鳥が空を飛ぶのは当たり前である。だから鳥といえる。
魚が水を泳ぐのもその通り。だから魚といえる。
魚が空を飛んでいたり、鳥が水中に泳いでいたりすれば、それは、メルヘンである。
したがってこういうことが言える、
ある場面においての「無能さ」とは、「有能ではない」ということではなく、「ある価値的な規範のもとでの劣性」を意味するものといえる。
そして、人は誰でも、「ある価値的な規範のもとでの優性」は持ち合わせているはずだという考えを持つことが、「有能さ」をというものを引き出すのに役立つのではないだろうか。と。
人は誰でも、自分はもしかして無能なんではないかという考えに陥ることがある。
桎梏(しっこく)とは、てかせあしかせ のことを言う。
魚が空を飛ぼうと考えたり、鳥が海を回遊してやろうと考えたら、自分の持っている優位性そのものが、てかせあしかせとなるだろう。つまりは、優性が劣性に作用するわけだ。
メルヘンはその想像力を刺激し、情緒の安寧は約束するが、御伽噺を信じすぎると、幻滅(げんめつ)という桎梏を産むことになる。
ホメロスの悲劇といわれる話がある。
古代ギリシャの詩人ホメロスは、当時ではダントツの賢者と言われた。
ある日二人の漁師が海辺に座っていた。
魚は一匹も取れなかったから、時間つぶしにシラミをつぶしていた。
そこに通りかかったホメロスは二人に漁の具合をたずねた。
「とれたのは捨てて、とれなかったのはここにいるよ」と二人は答えた。
それはシラミのことだったがホメロスにはわからなかった。
彼はその謎を解こうと考えこみながら遠ざかった。
しかし謎は解けなかった。
そこで彼は羞恥のあまり命を絶った。
彼は、メルヘンを信じ込みすぎたのだ。