小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

再び台湾の旅 その3

2024-06-24 16:15:01 | 写真日記
再び台湾の旅 その3

台中から台北へ。

高雄から台北までの新幹線の車窓で、日本と違和感があるのは、日本ではあたかも平野から山岳地帯に入る時に見る風景が、断続的、不定期に現れては、しばらくすると平地の風景に戻るということです。おそらく平野に低い山というか丘陵というかの地形が数多く点在しているのでしょう。開発が面倒なこういった地形は後まわしにされて、殆ど手つかずなのです。台湾には土地が無いようで、まだいっぱいあるようにみえるのですが?





さらに台北に近づくと、こういう古げな集合住宅が増えてきます。これが台北より台中に逃げ出す人が増えている理由の気がします。つまり古げな集合住宅に高い金を払うより、住みやすい風土と新しい集合住宅のある台中に移動するのです。

さて、台北について、バスの車窓で、台北101の前広場からちょっとの間街を撮ります。





見たことない車のテールと三越の風景。



台北に着くと、日本の東京の真ん中にいるのと同じ感覚を覚えます。



しかし、メインストリートはそうですが、ちょっと外れるとこのような古げな集合住宅の羅列となります。



相変わらずのバイクの群れ。

有名な金品茶楼で飲茶の昼食。




日本とそう変わりない飲茶ですが、有名店の食事なので家内はとりあえず満足。

一路北へ、新北市、十分(シーフェン)、九分に向かいます。(九分の分には人ベンがつくらしい。 その理由はよくわからないが後で九分から変化したらしい? フォントにないから分にしておきます。あしからず。)



本ツアーのクライマックス天燈上げです。天燈はテントウで、中国読みではテンダンになります。なにかランタンとよぶことが多いようです。



台湾鉄路管理局平渓線の駅、十分駅から一時間に一本の列車が町中を通るのですが、その間をぬって天燈上げをするのが定番観光です。





我々も天燈上げの老舗で天燈上げをやります。



願い事を書いて、同じツアーのカップルと4人で天燈を上げます。皆さん世界が平和でありますようになどと書いていましたが、当方は<家族の幸せを願う>と小さくて利己的な願いにしました。



中の火が消えると落ちて来て、これを拾い集めると回収料がもらえるようです。
今回の旅はちょうど台湾に線状降水帯が通過するタイミングにあたり、天候は全行程絶望的で天燈上げも出来ないだろうと予測していたのですが、当方の<超晴れ男>の御利益により、殆ど雨に降られずに天燈上げまでこぎつけました。天燈上げが終わって九分に向かう途中で、ものすごい線状降水帯らしい土砂降りとなりました。我々は十分、九分は前回の台北旅行で経験しているので、二回目の天燈上げが終わればあとはどうでもいい。しかし、次の日の午前、貴重なフリータイムには雨が止んでいるという<超晴れ男>の御利益は続いていたようです。


土砂降りの九分

この上に、宮﨑 駿さんの<千と千尋の神隠し>の構想のもとになった料亭があります。我々はパス。
土砂降りの中、カフェに逃げ込んで、びしょびしょの服を脱いでキンカンジュースをいただきます。





当方はちょこっと九分の店を回って、今回の旅で唯一のお土産を買いました。500円のキーホルダーだけ。

さて、台湾最後の夜はグランドハイアット台北。






グランドハイアット台北は台北101がすぐそばというのが売りの一つ。



今日は台湾最後の夜ですから、台湾のお酒とおつまみで、一夜を過ごそうと思い、近くのコンビニに行ったのですが、まともなお酒がありません。仕方なく買ったものは、ワンカップ月桂冠でした。


手前がグランドハイアット台北、向かいが台北101


朝食、台湾で食事でのお勧めは、スイカ、バナナ、タケノコです。




グランドハイアット台北の玄関を見下ろす、台北101に続く渡り廊下。



さて、このブログの最初に登場した、台北信義区 四四南村は台北101から歩いてすぐ。



春村文物館は四四南村の記念館、無料です。



当時の部屋の様子は日本の昭和レトロです。こんな部屋が10室ほど展示されています。







訪ねる人はパラパラで、店の人は暇そうにしています。



近くの眷村文化公園では色々な運動器具が設置されているのが印象的。高齢者の健康にはこういう施設が無料で使えるのはいいことだと思うのですが、日本では事故を起こしても自己責任という具合にいくだろうか?



四四南村からちょっと行くと、市場があります。夜は夜市の飲食店、朝は朝市の総菜のお店。






タケノコです。これがおいしい。





さて、台北101に入ってみます。ここは台北のビジネス拠点であって、観光地的場所は一部にすぎません。入り口も簡素な雰囲気です。

展望台へは89階までエレベーターで行きます。外人価格は高くて9000円程度、ぎょっとするけどここまで来て後へは引けない。エイヤとエレベーターに乗ります。


グランドハイアット台北を上から見下ろす。



年越し時にはこんな光景にもなるようです。



展望台のカフェで一服。



台北101の上層部(87階~91階)の中心につり下げられている重さ660トンの制振装置「チューンドマスダンパー(TMD)」、これが地震の時や大風の時ゆらゆら揺れて制振するそうです。



