・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

進化の果ては

2012年11月14日 | つぶやきの壺焼

カキは1億年前から同じ形であるという。
 

なぜ同じ形を保ってこられたのか。

そのわけは、ごく簡単なことで、無意味な進化を望まなかったからだと言われている。
 
______(「偶然と必然」ジャック・モノー より)


進化しすぎた脳―中高生と語る「大脳生理学」の最前線 (ブルーバックス)
池谷 裕二
講談社

判決

2012年11月13日 | つぶやきの壺焼

「虚偽記載の違法性を認識していなかった可能性」「事件全体としてほとんど犯罪がなかった」などとの言い回しが報じられ、とにかく無罪を言いわたされれば晴天白日。

人間は、祖先が考えた文字と法律という道具で、互いの心に傷を付け合い、輝きを消し去りながら生きている。

「俯仰天地に愧じず」などという言葉は、漢字制限と同時に忘れ去られてしまった。
生まれたころに「その字は使うな」という法律ができたのでは、知らなくて当たり前とも言えるが。


天網恢恢―お天道様は見てござる (可奈子への手紙シリーズ)
船越 準蔵
公人の友社

歩留まり相撲

2012年11月12日 | つぶやきの壺焼

ようやく東西に横綱のいる番付になって相撲が始まった。

ある有望な力士が、慣れない取り口にあって手もなく負けた。
稽古は懸命にしているが、部屋の方針で出稽古に行かせてもらえないのだという。

前々世紀に、他流試合禁止道場でとられていた武士道指導方針の名残なのだろうか。
横綱、大関の座が7分の5まで外国人にわたっている今どき、そんな親方もいるのかと思うが、事実なのだろう。
所属している部屋でいつも相手が同じでは、変わった取り口や奇襲にあっても、とっさに体は動かない。

事情を知らない観客には、やる気がないようにさえ見えてしまう。

そういう相手が何人もいるわけではないから、そんなときは負けても仕方がないと、親方は言うかもしれない。
しかし、どの力士もたびたび口にするように、相撲は一日一番なのだ。

稽古の方針が苦手を作り出していることに、気づいていないのだろうか。
歩留まり相撲をとらされる力士が気の毒に思えてくる。


武士道
奈良本 辰也
三笠書房

気配りは大きく注意は細かく

2012年11月11日 | つぶやきの壺焼

だいぶ前のことだが、訪問先の会議で弁当が出た。
松花堂風の紙製容器が巧くできている。
これは回収不要で便利なのだと、出したほうは自慢げに言う。
なるほど、これはいい、と感心してみせる。

永田町あたりに届けるのを狙ったような、筆勢豊かな大きな二文字が書かれた、折りたたみ型の上品な箸袋が載せてある。
そろって食べ始めようとすると、ある人が「箸がない」と言う。
その人の箸袋には、中味が入っていなかった。

箸屋も納品前に検品せず、弁当屋も袋の数を数えただけで束ねるときに見つけられず、会議室に運ぶ人も弁当箱に載せるときに気づかなかったのだろう。

うわのそらが三重になった結果である。
送りなさい、束ねなさい、運びなさい、と言われればそのことだけが仕事としか考えない。

容器回収に手間をかけない気配りは立派だが、注意の足りなさは手抜きと同じ結果を招く。

予備の箸が届けられて、さてとふたを開けたら、私のから揚げには。飾りもののように輪ゴムが一つ載っていた。
あの弁当屋は、気の毒だが、もう潰れたのではないかと思う。


仕事は99%気配り (朝日新書)
川田 修
朝日新聞出版

ルーチン・ワーク

2012年11月10日 | つぶやきの壺焼

昨日の電車は退屈しなかった。
向かい合わせの席で斜め前に坐っていたお方が、いろいろなことを見せてくださったからである。

ひざに抱えた、シックな色合いと繊細な図柄が上品に見える大型のトートバッグ、それをがさがさとかき回していらっしゃる。
撹拌時間が長いので、隣のおじさんも気になってか、横目でバッグを半分覗き込んでいる。

ややあって、つかみ出されてきたのが、きれいな仕上げのケースに入った魔法瓶。
ふたをくるくる回してあけ、じかに飲みはじめた。
中味は当然わからないが、ゆっくり飲むこと約5分。
空になったらしく、ふたをして終わり、バッグに丁寧にしまう。

次に出てきたのは、小さな容器。
タブレットを2~3粒出して、一つだけ口に入れる。
口をあいて放り込むことはしない。
親指と人差し指でつまんで、静かに口に運ぶ。
残りは、容器にいつの間にか戻っている。

容器と入れ替わりに、純白の大きめのハンカチが出てきた。
どこを拭くのかとかと思っていたら、広がってひもが出てきた。
ハンカチではなくマスクだった。
マスクのかけ方も、両側のゴムひもを引っ張っておいてペシャンと乱暴にかけるのではなく、先にマスク本体で鼻と口を押さえてから静かにゴムひもを片方ずつかける。

