南無煩悩大菩薩

今日是好日也

転じる。

2009-07-09 | 有屋無屋の遍路。

悲観論者が天体の神秘を解明したことはないし、地図にない土地を発見したことはないし、人間の精神に新しい地表を切り開いたことも無い。
-ヘレン・ケラー-


ある危機に際して、悲観するか、楽観するかは、本人の自由だ。

ただ、ヘレンケラーさんも言うように、何かを乗り越え切り開く程の自己実現への動力を内に秘めたる人々は、一様にいつまでも悲観論者ではないことは確かだ。

クライシス{Crisis(危機)}の語源は、ギリシャ語で「転じる」という意味らしい。
転じるということは、もはや不要なものは手放し、本質は保持することを示唆しているようだ。

転じざるを得ない場合において、あれもこれもの、執着と悲観は、暗い思考をうながし、重荷となり、立ちすくみ、思考の死を招くということだろう。

これが本当の危機、「暗い死す」である。


思考と行為の原動力は、危機に際してはこの「転じる」力にあるものと思われる。


赤信号はやがて青に転じる。

だが、自らで勝手につけた赤信号は、自らで青に転じるしか、進めないのだ。

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酔風情。

2009-07-08 | 酔唄抄。

宵闇迫れば、悩みははてなし。

乱るる心に、うつるはただ影。

君恋し・・か。


お。打ち水お女中はんや。


立ち止まり立ち入るのではなく、風情のなかになじみ横目でやり過ごしながら一杯やりにいくというのも、又格別に酒の味を引き立たせる。

金の盃に銀の食器なんていうものはなくとも、かすかな残影を肴に、染み込む酒の旨さを味わえる。

酒は面白い。
しんみり飲めばしんみりと。ぽつぽつ飲めばぽつぽつと。
心の模様のままに飲める。

わたしはよかった。酒飲みで。

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わしの本分。

2009-07-06 | つれづれの風景。

和紙の持つ特徴は、素朴さの中に高貴な軽やかさがあることである。

手漉きの和紙は、手漉きであるがゆえに創造性を発揮できる。

素材の特長を活かすことで、実用という意味を展観できるのである。


わしの持つ特徴は、粗末さの中に低俗な軽やかさがあることである。

てぬきのわしは、てぬきであるがゆえに想像性を発揮できる。

素材の特徴を適当に解釈する事で、実用という呪縛から離脱できるのである。

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青空に月。

2009-07-04 | 酔唄抄。

お。

りっぱなでべそ。


まっぴるまの月。

上弦(じょうげん)の月。


今宵も酒にじょうげんなし。


でべそお月はん。

上機嫌で浮いてはる。

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くるくる回る。

2009-07-04 | 有屋無屋の遍路。

商売には市場性という大事にしなければいけないものがあります。

どのような人たちが、我々のサービスにお代を払ってくれるグループなのか。
どのような人たちは、我々のサービスにはお代を払ってくれそうにないグループなのか。

地域や年代や環境など様々な観点があるが、その中の性別においても、男女以外にここ最近特に注目されつつあるのが、LGBTというカテゴリー。

レズビアン、ゲイ、バイセクシャル、トランスジェンダーの頭文字をとったもので、そのライフスタイルや、情緒感覚、購買傾向は、現代及び今後の市場性を見る上で大変参考になるというものだ。

女同士、男同士、両刀遣い、超越的性向、はなるほど確かに物やサービスに対する購買意欲の中身は違うだろうし、かわいい!かっこいい!の尺度も先鋭的なトレンド性を持っているとも言える。

ノーマルな人間というものが本当に存在するかどうかは謎だが、普通だと思い込んでる我々でも、例えば、小生は男は男らしくなんていうことを思っているが、レズビアンの片方が、「わしよりずっと男らしいやないか」なんておもったこともあれば、ゲイのママに、「お前ええ女やなぁ」なんていったこともある。

*ただ、それ以上でも以下でもなかったことは、ここに注記しておきます。


細分化された性差的市場というものが無視できない存在であることは、、コマーシャリズムやポピュリズムにおいても、そういう目で見れば散見できるのではないかと思う。

古くは日本においても、男色は一つの高貴な性だと喧伝されたように、時代によってもそのトレンドは「入れ替わる」もののようだ。

商売をするものにとって、このようなトレンディな性的傾向の見立ての良し悪しは、もしかして品揃えやサービスの質というものの基本的な対策になるのではないかと思ったりもする。

平安は女の時代、鎌倉は男の時代、戦国は男色の時代、桃山は女色の時代など、かなり強引で雑把な思いつきの視点ではあるが、そんな切り口での商売の盛衰もあったのではないだろうか。


トンボの雌雄的視点でもって、世の中を住まうのも面白いかもしれない。
ただ、どんな視点といわれてもわしゃこまる。

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ある景観。

2009-07-03 | つれづれの風景。

京都鴨川納涼床の夕暮れ。

川面に揺れるぼんぼりの灯も風情あり。



そんな中、も一つの名物、堤の、男女のつがいの、必殺ご列席等間隔の舞。

もしも素人が単身、列席者の中に迷い込み座ろうもんなら、女性専用車両に迷い込んだのと同等、いやむしろ、それ以上のおよよのれれれのれを感じるかもしれない。


しかし、この等間隔に座るというメカニズムは、見るものにはある種の洞察を呼ぶのであります。

ポイントは、最初のカップルの位置取りと、二組目と三組目の身体尺度に基づいた収まりどころが、間隔基準として、全体の最終的景観に微妙に影響するのではなかろうか。

暇が有り余れば、密着調査をしてみたいものだ。
密着してくれる人はいないだろうが。


題して、
「人の創る景観における密着と間隔の関係性およびプライバシーの考証」。


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果報は寝て待て。

2009-07-02 | つれづれの風景。

いないいない。

ばぁ。


わ!。




もうすでに忘れてしまっていたことや、あきらめていたものが。

急に面前に実際実物となって出てくると。

嬉しいやらびっくりするやら、オーサプライズの喜ばしき驚きがある。

純粋に楽しむ為には、やるだけのことをやったら、結果を気にしないで、忘れておく。ということが、コツだろう。

いないいないばぁを、キャッキャと乳児が喜び、智恵がついてくると大して喜ばなくなるのは、純粋性を智恵が抑圧するからだ。


どうせたいした智恵は持ってないことだし、あれこれ思い煩うことはやめてぐっすりと寝ておこう。そのうち出てくる。

いないいない。
ばぁ。

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やまぼうし。

2009-07-01 | 有屋無屋の遍路。

花依清香愛
(花は清香に依って愛せられ、)

人以仁義栄
(人は仁義を以って栄ゆ。)

幽囚何可耻
(幽囚、何ぞ恥ずべき、)

只有赤心明。
(只赤心の明らかなるあり。)


武市瑞山先生、獄中での絶句。

己の志に気概を持って殉じたことは、幕末当時でも唯一という3段割腹の最期にもうかがえます。

勤皇でも攘夷でもない、その尊皇の思想は、過激さという一点を除けば現代の政体に一番近かったかもしれないなどと思ったりするのであります。


墓前を参れば、やまぼうし。

陽に避けられて、やまぼうし。

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