これは台北101の「チューンドマスダンパー(TMD)」のキャラクター「ダンパーベイビー」



台北101の味気ない入り口でのショットが台湾での撮影の最後です。
最後に台湾でのお土産のベストをご紹介します。最も評判が良かったのはメンマ。
メンマとシナチクは同じ意味。竹は竹でも麻竹という品種のタケノコを乳酸発酵させ、さらに味付けした物が、日本でメンマとして食べられています。台湾ではラーメンの上に載せるのではなく、おつまみや色々な料理の素材です。メンマだけでなく、台湾のタケノコは美味しい、だんぜん推薦です。日本で売られている生のタケノコは「孟宗竹(もうそうちく)」のタケノコで、台湾でも同じようなタケノコが市場で売られているので、そう違いはないでしょう。

さて、台湾の旅の総評です。当方の旅行記は行き帰りがごちゃまぜで、支離滅裂。書き直そうと思ったけれど、台湾自体が支離滅裂な国であるので、ちょうどいいからそのまま載せます。台湾がオランダから独立したのがおよそ360年前、中華民国としてまとまったのが約80年前。日本が現在の台湾産業の根本をずいぶんと構築している。現在は中国の一部でありながら、独立しているようでしていないようで。伝統もあるようでないようで。ほら支離滅裂でしょう。現代一般日本人の台湾の理解も薄っぺらな局所的なものにすぎません。台湾から日本に訪れる人は年間500万人、日本は親和性が良くて、楽しい所。一方、日本から台湾を訪れる人は以前年間150万人だが現在60万人くらい。 台湾の表記は漢字と英語、日本語は皆無。ちっとも話が通じなく、表示もさっぱり分からない。早く落ち着いて、隣国の関係が築けるといいと思うのですが。今後の日本と台湾の関係は全く見通せない。家内はまた台湾に行きたいと申しております。

くそつまらない旅行記になってしまいました。すみません。

テレビで与那国、石垣、宮古、先島列島における、台湾有事に対応するための、島民避難プラン、ミサイル設置、シェルター設置、基地整備増強、港湾整備等々の動きを報道していました。首里城下の日本軍の地下基地の公開に向けての動きと大戦における沖縄戦の実態報道が続きます。ウクライナとロシア、パレスチナとイスラエルの現状がオーバーラップします。

子供の犠牲は避けなければ、戦争はやってはならない、世界の平和を願う。そりゃそうだ。そうに決まっている。そう言い続けることも重要であるが、それだけではどうしようもない。

国の行動には国民全員に責任がある。個人は全員当事者なのだ。国の行動が意に反しても個人の国に対する責任は逃れられない。個人一人ひとりに現状を作っているという覚悟が必要だ。

個人は万策尽きて、それでも国の行動が意に反した場合、国を捨てるという選択肢もありだ。ドイツ、ベルリンのユダヤ博物館の亡命かホロコーストを選択する傾斜のある2つの坂道を思い出す。心の底にはこの坂道がいつもある。この坂道に至らないように、考えろ、考えろ、1mmでも行動せよ、行動せよ。人生は難しいに決まっている。




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再び台湾の旅 その2

2024-06-18 16:13:40 | 写真日記
再び台湾の旅 その2
さて高雄の朝、バスで台南まで走って、高鉄に乗ります。
バスからの高雄の街の光景
高雄医学大学は台湾医学系大学の中でもランクの高い大学のようです。この影響もあるのか高雄には何故か病院、クリニックの多い気がします。やたら看板が目につきます。





扱っている病気が羅列していますが、これがどんな病気か、これはクイズです。



日本企業の痕跡が随所に見られます。



このバスから撮った写真、ぱっと看板をみてどんなお店か判断できるかクイズです。このようにわかるようでわからない看板がずっと続くと、これまた何か不思議な欲求不満に陥る。



高雄の郊外にでると、工場地帯が続きます。
台湾の産業構造は、農業などの第一次産業の率は1.6%と低く、農産物は輸入に頼る。70%を占めるのが第3次産業(サービス産業:商業、飲食、金融etc)で一見先進国の様相ですが、最近はTSMCに代表されるように製造業が拡大傾向にあるそうです。台湾積体電路製造(TSMCは世界最大の半導体受注生産会社、世界の半導体の半分以上を生産)で、拠点は新竹市(桃園市の西となり)にありますが拡大中、高雄にも進出中であり、なんと日本の熊本にも進出中です。日本は大慌てで、つい最近半導体の新会社を政府肝いりで作りました。このツアーに参加している女性は旦那がビジネスの関係で高雄に赴任していたという。高雄は昔も今も日本との関係が深いようです。
台南市に近づくと道々からはヤシの木が生えた、あるいはバナナ畑のある農地と工場のミックスした風景が続きます。



高雄からでなく台南から新幹線に乗ります。理由は良くわかりませんが、バス移動で渋滞すると、新幹線に乗り遅れたらえらいことになるので、バッファーを設ける必要があるのだと当方は解釈しています。実際、高雄市内は朝から渋滞していました。



こんなところが台南市の街の風景でしょう。



台湾では、なにか香港的な時代物の集合住宅が密集するのが特徴です。畑の間際まで古げな集合住宅が迫っていて、台湾は土地がないから集合しなければという概念がしみ込んでいるようです。
ほらこのバスの窓の傷、ひどいものです。



朝食は外で、バイクが必需品というのが、台湾流。バイク王国です。



台湾は10人に6人はバイクを持っているそうで、元は本田技研のバイクでしたが、現在は本田技研と提携している台湾の企業、2社が作っているそうです。車も日本車が多く(70%以上)、自家用車のメーカーの比率は日本とそっくり、レクサスから本田、スバルまで色々、フォルクスワーゲン、BMWも走っています。中国本土の自動車は現状EVバスが中心で拡大中。台湾の自動車メーカーは裕隆汽車など、韓国ヒュンダイも走っているそうですが、 自家用車は日本車が中心で、日本そっくり。
台南では市内観光と称して孔子廟によります。



