアー内容に変更が生じるかもしれないと案内された。航行は安定していたけが、着いてみたら「数日前までこの辺まで水浸しだった」と壁面のシミを教えられた。農園の方でも日本から客があるというので復旧作業を急いだという。
帰港する12月16日までの104日はやはり長い。帰宅用の冬服以外にも予告されていた情報に基ずいて衣服の支度をしていた。概ね準備に怠りはなかったが、海流の影響で南米の太平洋岸の船上は寒さが続いた。余りの寒さ続きに、寄港先でセーターを求める人も多かった。天気、災害は人や土地を選ばない。ただ開発のやり方、予測情報の精度、人間の知恵によって被害状況には差異が出よう。だが結果に対しては等しく救援されたい。(窓越しに見える海洋は群青色をなし深さを思わせた。寒流の影響で寒かった)