忘れ人の独り言

明治生まれの両親がさりげなく生きていた姿が今,私に語りかけてくる。

木を切ってもらう

2011-07-14 | 日々の業

昨日は暑い中 知人のKさんが家の木を切りに来てくださった。「木を切るというのは剪定より大変なことなんやで」と言いつつ大きくなりすぎた もち木を眺めてどういう風に切っていくか暫し考えておられた。

kさんは毎年、知り合いの所にボランティアで何十軒と剪定に行って皆を喜ばせてくださっている。

モチノキのは春落ちして落ち葉の世話が大変ということだが、本当に昨年何日間も落ち葉を集めるのに費やした。

もみじは落ちるときは一時なのだが、これは風に乗って遠くのほうまで飛んでご近所に迷惑をかけたこともあり思い切ってきってもらうことにしたのだが、いざ切るとなるとやっぱり淋しい感じがする。もう鳥たちも赤い実を食べに来なくなるなあなどとふと感傷的になってしまった。

暑い中の作業をされているkさんが熱中症になられては大変と何度も休憩の声かけしたが、慣れているから大丈夫だといわれ、切り落とすときなど細心の注意を払いながら、作業をされていた。

さて、モチノキ、ツゲの木がなくなり、金木犀、と梅の木は小さくなってすっかり明るくなった庭。長い間この庭に植わっていてくれた木々たち本当にありがとう、ご苦労様という思いで日当たりのよくなった庭を何度も眺めていた。

「木のいのち、木のこころ」という法隆寺最後の宮大工、西岡常一棟梁の本を読んだことがあるが、木のこころを知って、その木の育った場所による木のクセにあった部分を使い家を建てるときに考える。人間を育てて行くことにもあてはまるのだと言うようなことが書かれていてとても感心したことがあった。又、別の本には木々が夫々テレパシーのようなものを出し合って連絡し害虫から身を守ったりすることがあるというようなことが書かれていた。

 

切り株20センチはあったモチノキ             老木の梅もすっかり小さくなった。

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