孔子の好きな家内が記念写真を所望。



孔子廟の参道のような、観光客目当ての道にはいりますが、朝早いのでお店が全て閉まっていて、なにやら実態はわからず。





早々に台南新幹線駅に着きます。台南の市内観光と言っても、新幹線時間に遅れない為のバッファーという位置付けで、台南市内の様子もよくわからないまま、新幹線に乗ります。


コンビニ・オデン



いつも時間に追われて、構内のコンビニでオデンだのカップラーメンだのを写すのが精いっぱい。



台湾高速鉄路(略称:高鉄)は日本の新幹線技術の輸出ケースで全長345km、最高時速300km/h ノンストップ便だと全行程1時間30分。東海道新幹線だと東京―名古屋間にちょっと足りないくらい。



台南を出ると、相変わらず、田んぼにバナナ畑と隣接する集合住宅群の風景が続きます。こちらのお米の田んぼは三毛作が出来るのだけれど実質二毛作だそうです。この米作りも日本統治時代に実質日本が元を作っています。台湾産日本米は改良されてどんどん美味しくなり、日本にも輸出されています。




台湾のバナナはお勧め、とてもおいしい。

蒋介石と共に台北に渡った人は中国北方の人で、麺食が中心だったために、日本統治時代の米食と麺食が拮抗して、現在も半々に拮抗している。これで台湾が韓国や日本みたいに一極集中に落ちいらない理由が分かった気がします。蒋介石の多量な一群が台北を占拠すると、それまでの台湾人は南に移動した。それに先住民族は現在2%、53万人存在し(ちなみに日本のアイヌ民族は1.3万人)、中央山脈から東側に住む(ちなみに当初日本軍は山にこもり危険だった先住民族を殺しているらしいが、あまり記述がない。戦時中は彼らを高砂族といい、戦いに参加させ、彼らの活躍が記録されている)。台湾人は結構色々な集団があり、生活様式と言おうか、根っこが違う、生活の好みが違う、むしろ密かに反発しあう人たちがいるわけで、一極集中にならないのだと推測します。
その地域を支配した人々が、先に住んでいた人を先住民族とか原住民族とか言って、後から来た人を移民とか言って、忌み嫌う。日本では奈良時代に「蝦夷(えみし)」と呼ばれた人々は、東北に住んで、中央と著しく生活・文化様式が異なる人々で、中央はとても長い間、蝦夷討伐に大きなエネルギーを割いてきました。北方の蝦夷として特別視され、平安中期以降には、これが「蝦夷(えぞ)」とよばれるようになりました。大陸からの侵入者、彌生人が原住民の縄文人を虐殺したり同化したりして現在にいたり、どうしても組せずに山岳地帯にすむ人々を蝦夷(えみし)といい、中央の討伐に追われて北海道に渡った縄文人の末裔がエゾさらにアイヌと考えられるのですが、そう言えるかどうか、定かでありません。アイヌの文化はあまりに不思議で、中央とあまりにもかけ離れています。 東北地方に行くとエミシと彌生人系譜ヤマト中央政権の壮絶な抗争の歴史が生々しくあちこちにある事は、ほとんどの東京人は知らないに違いありません。ましてや、台湾の先住民族と中国本土からの侵入者、さらにその後の蒋介石一団の侵入者の抗争の物語なぞ、大半の日本人は知る由もない。そして、これからは新しく始まる日本の移民者と現在の日本の支配集団とのバトルが始まるのです。ただ先か後か、支配してメジャーになったか、マイナーかの違いなのです。人は自分と違ったものを嫌うという、足り前の習性なのです。
ちなみに台湾への移民は都南アジアや中国本土からやってきた人で、新住民といい。台湾人口の2.5%になっている。女性が圧倒的に多く台湾女性の5.3%が新住民。<新南向政策>といって南方との関係強化の政策をとっている。実際、外国人労働者らしき方々によく出会う。日本の移民割合は1.7%。


ついでに、当方の京都でのバイオベンチャー経営7年の経験から、東京では考えもしない、大陸と日本の関係の歴史を知って、物の見方が変わったことをお伝えしておきます。大陸からの波状的にわたってくる渡来人の影響を日本はもろに受けていること、というよりは波状的渡来人の重層で日本人が出来上がったこと。それまで東京にいて、気にもしなかったことで、京都で叩き込まれたことを羅列する。唐招提寺は聖武天皇に招かれて唐から渡ってきた鑑真[がんじん]和上が 759年に建立した。比叡山延暦寺を創建した最澄(さいちょう)のお父さんは琵琶湖のほとりに住む渡来人であった。楽焼の創始者、長次郎のお父さんは渡来人であった。日本の国宝第一号広隆寺の弥勒菩薩は朝鮮から持ち込まれたものであった。琵琶湖東岸の百済寺(ヒャクサイジ)は2mもあった聖徳太子の勅願により建てられた。667年天智天皇は近江大津
宮に遷都したが、その理由は朝鮮から攻められるのが怖かったから。京都高麗美術館館長は、司馬朗太郎と裏日本に旅にでると電話帳をめくって朝鮮の痕跡を探す。京都から移動した渡来人の系譜が裏日本に分散しているのです。電話帳には百済、新羅などもろに朝鮮の系譜を示す名前が数多く電話帳に載っている。埼玉県高麗(こま)地区は朝鮮からの渡来人部落をまとめるために高麗から招かれた高句麗の王が治めた。このはっきりした家系図を持つ高麗渡来人の末裔が高麗神社(コマジンジャ)の住職です。何故か高麗神社には総理大臣を目指す人々が参拝する。若槻礼次郎、濱口雄幸、斎藤實、平沼騏一郎、小磯国昭、鳩山一郎など後に総理大臣となった―――――――――――――――――――――――。(10~15年前の記憶で書いていますから、間違っていたらごめんなさい)。

