全員の意志(全個人が望むこと)と全体の意志とは、しばしば大きく異なる。
全体の意志は共通の関心のみを考慮するが、全員の意思は個人的な関心を考慮し、個人的な願望の総和でしかない。
しかし、これらの意志からプラスとマイナスを取り除いて打ち消し合わせれば、残ったものが全体の意志となる。-ジャン=ジャック・ルソー「社会契約論」-
個人の色を失うことなく、効果的に生かすためには、関わる組織や社会の中で、共通の意志を見出し尊重する必要がある。
自分にとって都合のよい仮定と、全体的によい仮定を混同してはならない。
また、違う風に考えるのはよい事だし貴重でさえあるが、しかし、違う風に求めるのは、必ずしもよいことではない。
ルソーさんは、社会契約論の中のこの文でそんなことを言いたかったのではないだろうか。
色とりどりの個性が、裁断と法政と調和をもって、共存する。
追い求める社会の目的はそこだ。
そのためには、個人がより目的的に、自分が所属する社会との契約を果たそうと努力することが大事になる。
全体があることで、個は個レベル以上の存在感と利便を手に入れることができるのだといえそうだ。
その社会なり組織なりで生きている限りにおいて、前提となる約束事を、避けて通ることはできない。
であるならば、積極的に関心を持ち、生かさせてもらう関係を結ぶほうが、よりよい自分らしさを手に入れることになりそうだ。
いくら私が、禿げは社会的な関心事だとおもったとしても、毛がふさふさの人は必ずしもそうではないのだ。