南無煩悩大菩薩

今日是好日也

君たちよ。

2010-05-13 | つれづれの風景。

誰が生徒か先生か、それは知らないが、みんなで泳いでいる。

あっちゃこっちゃと、集団でのお遊戯のように見えるが、このうちの何匹が、



このようになれるのだろう。


がんばれ、とにかく逃れよ君たちよ、孤高の成魚になるまでは、メダカ達よ。

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感情価。

2010-05-12 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

感情的な肯定性は、快楽であり、感情的な否定性は、嫌悪や苦痛である。

この程度が感情価といわれるものです。


つまりは、感情的に快楽を得られるか嫌悪や苦痛を覚えるかは、肯定的にみられるか、否定的に見られるかで勘定も変わってくるということやろね。

都々逸にこんなんがあります。

嫌いなお人の 優しさよりも 好いたお人の 無理がいい

肯定的に見られると、幸せですわな。
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そこの、君。

2010-05-11 | 有屋無屋の遍路。

豚は人の指図を受けるのが余り得意ではないという。

そうなるには頭が良すぎるらしい。

だから同じことを繰り返す退屈な作業を快く感じない。

好奇心旺盛で、クリエイティブな生き物のようだ。


人も思春期にもなると、親や大人の指図に極端な反発をみせる時期がある。

そしてそれは、成長するにしたがって影を潜めるが、それは人に指図されるのを受け入れたからではなく、人への理解と共に「安定的な無視」ができる自我を獲得したからだ。

そうだとすれば、大人はもっと指図では変えられない。

変わってもらうしかない。

変えようとすればまず抵抗にあう。

なぜならそれはその個人の主権の放棄を意味するからだといえる。


豚は、家畜化される為の条件を完璧に満たしている動物だといわれる。

しかし、一旦野に放たれると、素晴らしく速いスピードで野生化し環境適合を行うようだ。

一見主権の放棄を行っているようだが、もしかすると人との共存によって野生の危険を回避しながら、いつか来る「指図する側」に思いをはせているのかもしれない。


おい、豚。

そう。そこの君。

おまえもしかして、わしより賢いやろ。

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フォーカス。

2010-05-10 | つれづれの風景。

お。ヤマツツジか。

可憐に咲いとるやないか。



ん。オチバか。

ええ腐葉土に使えそうや。


・・・。


同じところを向いていてはいても、人は同じところを見たり思ったりしているとは限らない。

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提示の具合。

2010-05-08 | 有屋無屋の遍路。

例えば私達は、カロリー5%の清涼飲料水より、95%ノンカロリーの清涼飲料水がよかったり、
ポリエステル5%を混綿したタオルより、コットン95%と表示されたタオルを選んだりする。
生存率95%と死亡率5%も、豚肉表示で赤み80%も脂肪分20%も中身は同じながらも、受け取る印象は異なる。

どちらに重きを置くかで、同じものを違うと思い込んでしまうような、認識のバイアスを起こしてしまうのだ。


また例えば、普通の牛乳の脂肪分は4パーセント前後で、低脂肪牛乳は0.5%以上1.5%未満、無脂肪牛乳は0.5%未満と厚労省の省令で定められている。低いと言っても、無脂肪といっても、たかが3%前後の違いでしかない。

一緒やんけ。
という判断を下すか、普通とは違ういいものだと思い込んでしまうかは、配分と比率の元になっている分母とその対象の在り方に注目し、その情報の本質を捉える力量が要求される。

「割合で、言われておつむはパーセント」では困ることもある。


また、医薬品なんかでもそうだが、「すごくいい」薬には、「すごく悪い」副作用の可能性があったりする。

偽薬というものがある。
プラシーボともいわれるようだが、新薬の効果を調べる際の二重盲験法(被験者だけでなく実験者自身にも、誰が本物の薬を投与され、誰が偽薬を投与されたか知らせない方法)などでも使われるという。
偽薬がまじることで、本物に本物としての力があるかどうかの、予断を許さない客観的な証明をする為に用いられるのである。

この実験の副作用として出てきた面白いことは、麦や豆の粉等だけの偽薬でも確か3~4割程は病状が改善に向かうなんていう話を聞いて、さもありなんと思ったことがある。


どうも私たちは、提示の具合によって色々と左右されるようだ。

嘘の提示はもちろんのこと、嘘ではなくともその具合を検証・理解することは、嫌な思いをしないための大事なことだと思う。

自分は善意のつもりでも他者に悪影響を与えてしまう思い込みは誰にでもある。

発信するにしても受け取るにしてもデジタルディバイドと言われるような情報格差や情報の不均衡性は常に存在するようだ。


私はさっきまで、いまどきは「アニメソング」を「ア二ソン」と呼ぶということを知らなかった。
それなら、会社の女性が好きな「クレバのソング」は「クレソン」か。

なんともいかん、提示の具合。
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金蜥蜴。 

2010-05-07 | 有屋無屋の遍路。

セレンディピティと呼ばれる現象があります。

ふとした偶然の賜物でいい目に逢える能力のことで、
作家のヒュー・ウォルポールが、御伽噺の「セレンディップの3人の王子」からとってつけた言葉だそうです。
3人の王子は、
いつも偶然とか機転とかのおかげで、もともと探していたわけではないものを発見するのです。



あるとわかっていたもの、「亀の石像」と出会いに行って、あるとおもわなかったもの「金色(こんじき)のトカゲ」と出会いました。

小さなセレンディピティは、誰の周りにも満ち溢れているようです。

あるとわかっていたものに囚われ過ぎないで、あるとおもわなかったものをどんどん取り込んでいくことで、シンデレラストーリーは産まれます。


ふとした偶然の賜物でいい目にあえる能力とは、つまり、ふとした偶然を賜物とおもえるような、シンプルな子供心のようなものを大事にしておく事だともいえるでしょう。

そうおもった私は、この後夢中になって金の蜥蜴を追いかけまわしてみました。

残念ながら金の巣穴には連れて行ってくれませんでした、が、なんとなくいいことがありそうなよい気分でここを後に出来たのは確かでした。


それこそが、賜物だったのかも知れません。

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花の友。

2010-05-06 | 酔唄抄。

懐かしい酒の銘柄を見つけた。

土佐の超辛口、今は想いでの花の友。
花よ友よと、杯を重ねてはや一升 呑めば呑むほど美味くなる。

徳利(とっくり)とお猪口(ちょこ)の展示も酒肴をそそる。

酒のみは、こういうのをみると、垂涎もので、あの頃のように無性に一杯やりたくなる。


ちょこ っとではなくて、とっくり とやりたくなるのである。

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皐大将。

2010-05-04 | つれづれの風景。

思う気持ちが空に満ちるさつき。

ほれ。そろそろ風が出るぞ。



そう。きみたちが大将。


そら風が来たぞ。


くねってつれだっておよげおよげ。

すっコーン っと 空は晴れ渡っている。

ん。あんたが大将。
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花見散歩。

2010-05-01 | つれづれの風景。

この花の名、しらん?

そうシラン。


十一重ねの千両役者、三重(見得)を切ったか、八重桜。


富貴あらせたまえや、やまぶきの。


希望で胸を、ハルジオン。


れんれん咲く花、このモクレン連。


上を望めば限りがないと、足(た)れてむらさく、藤の花。

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