さて、台南を出発すると直ぐ嘉義を通り過ぎます。嘉義は行きにバスで寄っています。

ここで昼食をとりました。(これは旅程の行きの話で、帰りの新幹線から降りているわけではありません。)



鶏肉飯が売りの料亭です。



特に豪華でもない、市民的な料亭ですが、ここの料理が今回のツアーで一番おいしかったといおうか、ここだけが端突に美味しかったと言おうか。



特に豪勢な材料を使っているというわけではないのですが、次々に出てくる料理の味が鶏肉飯に限らずとてもよかった。



台湾ビールもここで初めて出会って、感激したのです。

次に新幹線は台中を通過します。台中は現在、台湾の居住地域として一番人気。
以下の話も行きの旅程の話で、新幹線から降りているわけではありません。台中は行きのバス行程での最初の宿泊地でした。



ホテルからの眺めはいかにも増加している居住地らしい、比較的新しい集合住宅の町並みが見えます。



ただの街中の風景を載せます。




台中国営榮徳国営中学校



台中で一泊の後、台中観光。



台中市内観光、巨大な布袋様のある宝覚寺。わらう金色の布袋様なのですが修復中で現在は金色ではありません。台湾が日本統治時代であった時に建立されたお寺です。台湾にありながらも、なんと臨済宗の妙心寺派のお寺。同時に台湾仏教のお寺でもあるので、台湾のような日本のような不思議な雰囲気の境内です。上の写真の石灯籠も日本が作った名残です。



ここを訪れるのは日本人観光客ばかりだそうです。



台湾の朝食は外で食べるのが普通。
行きの行程、台中から高雄への途中、何故かかなり大きく東に寄り道して、中央山脈の中腹にある湖、日月潭(リーユエタン)に向かいます。台湾最大の観光地のひとつで標高700メートルにある美しい淡水湖として観光定番地のようです。名前の由来は湖が日と月の形をしているというのですが、岸から見てもよくわかりません。定番の湖畔の文武廟によります。



1932年、日月潭の水をダムに引くことになりましたが、これによって水没の危機に瀕した湖畔の龍鳳廟と益化堂が文武廟として現在の位置に移設再建されたのです。工事は4年の歳月をかけて、1938年に完成しました。とのことです。













さて、新幹線は台中を過ぎ一路、最終地、台北に向かいます。

次回は台中から台北へ。

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再び台湾の旅

2024-06-16 19:50:35 | 旅行
再び台湾の旅
2024-5-19~5-22
最近の円安の影響(原因はこれだけではないかも)で海外旅行はバカ高く、家内は海外旅行のチラシを見て、海外はしばらく忘れましょうといいつつ、台湾ならいけるかもという考えになる。当方は、富山の居酒屋で海の幸を肴にお酒を飲んだ方が楽しいことは間違いないのだが、時にはあちらに合わせて、時にはこちらに合わせてもらうやり取りが自然の流れ。台北は以前行ったが、南の方は行ったことがない。南の高雄まで行って、新幹線で台北に戻るという3泊4日のツアーを選択。このツアーは新幹線以外に高雄で高雄圓山大飯店、台北でグランドハイアット台北という高級ホテルに泊まることが売りになっている。家内はここに魅かれたらしい。当方はこの旅にどういう意義を見出すか不明のまま旅に出た。
しかるに、カメラは徹底的にシンプル。Fujiilm X-T5 + Zeiss touit 32mm一本で押し通しました。わずか数ショットはZeiss touit 12mmをつかっています。観光写真は極力撮らずに、街の風景を撮ろうとしたのですが、フリータイムが殆ど無くて、バスの汚い窓からの撮影ばかりになりました。スナップにはZeiss touit 32mmが抜群に素晴らしいはずなのですが、見せ場もありません。しかし、この組み合わせはよく状況に対応していると思いますよ。



この写真は旅行の最終日のわずかなフリータイムの時訪ねた、台北の眷村(軍人村)の跡地、四四南村(スースーナンツン)から 101階建て台北101ビルを望む写真。この写真の意味を述べることで、この旅行の旅行記にしましょう。台湾の観光地はもう皆さんご存知でしょうから書いても面白くないでしょう。ザクっと台湾を知るための基本情報から始めます。つまらんと言わずに読んでください。後できっと役に立ちますよ。
しかし、ずいぶんと地味な旅行記になったもんだよ。当方にとっては数日で丸っと台湾を理解し、有意義な時をすごしたと自負しているのですが?


