・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

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網棚に新聞を残してはならない理由

2014年02月07日 | つぶやきの壺焼

網の形をしていなくても、それ以外の名前では呼ばれない電車の網棚に、置き去りの新聞をあまり見かけなくなりました。
通勤時に乗らなくなればそれを見る機会が減るのはあたりまえで、現象が見えないからと言って、それが減ったことにはならないのですが。

新聞を読んだら、捨ててしまわずに次に見たい人が受け取ればよいのにとも思っていましたが、それでは新聞の売り上げが減ります。
新聞は読む人が減ると困るのか、売れなくなると困るのか、どちらが良くないのかという疑問は、愚問に属します。
どちらも良くないことを、一方だけが困ることとしてしまうのは、わかりやすいというだけの意味しかなく、原発即ゼロ論と同類で、あまり賢い考え方ではありません。


新聞を読んだ後でも、もう読まなくても、網棚に置かずに回収箱へと一時言われましたが、回収箱から二次回収する人が出てきて、選り散らかしの残骸で、箱の周りの始末に手間がかかるのか、回収箱も見かけなくなりました。
タバコの吸殻を投げ入れるバカが出てきて、回収箱を止める理由立てを手伝ったのかもしれません。

網棚になぜ残してはいけないのか、そのわけは記事にあるようです。
新聞には特色があって、スポーツ新聞はそれがはっきりしているようです。
どれを見ても同じことしか書いてない大新聞よりは、特色のはっきりしているほうがかえって安心とも言えます。
知って欲しくないことを報らされないのが、世の中いちばんの困りごとですから。


新聞の特色には、ある種の好みを売りつけるものもあります。
人の好みは、時間帯で変わります。24時間好みが変わらないのは、好みよりも偏執に置き換わっていると診たほうがよいでしょう。


あるお父さんが、スポーツ新聞を、毎朝売店に寄って買わなくてもすむよう、配達してもらうことにしました。
家を出るとき、郵便受けから新聞を抜き取って行けば、いちいち買う手間が省けます。
しばらくして、記事が自分の好みに合わなくなっていることに気付きます。
ある朝少しだけ早く家を出て、駅売りの同じ新聞を買って比べてみました。
なんと、配達されたのとは記事が違うではありませんか。
新聞屋さんに配達を止めるよう電話をしたら「もうやめちゃうんですか」と嫌味を言われました。

記事は、売れる好みに合わせて印刷されます。
印刷、そうです、同じ日の同じ新聞でも、版が変わって印刷されるのです。
好みに合わせて印刷された新聞は、次の時間帯には網棚に残っていてはいけないのでした。

<記事の違う話は、「高嶋ひでたけのあさラジ! - AMラジオ 1242 ニッポン放送」から>
 ⇒ http://www.1242.com/program/asa/

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