・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

在庫量は価値判定の要素になりうるか

2014年02月19日 | つぶやきの壺焼

「在庫とは、企業・商店などが加工や販売をするために保有する原材料・仕掛品・製品あるいは商品などの財貨を指す」
Wikipedia にはこの意味のことが書かれています。
庫に在るということで、いつでもすぐに役に立てるよう待たせてあるものです。意味なく貯めてあるものではありません。
まさかのときのための備蓄とは、また意味が違います。

「在庫処分」という店頭用語をときどき見かけます。それには定常の価格よりいくらか安い値段が付いています。
定常価格との差額が「処分」の意味なのかもしれません。
在庫は加工・販売という次の工程にそなえてのことで、捨てるためではありませんから、「処分」は「廃棄」の言い換えではありません。

在庫で悩みの種になるのは、その量です。
在庫管理という言葉もあって、適正在庫量の計算技法が確立していれば在庫管理は万全などというお気楽旦那の勘違いの材料にもなっていますが、ともあれ量が問題ではあるのです。


在庫はモノだけかというと、そうでもなさそうで、生活体験の在庫量という言葉をどこかで聞きました。
なんでもやった、いろいろやった、方々見て歩いた、それだけでは生活体験とは言えません。
何かをやらないよりも、どこかへ行かないよりも、ぱらぱらと散らばっている記憶の断片が多いには違いありませんが、生活体験の在庫量とは言えないでしょう。
その場で実際に生活してみた体験の積み重ねが生活体験の在庫量なのでしょう。

その在庫は加工するものでも販売するものでもありません。何に役立つのか、それは人間の価値判定に役立つのではないかと思います。
在庫量と言いましたが、在庫の質との関係は少しややこしくなります。
生活体験が上質かどうか、悪質と言ったのでは聞こえが悪くても、天井の高い建物の中での優雅な生活よりも、どこかうさんくさい生活のほうが、案外価値の重さを持つこともありそうです。

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