台北101 2004年12月31日オープン、509.2メートル、地上101階+地下5階、内69階分はオフィス。かつては完成建築物として世界一高いものだった。


台北信義区 四四南村
台湾の重要な年次、1949年に蒋介石は中国本土から台湾に中華民国を遷移する。その時の軍人の村、眷村の一つ四四南村がちょっとばかりリノベーションして観光スポットに変身したのです。

台湾とはどうとらえていいか、困ってしまう不思議な国なのです。
先住民族の時代(マレーポリネシア系先住民族 1624以前)
オランダ占領時代(1624-1661)
中国時代(鄭氏がオランダを駆逐、その後清国領、1661-1895)
日本時代(1895-1945)
中華民国(1945- 日本敗戦後中国は中華民国であったが、1949に中国本土は中華人民共和国となり、中華民国は台湾に逃げる)

つまり、この四四南村はスケールこそちいさいけれど、ボストン近郊のイギリスからアメリカに逃げたピューリタンらが上陸したプリマス・プランテーションの再現村 Plimoth Plantationに等しいのです。




マサチューセッツ州Plimoth Plantation(2020年からPlimoth Patuxet Museumsと改名)

ここでは当時の服装の人達が当時の言葉で、プリマス・プランテーションを再現している歴史村なのです。我々は以前、ここを訪れて、とても印象に残っています。現在も同じように運営されているかは不明。
プリグリム・ファーザーズが現在のアメリカ合衆国に発展するのです。四四南村から 101階建て台北101ビルを有する台湾に発展しました。台北の故宮博物館には蒋介石が移動させた中華民国の膨大な栄華資産が展示されていますが、台湾にはここで生まれた文化は80年くらいの歴史しかないのです。むしろ日本時代に台湾の近代化に向けた色々な仕掛け(農業、工業、商業etc)が現在の台湾の元になっています。四四南村の建物も旧日本陸軍倉庫を改修して住居としたものです。しかし、そんな過去の日本との関係を知らない若い世代に台湾は移行しています。これから台湾はどうなる、日本との関係はどうなる。

次は台湾新幹線(高鉄)




行政区    面積(km2)    人口(2019年5月末)
台北市 Taipei City   271.7997     2,658,615
新北市 New Taipei City 2,052.57     4,003,294
桃園市 Taoyuan City   1,220.95     2,232,623
台中市 Taichung City  2,214.90     2,809,545
台南市 Tainan City   2,191.65     1,882,624
高雄市 Kaohsiung City 2,951.85     2,773,026

台北市は一番大きな都市と思っていましたが、人口的には最北端の新北市がダントツに人口が多く、台北は台中、高雄に続く4番の都市でした。しかし、経済、政治、文化の最大の中心としてあることは間違いありません。最近人が増えているのが台中で、最近の一番人気らしいです。台北観光の定番、今回も訪ねた十分、九分は新北市です。ちなみに台湾の面積は九州よりちょっと小さいくらいです。
日本の東京や、韓国のソウルみたいにやたら一極集中とならないところが不思議です。日本や韓国の一極集中を生み出すなにものかが諸悪の根源と考えている当方にとって、台湾がそうならない理由が知りたい。
高鉄の駅名で、南湾は台北市であり、左営は高雄市です。桃園は国際空港がある街です。高鉄は平野の多い台湾の西側を走り、中央山脈に接する東側はこの前、大地震がありました。こちら側に新幹線が通ることはないでしょう。移動手段としてはこれも西側の南北に3本の奇数番号の高速道路(快速公路)と東西方向にいくつかの偶数番号高速道路があります。国道は全て有料高速道路となります。西側に比べると東側はずいぶんと不便なようです。

当方にとって台湾は2度目ですから、興味は観光地でなく、高鉄沿いの、台湾西側の都市がどんな状態なのか、どんな特徴があるのか雑駁な印象を手に入れることにあります。何故なら、台湾有事が起きた時に、日本はどうするか、その時自分はどういう考えで行動するかの根拠となるのが、この印象にあると思うからです。

行きにはバスで台中、嘉儀によって、高雄に行き、帰りは台南から高鉄で一気に台北に戻ったのです。

まずは高雄の街
台北よりずっと離れた南の街なので、南国風の街かと思いきや、工場や学校の集まる活発な産業都市でした。
まずは、観光ツアーで必ずたずねる蓮池潭(レンチタン)




高雄、蓮池潭(レンチタン)龍虎塔 現在修理中


修理前はこんな具合。(ネット情報)

蓮池潭は淡水人口湖です。何故か津波注意という立て看板があるので変だと思ったら、蓮池潭風景区から西に1kmほどで海でした。南に5kmほどで高雄港のクルージング出発点にでます。ここから台湾海峡をクルージングできます。現在、のんきにクルージング出来るのか知りません。当方はただ台湾海峡が見たかったと思うのです。

今回の旅で、黄色、紫色、赤色の花をつけた街路樹をよく見ました。台湾は一年中、花が咲いているそうです。

これは赤い花の一つ、 ホウオウボク(鳳凰木)の花です。卒業シーズンに咲く花であることから、卒業式に咲く花、卒業生の門出を見送る花として知られています。台湾の赤い花はもう一つノウゼンカズラ科の 火焔木(カエンボク)の花があるようで、これも道すがらよく見ていると思うのですが、写真はありません。



車中から何度も見る黄色い花。ゴールデンシャワーと呼ばれるナンバンサイカチの花、中国名は[阿勃勒(アーボーロー)]だそうです。なかなか魅力的なゴールデンシャワーです。



問題はこの紫色の花、あちこちに咲いている。帰って調べればすぐわかると思ったのに、ネットで調べてもわからない。薄紫の花というとジャカランダは三大街路樹として有名なのでネットにいっぱい出てくるけれど台湾であちこちに咲いているかはわからない。生成AIに聞いてみたが、やっぱりよくわからない。なんということか。ネットで何でもわかると思ったら大間違い、見当違いだとまったく情報が得られない。だけど台湾のネット情報というのはとっても偏っている。誰か教えてください。



あと街路樹で有名なのはカジュマルとマンゴー。カジュマルは沖縄でよく見るのと同じ、台湾にいっぱい存在します。街路樹のマンゴーはちゃんと熟して、むしろ落果が危険と言って市が採取作業するらしい。

