あてにならない予想、ただの願望をだろう話と呼んだ法学の先生がおられました。
憲法が法律の最高位にあるという説明と、このだろう話という言葉だけが、何十年か前からの記憶に残っています。
いま憲法を改めて読むと、なんとそこには、だろう話が書かれています。
法律の最高位にだろう話、これはいったいどういうことだろうと、不思議な感じがしています。
だろう話を信じて努力を重ねるのは、駄労と言ってもよいでしょう。
街を歩くと、今日は何だろうと思うほど、体格の立派なおじさんやお兄さんがスマホを覗き込んだまま同じところに立ち続けています。
何か運がつかめるだろうと、みな駄労のとりこになっているようです。