・・・・・・あわぞうの覗き穴・・・・・・

気が向いたときに、覗いてご覧ください。
何が見えるかは、覗く方々のお眼め次第です。

蛇蛇例遊:22 ひはん

2020年01月16日 | つぶやきの壺焼

批判はよくない」と言う口封じの決まり文句があります。
せっかくAという説が出たのだからつべこべ言うなと、次のB説を出しにくくしてしまう、あまりよくない効果があります。
批判とは、つき合わせて良し悪しを判定することですから、それがよくないと言うのは、判定はよくないということになります。
「ひはんはよくない」と言う人は、批判は否判と書くものと思っているのかもしれません。

否判は、すべて否の判定、生きるとは恨み続けることという朝鮮文化の「」の思考様式に通ずるところがありそうです。

恨、否判からは、明るい未来は開けません。
ひはんには、非恨という文字をあててみてはいかがでしょう。

恨みごと、否定からの脱却を、彼の地の人たちに望みたいものです。

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蛇蛇例遊:21 しゃざい

2020年01月15日 | つぶやきの壺焼

斜めのことを「はすかい」という表現は、西のほうに多いようです。
交わっていない斜めの状態も、はすかいで通じます。
斜めはどこかで何かに交わるので、そこが直接見えなくてもよいからでしょうか。

はすかいをうまく組み合わせると、強固な構造物が出来上がります。
斜材の耐力が有効に働く「けた構え」「軒持ち送り」などとも呼ばれるトラス構造です。

同じ発音の「謝罪」、その場面がニュースや新聞紙上にときどき現れます。
謝ることが好きなはずはなく、いやなことに耐えるところが人の心を打つだろうという陰性の打算の働きを、そこに見ることもあります。
並んで上体を斜めに倒しているところを見ると、力をうまく分散させ支えあっているようなトラス構造、あるいは崩れかかったところを取りあえず支えておく筋交いと、何か通ずるものがありそうな、奇妙なおかしさを感じます。

国内なら通ずるこの謝罪行動を、うっかり底意のある国に向かってしてしまうと、それが何十年も後まで、責めたての材料に使われることもあります。
過去の苦い経験を、紳士気取りで棚上げにしておいても、その謝罪内容が事実をとらえていなかったはすかいの考えであったことを改めない限り、支えられることはありません。

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蛇蛇例遊:20 はんこう

2020年01月14日 | つぶやきの壺焼

幼少から成人への成長過程には、反抗期が訪れると言われます。
接触対象が増えて考えが広がっていき、それらをおしなべてみる凡考のときに、心に引っかかることをそのままにしておけなくなるのでしょう。

おかしなことに、国会という大人の議場が、まるで反抗期にある人の寄り集まりのような空気に満たされることがあります。
子供の反抗期と違って、この種の大人の反抗には、凡考とは逆の、ただ何かことを際立たせひたすら反抗に終始し、それがいつまでも続けられるという、始末の悪い特徴があります。

何かよい薬はないものでしょうか。

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蛇蛇例遊:19 いしょう

2020年01月13日 | つぶやきの壺焼

衣装は、時代を遡ってみると、身に着けるのに一苦労です。
ものの意匠も、時代を遡ると、真似て作るのにも一苦労です。

どちらも、それぞれの時代の社会の空気の中でなければ、その良さを醸し出すことはできないでしょう。

雛人形を出すのが面倒だから三年に一度にしようなどと考えていると、空気も伝わらなくなります。
合理性とは、手間を省きさえすれば得られるものではなさそうです。

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蛇蛇例遊:18 ようにん

2020年01月12日 | つぶやきの壺焼

江戸時代の武士に、用人という役柄がありました。
いまの会社でいえば秘書室と総務部の兼任のようなことでしょうか。
主君の用向きを家中に伝え、庶務一般の指示をするお役目です。
その役目を担う人は、主君の意向に背くことはできません。
よほどの過ちでもない限り、主君の考えを容認しなければならないので、用人の仕事はまず容認から始まるとも言えます。

お家の中でのことならそれでおさまりますが、現代で国際関係のことともなれば、用人気分で事に当たる人の行為を容認していると、国の存亡にかかわることが起きるおそれもあります。
間違えば、国名の後に自治区という文字をぶら下げられることにもなりかねません。
そんなばかなと思っても、百年の計で着々とじわじわと、決してあきらめることなくことを進めてきている組織があります。
そういう組織の代表格の人を、国賓として迎えようとする、どこの用人なのかわからないような働き方は、決して容認しておくことはできません。


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蛇蛇例遊:17 ふうど

2020年01月11日 | つぶやきの壺焼

風土は、病の文字が後に付かなければ、来訪者を楽しませ喜ばせます。

フードも同様です。

風土もフードも、その価値はその地の特色によって成り立ちます。
その地の特色は、目に見えないことほど価値の比重が大きく、見てすぐわかるものの価値は大したことがありません。
それが悪いとは言いませんが、つくりもののキャラクター着ぐるみなどは、子供だましでしかないでしょう。
来訪者に強く深い印象を与えるものは、精神的風土や秘めたる味で、単なる一時の思い付きで作れるものではなく、営々と築き上げられたものです。