高雄の夕食は海鮮中華

大きな伊勢海老の看板なので、エビが売りのようです。


蒸しエビ、1人2匹に決まっています。美味しいのではあるが2匹ではしょうがない。



蒸し海老とシシャモ(?)のフライ烏賊と野菜を甘酢炒め等々。この魚はシシャモみたい、まさか台湾でシシャモが出てくるとは。調べてみると日本で普通に食べるのは北海道の本物のシシャモでなく、カナダやロシアなどから輸入される類似品。いずれにせよ北の魚。台湾の人はポピュラーに揚げて食べているらしいが、どうみても輸入品。ここの料理はマイルドな味付けで、おいしさもマイルド(普通程度)。このツアーの料金は驚くほどリーズナブルなので、豪華な料理は期待する方がおかしい。といって、絶望というわけではありません。そこそこでまとめるところはたいしたもの。



台湾の料理屋でお酒といえばこの台湾ビールしか出てこない。アルコール度が低くて間違いなくおいしい。我々ツアー客はたった7人。男性は当方ともう一人だけ。この方は結構飲む方なので、シェアというわけに行かず。当方はいつも一人一ビン飲む羽目になる。

夕食後は高雄観光定番の美麓島駅へ。

高雄、美麓島駅。高雄地下鉄駅、世界で最も美しい駅2位、世界最大のステンドグラスアート。イタリアのアーティストと日本の技術者の合作らしい。




構内のコンビニを探検


日本のお菓子が並びます。


地下鉄、美麓島駅上部の光景


お馴染みの台湾、バイク群れの光景。



高雄では高雄圓山大飯店に泊まります。

高雄圓山大飯店外見拝見。Fujifilm X-T5のレンズはZeiss touit 32mm(実質48mm)一本で押し通しているので、一部しか映っていません。すみません。


ホテル、ロビー拝見。


ホテルからの町並み拝見。


ホテル部屋バルコニーの眺め



圓山大飯店は台北の方が上だとツアー客がブツブツ言う。そんなこと最初からわかっていることで、なにをブツブツいうか。



これは台北から帰りの飛行場へ行く途中で撮った、台北の圓山大飯店。こちらは500室、9階建て。高雄の圓山大飯店は107室、5階建て。(この写真が、本台湾旅行の最後の写真)
なんせ、夜8時30分頃にホテルについて、朝7時30分には出発ですから、台北と高雄の圓山大飯店の良し悪しなどどうでもいい話で。このツアーでは町を散策するチャンスが全くありません。翌朝バスから必死に街を撮影しますが、このバスの窓が超汚い。必死に修正しますが、これが限度でどうしようもない。このバスの窓の汚さのおかげで、大半の写真が汚くて、本当に、本当にすみません。

今日はここまで、次回は高雄から台中までの旅。
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自然教育園日記 その287 Nature Photo抽象表現を目指して-2

2024-06-12 15:12:47 | 写真日記
自然教育園日記 その287 Nature Photo抽象表現を目指して-2
2024-5-29
Fujifilm GFX100S, GF120mm macroでやり直し。



蟻が集まっていたので、撮ってみると、これは怖いですよ。羽虫が蟻に取り囲まれています。



カルガモの子供が2匹とは今年は寂しい状態。



隣のドングリ公園ならちょっとは色ものミックスが出来ます。自然教育園では色物ミックスはほとんど出来ません。鳥虫を相手にしない場合、自然教育園の撮影はどれだけ苦労が多いかお分かりになりますか。
今日は重たいFujifilm GFX100S + GF120mm macroを抱えて、結局 Abstract Artはボウズ。 明日は軽いSony alpha7CR に舞い戻ることになるのです。結局Fujifilm GFX100S, Sony alpha7CR, Fujifilm X-T5を行ったり来たりする運命か?

2024-5-30
今日はSony alpha7CRで正統的なマクロ撮影

Sony alpha7CR, Sony FE 90mm macro


ムラサキシキブ


オヘビイチゴ


ノアジサイ


ノアジサイ


クサノオウ  
イガイガ実にイガイガ蜘蛛が集う。この奇妙な光景は何じゃらほい。

軽さといい、画質といい、トリミング拡大能力といい、AFの速さといい、DMFの使い易さといい、こういう小物を追いかけるには、Sony alpha7CRがダントツに優れている。レンズを色々変えれば、Sony alpha7CRはFujifilm GFX100S同等の絵が撮れることはすでに試した。天下玉条のように思っていたFujifilm GFX100Sの優位性はわずかなトリミング拡大の優位性とスケール感、生々しさ、であり、絵のクレア―さはSonyの方が上である。しかし、間違いなくSonyの欠点は、ファイダーを覗いたときの絵が美しくない。美しいと思って撮ることがない。現像してみればそれなりの絵にはなるのだが、絵画性を指向しているFujifilmに比べて、Sonyはあくまでクレア―な単なる写真である。 実際、アップした絵をみても、Fujifilmの方が美しい。    しかし、中判の重さはこの歳にとって何とも堪える。
いずれにせよ、Abstract Artはどこへ行ってしまったのか。本当に困っているのです。

2024-6-1
Fujifilm GFX100S, GF120mm macro
すこし葉っぱのパターンを追ってみました。このままでは受けそうにないですね。だけどFujifilm GFX100S, GF120mm macroだから撮ってみようという気になるのです。









