禅寺永平寺に鎮座する蝦蟇尊。
なぜ蝦蟇の置物があるのか。
座っているだけで悟れるなら、蝦蟇も仏である。
たしかそんな風な公案が、禅にはあったような気がする。
今になって、写真に撮っておいたのを見返していて、たぶんそのようなことでおいているのではなかろうかと気がついた。
なんとかだけで、なんとかなら、なんとかもなんとかである。
う~ん。いろいろと思いのふしの心情が今更にして湧いてくる。
蝦蟇を見ながら、みずからの不肖不足を反省することしきり。
あった何かの末に、その後になって何かを見出し、気がつくことは多い。
問えぬときにはなぜかは問えぬ 問えるまでまで座禅蝦蟇。