まだ人の手の加わっていない土地を買い上げて、そこに風土まがいのものを植え付け根付かせようとする外国人の働きがあります。
それは、はじめのうちは暴力を使わない、隠微な風土侵略です。
そんな不埒な国の代表格の人を、国賓として迎えようというのは、友好の着ぐるみを着けた侵略者のお手伝いでしかありません。
何かに酔ったようなその人たちは、始末の悪い新種の風土病にかかっているのです。


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蛇蛇例遊:16 ぼうこく

2020年01月10日 | つぶやきの壺焼

亡国のイージスという小説が20年前に書かれ、映画にもなりました。
某国から差し向けられた工作員がイージス艦に潜入して反乱を起こす、物騒な筋書です。

工作員は、外国からやって来て組織に潜り込んで隠密裏の活動をする者と思われているでしょう。
工作の目的は、もちろん自国の利益拡大と潜入国の衰退滅亡です。

では、潜入国に国籍を置いていながら、亡国工作の目的に沿った活動をする人を何と呼ぶのでしょうか。
売国奴というののしり言葉は、それが母国を外国に売って私益を図る者であるとすれば、ピタッと来ません。
そういう人に多くは、当人には「売る」という意識が働いてないからです。
ではどういう意識なのか、その大部分は「お付き合い」なのでしょう。

気心の知れた人がいれば、その関係を続けていたい、何かしら恩義を受けていればそれに報いなければならない、その人の顔をつぶすようなことをして恨まれたくないという「私の義理」なのです。
その結果が亡国に結びつくことには考えを向けようとしません。
恩に報いる報恩亡国、顔を立てる立顔亡国という、私の義理が優先して国に影響することを意識外に追いやった状態から自分で抜け出ないように、奇妙な頑張りを続けているからとしか考えようがありません。

大きな自由、寛容を実行、善良な隣人という国連憲章の拾い読みを、お付き合い行動に都合よく生かした結果が、10年20年後に、この日本がどうなるかを考えようとしてないのでしょう。


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蛇蛇例遊:15 づら

2020年01月09日 | つぶやきの壺焼

秋田にさなづらという菓子があります。
名前は知らずに似たものを食べたような記憶がうっすらとあります。
果樹として作られるブドウではなく、自生のヤマブドウで作られるところをみると、「づら」には似たものの意味もありそうな気がします。
これは勝手な想像ですから多分違っているでしょう。

そうだろうという意味の「そうづら」という方言もあります。
髪に見せるカツラは「づら」と呼ばれます。
本心に見せて実は違う顔つきも「そとづら」と言われます。

三か月後には、そとづらを掲げて困客が訪れようとしています。
困ったときの見せかけの笑顔を見透かさずに、紳士づらをして国賓として迎え入れようという国家最大の愚挙は、何があっても阻止しなければなりません。


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蛇蛇例遊:14 かんこう

2020年01月08日 | つぶやきの壺焼

モノとしての天然資源もモノを作る技術技能も持たない国は、観光という産業に頼らなければ他国との交流ができません。
観光産業には、風景、温泉、人情、食べものがものをいいます。
日本にはその4条件が揃っています。


日本もそれならばと、製造技術を国外に持ち出し、その先で安い手間賃で外国人を働かせ、金だけを吸い上げれば楽ができそうだ、国内収入は観光でと、バカな考えをもとにした見当違いの産業放棄政策が何年か続けられてきました。

観光は楽しいものです。
それを嫌がるのは、行儀の悪い観光客で迷惑をこうむる人だけです。
私たちから見れば普通の生活習慣を持っていなかった行儀の悪い観光客も、何度も来るうちには慣行を身に着けます。
観光には、客を楽しませるだけでなく、精神的未開の人々の教育効果もありそうなことが見えてきます。
しかしそれが、何万もの人を収容して行う責苦洗脳を教育と呼ぶ欺瞞に目を覚まさせる力にはなりそうもありません。

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蛇蛇例遊:13 しかく 

2020年01月07日 | つぶやきの壺焼

四角形は堅さを表します。
円い相撲の土俵も、その周りは四角形に作られています。
おせちの重箱も普通の形は四角です。

公益の仕事ができる証も資格と呼ばれます。
資格には、見て確かめ視覚に訴えることのできる資格と、外見には現れない、人に備わった資格があります。
その資格は、バッジや身分証ではわかりません。
そのわからなさをよいことに、議事堂の中を闊歩あるいは走り回る実質は無資格の人たちがいます。
困ったことに、無資格を証明できる検定制度がまだありません。
その人たちが席に座るときに、法廷とは異なり宣誓を求められることもありません。

こういう無資格者の増加は、その国の持つ文化の資格水準を低下させます。
もう一つ困ったことは、日本ではいま文化の資格が衰退傾向にあるということです。

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蛇蛇例遊:12 こうえん

2020年01月06日 | つぶやきの壺焼

ネット新聞に、おやっと思う見出しがありました。

お隣のあの独裁大陸で個人後援会を認めるというのです。
開いてみると、写真の赤い旗の前には見たような顔が写っています。
いつの間に出かけて行ったのかと思いながら記事を読み進んで、なんだそんな話かと、海の向こうのことではないのにようやく気付きました。