マスクかけがルーチンの最後らしく、静かに目を閉じる。
見つめなくても自然に視界に入ったこの所作連は、多分毎朝行われているのだろう。

坐る席も決まっているのではないかと、ふと思った。


幸運を呼びよせる 朝の習慣
佐藤 伝
中経出版

難解ルール

2012年11月09日 | つぶやきの壺焼

囲碁の中国ルールは、ややこしさを通り越して、私には理解不能である。

日本のルールは、 (地の数)-(取られた石の数) を数えて多いほうが勝ちなのだが、中国ルールは、 (地の数)+(盤上の生きている石の数) を数えて多いほうが勝ちだという。

盤上の生きている石とはどの石を指すのか、盤上には生死に無関係な石もあるので、その範囲がまずわからない。

このサイトに中国ルールが載っているが、読んでいて頭が痛くなってくる。
http://sowhat.ifdef.jp/igo/chinese/#1

ここには、「日本ルールはいかに大きな地を囲うかを競うゲーム。中国ルールはいかに多く自分の石を置くかを競うゲーム。地は自分の石だけが置ける領域という意味になる」という説明もあるが、これも読んだだけでは理解できない。

このルールを一読してああそうかと言える人は、よほど頭脳明晰なお方だと思うのだが、もしこれが誰にでもすぐわかることであったら、吾人もいよいよ痴呆症の仲間入りかと、目の前が暗くなってくる。

このルールの違いは、中国で私有の土地が認められていないこと、どんな手を使ってでもこれは我がものと主張する精神文化と、どこか関係がありそうな気がするのだが、どうだろうか。


碁の計算学入門 (MYCOM囲碁文庫シリーズ)
石田 芳夫
毎日コミュニケーションズ



正直風虚言

2012年11月07日 | つぶやきの壺焼

バカ正直という言葉は、バカに見えるほど正直な人のことをいうのかと思っていたが、また違う意味があった。

まったく筋の通らない話を、相談ずくでまとめて、それをそのまま大勢の人に伝える代弁者というバカ正直の変化形である。
代弁者というよりただの伝言人で、さすがに本人も恥ずかしいのか、顔は前を向いているが眼を上げなかった。

そこでバカにされていたのは、発信者側でなく受信者側だった。

重要な組織の人選問題である。
通常ならば協議の上で決めなければならないのに、決定のルールに仕組んであった、わずかなザルの目を潜り抜けて、協議なしで決めてしまった。
話の中身は、またかと思うようなよくあることなのだが、それを決めた経緯の説明が、いかにも聞き手をバカにしたようなものだったのである。

「なぜ協議しなかったのか」への答えが、「協議すると反対されるから協議しなかった」というもの。
そこでけしからんと思うのはまだ早過ぎなのである。
「反対されるから」が大うそで、協議の相手はそれを受け入れる態勢にあったそうなので、反対を怖れてではなく、協議の場を開くことに何か不都合があったらしいという。

決めた方法がルールの捻じ曲げで説明のしようがなく、急いでいたのでごめんなさいとも言えず、証明困難な大うそを理由にもちこんで記者会見をする。
記者のほうも無関心を装ってそのまま伝える。
「反対されるのが嫌で相談しなかった」という正直風虚言が、それとは知らされることがなくまかり通っていく。

寒い、雪の万里の長城に追いたてられているような気分である。

詳しい話はこちら、40分余り続けられるときにご高覧を。
http://www.videonews.com/asx/news/news_603-1.asx
           ニュース・コメンタリー
           (2012年11月03日)

サイトのトップページはこちら ⇒ http://www.videonews.com/


 

うそつき―うそと自己欺まんの心理学
Charles V. Ford,森 英明
草思社

選択不能

2012年11月06日 | つぶやきの壺焼

政令指定都市の首長が集まって、国会議員と兼務できるようにしようと相談したという。

国会のだらしなさを見ていられないというのか、国会の仕事がついでにできそうだと思ってのことか、看板は何枚出そうといいではないかというのか、それぞれの意図は違うと思うが、さて、こういうことが改革と言えるのかどうか。

地方の声が国政に反映されにくいことが、直接議会で発言できるというだけで解消できるわけでもない。

もしこんなことに、判定を迫られないまでも、いきなり意見を求められたら、人々はどう答えるだろうか。

急に答えが出せることではないと、はっきり言える人がどのくらいいるだろうか。
咄嗟の感覚の集計だけで、賛成何%とか反対何%とか、やってのけそうな世論信奉に、またひとつ奇論の種を蒔かれてしまったような気がする。


都市 (ちくま学芸文庫)
増田 四郎
筑摩書房

時代の寂寥

2012年11月05日 | つぶやきの壺焼

喫茶店ではない、繁華街の大通りにあれば茶店とも呼びにくい。

甘味屋という呼び方を使っているところもあるが、どこか情緒がない。
しるこ屋という呼び名がやはりしっくりくる。
そんな店が、むかしあった。

いまは路地の奥に引っ込んでたばこを売っている。
むかしのたばこ屋は、販売窓口があって、道を尋ねればわかりやすく教えてくれる人がいつも坐っていたが、そういう店ではない。
商号だけは、むかしのまま厳存している。