何故かこの木の葉っぱに虫が集まります。クサギの葉っぱでしょうか? 現在ほんと他のところに虫すらいない。







またまたミツガシワの抽象表現に挑戦していると、トンボが飛び込んで産卵してゆきました。肝心のミツガシワの抽象表現は全て不成功。



ノアジサイに集まるお馴染みのヨツスジハナカミキリ。こんなトリプルプレイは初めて見ます。とにかく虫が減って、繁殖も大変なのかもしれません。
日本の少子化対策に対する当方の持論は、<自然に戻れ>ということです。東京一極集中をやめて、住んで楽しい地方コミュニティーを一つ一つ増やしてゆくことです。地方創生は地方に大企業を誘致する事でもなく、テーマパークを作ることでもなく、ソーラーパネル群を作る事でもない。まずは人が育つ畑を増やすことが第一歩でしょう。策もなくお金をバラまくことだけはやめてほしい。
話がそれました。元に戻します。

2024-6-5
腹を据えて、Fujifilm GFX100S, GF120mm macroを追います。






























やっと、Fujifilm GFX100Sの感覚が戻ってきました。
歩いているうちに、ふといけるかなと思う。
ファインダーを覗いて、<きれいだ!>と思って撮る。
帰ってから、モニターを見て、何をきれいと思ったのか、画像の部分を探しまくる。
きれいだと思った原因と思われる画像の小さい部分を切りだしてガンガンに拡大する。
トリミング、明るさ、コントラスト、シャドウ、色彩等を調節する。絵に合わせてギリギリの限界まで思い切り絵を創作する。
これがFujifilm GFX100Sの撮り方です。

ファインダーを覗いてきれいだと思うこと、驚くほど拡大しても使える絵を提供してくれること、明るさ、コントラスト、シャドウ、色彩を調節でくずれることなくついてきてくれる、気になるノイズが出ることが無いこと、最終的色彩の美しさ、等々他のカメラに対して、<明確なアドバンテージ>があるのです。この撮り方において、Sony alpha1などまったく相手にならないのです。あくまで、この撮り方をした場合の話で、他の撮り方、例えば高速撮影に関してはFujifilm GFX100Sはどう転んでもSony alpha1にかなうわけはないのです。つまりそういうことです。

2024-6-12

本日、65cm四方、30kgの陶絵画の2枚組 (渚にて2024-1, 2) 1点と45cm四方、15kgの陶絵画の2枚組(水の流れのように2024-1, 2) 1点をアート未来展に出展してきました。やっとこれで2024年度の公募展出展は終了です。その重さと、割れ修復との格闘、疲れました。飾ってもらえるかは分かりませんが、とにかくやることはやりました。今日だけは、いっぱいお酒を飲んで休養。明日からは家じゅうのいらない物整理、スタジオの大改造、来年の公募展への準備が始まります。
それから2024-5-19~5-22に台湾旅行したので、その<ちょっと違う視点の旅行記>を3回か4回に分けてアップします。ご期待ください。

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自然教育園日記 その286 Nature Photo抽象表現を目指して-1

2024-06-07 17:04:58 | 写真日記
自然教育園日記 その286 Nature Photo抽象表現を目指して-1

Nature Photographs as Abstract Artを目指すと言っちまったからにはどうにかしなければ。
2024-5-3
Fujifilm GFX100S, GF120mm macro

ヒョウタン池水面―抽象表現―1


ヒョウタン池水面―抽象表現―2




ハルジオン?



2024-5-3
今日はFujifilm XF150-600mmが抽象表現に使えるかを試します。

Fujifilm X-T5, Fujifilm XF150-600mm






カキツバタ


チョウジソウ、クマバチ

Fujifilm XF150-600mmがいいレンズであることを再確認しました。Fujifilm XF150-600mmが抽象表現に使える可能性は十分あるのですが、重たくてとりあえずペンディング。

2024-5-24

Fujifilm X-T5 + XF 80mm macro

このレンズを持ち出すということはFujifilm X-T5のプレ撮影システムや高速連写が
Nature Photographs as Abstract Artに貢献するかを見極める為ということです。


ニワゼキショウ


オヘビイチゴでしょうね?



よく見てください、下の花から上のイガイガが出来上がるのですね。このイガイガがイチゴっぽくなるのでしょうか?


小さな花、名前?


アカショウマ

実はこのショットはすごいのです。遠くの小さな黒点、虫の拡大ですが、3種のカメラで同じところを撮った絵の中で、このショットが一番きれいでした。XF 80mm macroにケチをつけているコメントが多いですが、このレンズは本当はすごいのです。


元絵


マルバウツギとヨツスジハナカミキリ


ウツギとクマバチ

プレ撮影や高速連写もいいのだけれど、追尾性能が追いつかないと、他の機材でメクラ撮影したのと大差ない。Nature Photographs as Abstract Artに特に有利という理由が見つからない。

2024-5-26

Sony alpha7CR + Sony FE 70-200mm macro


アカショウマ


ノアジサイ


小さな花、名前?