こうえんかいには三種類あります。
まず講演会、そこには後援会の人が大勢詰めかけます。
三つめは何でしょう。
「今度の講演会、またあの公園かい?」

講演でなく公演の場合は、通常うしろにの字を付けません。
そこに見られた好演にも全く会は付きません。

忘れられている言葉に、宏遠があります。
「国ヲ肇ルコト宏遠ニ」日本人が70年前にむりやり忘れさせられていたことばです。

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蛇蛇例遊:11 わき

2020年01月05日 | つぶやきの壺焼

脇の甘い力士はすぐ負けます。
脇の甘い司法はすぐに逃げられます。
脇の甘い政治家はすぐ追いやられます。

和気あいあいがさすと、脇甘い甘いとなります。

大勢の人がいちばん迷惑し、10年を経てあらためて後悔してもどうにもならないのは、国の脇の甘さです。


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蛇蛇例遊:10 ほうき

2020年01月04日 | つぶやきの壺焼

オランダという国名はもうなくなりました。

オランダと言えば、チーズ、木靴にチューリップしか思い浮かべてもらえないのでは困る、もっと違うところを見て欲しいと、国名としてのオダンダという呼び名が、今年から放棄されたからです。

Netherlands(ネーデルラント)が正式の国名であったのに、呼びやすいオランダという名前が使われていたのですが、もうそれはやめてほしいということです。

オランダは、ネーデルラント12州のうちの、北ホラント、南ホラントの2州の名前でしかなかったのです。

ほうきと発音する日本語には、放棄があって、なぜかどちらも同じイメージをもちます。

ほうきには、もう一つありました。
法規がそれですが、古いままのもの、決めてしまってあるのでしぶしぶ従っていても、時代にも現実にも合わないものがあります。
慣れ親しまれた国の呼び名さえ放棄する潔さを見習って、まともな法規に早く作り変えていかなければならないと思うのですが、いかがでしょうか。

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蛇蛇例遊:9 ようけん

2020年01月03日 | つぶやきの壺焼

通常ようけんと言えば、後に「は」というかなの助詞がついて、「用件は」または「要件は」と、用事の内容やだいじなことがらを指し示すことばになります。

ようけんを名詞で使う場合、「洋犬」と犬の種類になりますが、洋楽という類別ほどには、この言葉を聞く機会は多くありません。

洋犬と言えば、「洋犬のいる家」という短編があったのを思い出しましたが、これは洋犬ではなく「西班牙犬の家」、記憶違いでした。

犬のことでは、養犬令というお達しを出したところがあるそうです。
日本での文字解釈では、養犬と書かれていれば犬を養うと読み、犬はだいじにお飼いなさい、むやみに捨ててはいけませんということなのかと思うでしょう。
ところがこれが、大きな犬を連れ歩いてはいけない、体高が35cmより大きな犬はそれぞれ処理しなさい、そうしなければ捕まえてしまう、捕まえれば生かしてはおけないという、ひどい話のようなのです。

文字は言語によって意味が変わり、「養」は「やしなう」ではなく、グーグルの翻訳によると「上げる」という意味らしいのです。

文字の意味が違う国どうしが、何か約束や取り決めをしたところで、全く逆のことを考えての握手もあるのだと思えば、甘い顔の儲け話などにうかうかしてはいられないのです。

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蛇蛇例遊:8 しょうエネ

2020年01月02日 | つぶやきの壺焼

省エネ法という略称をもった法律があります。
経済的社会的環境に応じた燃料資源の有効な利用の確保によって、国民経済の健全な発展に寄与する目的で定めたといわれている法律です。

何によらず、活動にはエネルギーが必要です。
エネルギーなしでの活動は、地球上では望めません。

活動のためのエネルギーは、それを得るための過程とエネルギーを使う過程との総体を見なければ、利不利を推し量ることはできません。
時間軸を考えずに単年度の損得だけを考えたのでは、経済の健全な発展に寄与するかどうかを判定することはできません。

また、活動には、その影響が及ぶことを見落としがちな、間接的なことがらが必ずあります。
省エネを推進しているつもりで、環境の変化や活動以外の損失を見落としていて、実質的には省エネになっていないこともあり得ます。

ソーラー発電を例にあげれば、設置費と電気料金の損得計算だけでは省エネの効果判定はできません。
パネル本体はもちろん、付帯設備の製造や搬送には、大量のエネルギーが使われているでしょう。
パネルを設置する場所の土地への日照の遮絶、保水能力の低下、植物系や景観の損壊、風水害への影響、寿命末期の処理方法と費用など、計算外に置かれていることがいろいろあるはずです。

省エネと言われながら、省エネという名の商いが中心になっていて、実態は商エネで、商いでのエネルギーがどこかに吸収されているということも考えられます。
もしそれが、外国資本に利益が吸収されるのであれば、国民経済の健全な発展どころか、見当違いの笑ってはいられない活動が行われているかもしれないのです。

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