悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地表を切り開いたことも無い。
-ヘレン・ケラー-
ある危機に際して、悲観するか、楽観するかは、本人の自由だ。
ただ、ヘレンケラーさんも言うように、何かを乗り越え切り開く程の自己実現への動力を内に秘めたる人々は、一様にいつまでも悲観論者ではないことは確かだ。
クライシス{Crisis(危機)}の語源は、ギリシャ語で「転じる」という意味らしい。
転じるということは、もはや不要なものは手放し、本質は保持することを示唆しているようだ。
転じざるを得ない場合において、あれもこれもの、執着と悲観は、暗い思考をうながし、重荷となり、立ちすくみ、思考の死を招くということだろう。
これが本当の危機、「暗い死す」である。
思考と行為の原動力は、危機に際してはこの「転じる」力にあるものと思われる。
赤信号はやがて青に転じる。
だが、自らで勝手につけた赤信号は、自らで青に転じるしか、進めないのだ。