外山滋比古の「今昔有情」という本がある。
地大・水大・火大・風大・空大・識をもって六大となす
巻頭にこう書いてある。
六大は衆生を構成する六種の大きなものだというが、識だけなぜ大を付けなかったのだろう。
他の五大ほど大きくはないとみたのか。
それぞれに15のエッセイ、計90が盛り込まれている。
単位をつけなかったのは、それを知らないからで、篇では重すぎ、章では教科書臭が出る。近ごろむやみに使われる個は論外である。
コラムも、大きな紙面の中でなければ、ちょっと単位にはなりにくい。元もとが新聞のコラムでも、本になれば囲みはなくなるからそうは呼べない。
やはり何もつけないのが無難、というよりも、数えることにそれほど意味はないのだ。
はじめにぱらぱらとめくったとき、おやと思った。
ページの左上に手書きのような字が書いてある。
小田原の図書館からわざわざお越しいただいたこの本、あちらには図書館の本に書き込みをなさる方がおられるのかと思ったが、違った。
中味の1枚ごとに六大の文字が印刷されているのだった。
この装丁、どなたの思いつきなのだろうか。