「せいぶん」という言葉が、なぜかちょっと頭に引っかかり、変換対象の多いのにあらためて興味を覚えました。
日本人は「せいぶん」という言葉が好きなのでしょうか。
名前も、読みを変えたこの文字の方がおられます。
「ぶん」には文が七例、分が二例あります。
一つひとつ意味をたどっていくと、少しずつずれながらどこかでつながっているようにも見えます。
例えば、お願いごとの靖文は、まことの心を表した誠文でなければなりません。
全体の正文が確かなものであるためには、そのものごとの成分が、細かい精分まで十分把握できるような精文によって表現され、成文化されたものでなければならず、読み取る人に邪心を感じさせない清文であることが望ましいでしょう。
その願いごとがかなって、多くの人々に幸せをもたらすことになれば、後世にはそれが聖文のように尊厳の対象になるかもしれません。
さて、70年もの間、ある人には神のお告げのように思われ、ある人には常道も遮られるほどの邪魔ものになっている日本の憲法は、触れることの許されない聖文と言えるのでしょうか。