ウツギ


ウツギ


ドクダミ
ドクダミは名前が恐ろしそうですが、葉っぱはハートで蕾は可愛らしいのです。

自然から抽象を見つけ出してアートにする為に写真を撮っている。実はその裏でカメラの性能の進歩が重要な意味を持つ。こうやって見てみると、Fujifilm GFX100Sの一億画素が生み出す脅威的トリミング拡大力が、結局、自然から抽象を見つけ出す原動力だった。今まで点にしか見えなかったものが、拡大により意味ある色と形になる。この発見の感激が、当方のアートの根っこになっている。なんだかわからないままに、Fujifilm GFX100S, Sony alpha7CR, Fujifilm X-T5の撮影を並べてみると、自然から抽象を見つけ出すチャンスはその3つのカメラの画素数の比例している。Fujifilm GFX100S 10200万画素>Sony alpha7CR 6250万画素>Fujifilm X-T5 4020万画素。遠くのただの黒い点を拡大した時に、意味ある色と形になるプロセスで画素数の違いの意味が判明する。
一方、新しいテクノロジーである高速撮影に関して、連写は自然から抽象を見つけ出すチャンスを生むのであろうか? Fujifilm X-T5のプレ撮影20コマ/秒は今のところ全く貢献できていない。虫みたいな小さなものは追尾出来ないので、ビンボケしか生み出さない。結局メクラ撮影で偶然ピントが合う事を期待すると変わりない。抽象表現を考える余裕もないのである。はたして、Sony alpha1なら高速撮影から抽象をうみだせるのか???
現在、写真クラブで大人気は鳥撮影。望遠、連写、AF、追尾、トリミング拡大、カメラの進歩が鳥撮影に集約しているのである。と言って、鳥は撮れること自体が、感動を生み出しているに過ぎない。抽象表現などまだ無理なのだ(無論、静止画、花鳥風月的絵を作ることはできます)。鳥の標本写真が誰にでも簡単に撮れるようになれば、そのうち飽きてくるだろう。写真クラブで次に人気なのは虫のフラシュ+ディフーザー撮影。黒バックの中に、クレア―な虫の魅力的姿が浮き上がる。これも魅力的ではあるが、何故か写真家はアート写真というと直ぐ黒バック、暗いトーン、果ては白黒写真となる。当方はひねくれ者なので、この流れは陳腐で嫌っている。フジフィルムの画質におけるクラシック色調も結局暗ったいイメージなので殆ど使わない。当方は明るく、ビビッドに、カラフルに、透明に、幸せ調を追いかける。Sony alpha7CR もいいところまできているが、トリミング拡大力しか役立たないなら、今のところ結局Fujifilm GFX100Sに頼るしかない。 またしばらく重たいFujifilm GFX100S絵の撮影が続くことになるのかな????

2024-6-6
今日、現展の展示を見に行きました。


工芸部門で、この写真の真ん中が当方の出展です。<水の流れのように2024-1> 賞はなし。右となりはステンドグラス。



通りかかる人の注目度をかなり長い間観察していましたが、誰も見向きもしません。昨年と同じ。 しかし、このような、ちょっとぶつければ壊れるような30kgの作品が、壁につるされるまで到達したということは、当方にとって奇跡的なのです。



これは入り口入って最初の展示、左が八十回記念賞とあります。当方の10倍くらいの大きさがあります。絵画だから出来るので、陶絵画にしたら300kgになります。


これは写真部門で会員推挙の作品。当方がしょっちゅう撮っている水面写真と同じです。家内が、陶絵画はやめて写真を出した方がいいんじゃないとおっしゃいます。当方はこういう水面写真を写真としてでなく、陶絵画に落とし込むことを今トライしているのです。<陶絵画はやめて写真を出した方がいいんじゃない>と言われることは、傷口に塩を刷り込むようなことです。



この作品は細かい陶タイルの集合です。これはすでに当方の頭の中にあるプランの一つでした。この路線の方が良かったかという思いが頭をよぎります。先にやられれば、これは完全に負けです。見て美しく、斬新でありアートです。陶器の良さも主張できます。何故この路線をとらなかったか。自然からの実写としての抽象を具象化することにこだわったからです。今でも、この路線はとりたくないという気持ちが強い。何故なら、結局この路線は既にある技術タイルアートの延長線上に過ぎないと思うからです。
昨年は、最初の試みでしたから、シンプルな水面実写(ちょうど上に示した水面写真のようなもの)を陶絵画に落とし込みました。


実写、水の流れ(奥日光)


2023 現展、出展作品

それでも出だしは5枚スタートして、バリバリ割れて1枚だけが生き残って、それを現展に出展したのです。当方にはこの作品の方が、上の陶タイルモザイク、奨励賞より面白いと思うのですが。現実の結果は完敗です。
今年は昨年のインパクトの無さを反省して、より複雑な水面の実写から陶絵画に具象化しようとスタートしたのです。


実写、水面(軽井沢)

しかし、あまりの複雑さに途中で先に進めなくなり、時間切れで、諦めてシンプル化したパターンを陶器に落としたのです。それでインパクトが無くなり、しかなく、蝶をいれてごまかしました。結局、妥協の産物になりました。技術的壁から意匠的に満足できない作品なのです。さらに、技術的問題は作品の精度に現れます。家内は、4つのプレートがズレている。絵の良し悪し以前の作品としての精度の低さにより、素人っぽい印象が先に来ることが致命的であると主張します。周囲の作品で、意匠的には面白い面白くないにかかわらず、当方の作品みたいに、精度の低い作品は一つもないではないかとおっしゃいます。おっしゃる通りです。当方の作品は数十個のパーツの集合で、各パーツの少なからぬ数が集合前にすでに割れています。全て完全に成功したパーツを集合すれば精度は完璧になります。しかし、最終集合時にも割れます。実際最終集合で割れました。それなら最初からやり直せば精度が完璧になるでしょう。気の遠くなる困難が伴います。それならやり方を変えろと家内はおっしゃいます。そのとおりです。陶絵画は技術的デメリットに対して、通常の絵画に対するメリットは何か。メリット/デメリットをプラスにするにはどうしたらいいか? 当方は何時間も呆然と座り込んで立ち上がることができません。
自分を信じて、このまま進めが答えです。しかし、改良できるところは改良しなければなりません。
一つアイデアが浮かびました。試してみましょう。

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