大通りの店を引き渡すとき、名前だけは残したいと、おかみさんががんばったかどうかは知らないが、ずらっと並んだ自販機と看板灯を見比べると、なぜなぜ症の人は、名前の由来を尋ねたくなるのではないかと思う。

大通りの空気も、この一年でまた変わった。
にぎやかさと言うより騒がしさが増して、ふらっと入ったり、何も買わずに出てきたりしやすい店が、ほとんどなくなってしまった。

やはり人がいて、ものを“みせ”るところでなければ、店とは呼びにくいのである。


老舗の訓(おしえ) 人づくり (岩波アクティブ新書)
鮫島 敦
岩波書店

高いところが怖くない

2012年11月04日 | つぶやきの壺焼

高いところにまったく恐怖を感じない人がいる。
高所不感症と言ってしまっては適切を欠くと思うが、高いところにいるということを感じないのだろう。

高いところが怖いのは、落ちたら怖いと思うからで、落ちることがまったく頭に浮かばず、考えもしなければ怖さはなくなる。

高いところで芸を見せるのに、命綱や安全ネットを使わない人は、落ちたときのためにという備えが怖さを呼ぶから嫌うのだろう。

備えがときに憂いを呼び起こす。

その心理を逆用されることがある。
巨大施設で経済性を追求するには、怖さを思い浮かべさせないことに万全の工夫をすればよい。
際限のない安全性の向上より、はるかに合理的ということになる。

防波堤を10メートル高くするよりも、海は怖くないと思うほうが人間らしい。
非常用電源装置を多重化分散配置するよりも、電気は止まらないと思うほうが文化的生活感にひたれる。

安全神話とは、安全を信仰させるためではなく、危険を思い浮かべさせない心行処滅の佛義であったか。

 

高所トレーニングの科学 (運動生理学シリーズ (6))
浅野 勝己,小林 寛道
杏林書院

省力と作法のせめぎあい

2012年11月03日 | つぶやきの壺焼

年一回の同窓会、一人欠けたが、去年日程を間違えて欠席した人が入ったので、同じ人数が集まった。

人数は同じ、お互いの話も相変わらずなのがよい。
だが、一年の間に変わってしまったことがある。

店の人の作法である。

テーブルの向かい側から持ってきた料理を差し出す。
手が届けばよいというものではない、そのようにしつけられていない。

皿を置く場所をあらかじめ空けておかずに、出す料理をテーブルに仮置きする。
それがガスコンロの上だから勇ましい。

人数分盆に載せてきたぐい飲みを、そのままテーブルの真ん中に置く。
銚子を差し向けられ「ぐい飲みちょうだい」と言ったら、歩きながらの返事が「あそこにあります」

何年も同じところで会をやってきて、よい店だと思っていたのだが、まことに残念。
質を上げていくには長い年月がかかるが、下げるほうはまねが簡単だから、たちどころに下落する。

これでは早晩看板が変わるかもしれない。
看板がちゃんとあっても迷子になりそうなこの店、看板が変わってしまってははなはだ迷惑である。
店ならいくらでもあるだろうってか、そんなものではないと思うのだが。


禅が教えてくれる 美しい人をつくる「所作」の基本
枡野 俊明
幻冬舎

解説ご免

2012年11月02日 | つぶやきの壺焼

本にもTV番組にも、解説ものが目立ちます。

解説というのはおかしなものです。
そのものごとと向かい合う前に、解説を読んだり聞いたりすれば、よくわかるかというとそうでもなさそうです。

解説は聞いてしまえば、その分だけ自分で感じ取り考えることが減ります。

解説はわからせるための説明だから、懇切丁寧、微に入り細に亙るのがよい、などと思うのはとんだ見当違いになることもあります。


ことわざも、意味を先に考えると理解が遠のくような気がします。
ことわざは、どんなとき、どんな場合にそれが使われたか、何度も耳にする機会に恵まれて、だんだんわかってくるものです。
人が集まればすぐゲームを始めたがる世の中になってしまうと、もう優れたことわざは生まれないでしょう。

ことわざの側から言えば、得意げな解説はむしろ邪魔ものなのです。


善人長屋 (新潮文庫)
西條 奈加
新潮社

期限付き独裁制

2012年11月01日 | つぶやきの壺焼

世の中のことが行き詰ったとき、誰からも苦情の出ない解決策は見つからない。

そこで昔の人は多数決という一種の愚策を考え出したが、多数決に頼っていると、たいがいのことは、ぐずぐずとよくないほうにずれ込んでいく。

ものごとの本質的な解決には、何か従来の方法を変える行動が必要であり、多くの人は従来のままでいることを望むからである。

多数決は、後に諦めがつくという効果はあっても、正しかったと思われる策の選ばれる幸運にめぐり合える機会は少ないものである。

ものごとの打開には独裁が必要である。
しかし、独裁に拡大や重複を許してはならない。

期限付き独裁制というのはどうだろうか。
力量を備えた適格者に、指定期限中は意のままに思い切り仕事をさせる制度である。
ただし、監視と記録付きで。


世界の独裁者 (幻冬舎新書)
六辻 彰二
幻冬舎