小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

Fujifilm GFX50Sで海を撮る ~中判カメラのトリミング拡大マジック~

2019-10-13 16:23:40 | 日記
Fujifilm GFX50Sで海を撮る ~中判カメラのトリミング拡大マジック~

2つの必要から海に向かいました。
1、一つは祖父の家があった上総一ノ宮の土地に当方所有のアパートがあるのですが、古くなって、空き室が多くて困っています。同じ一ノ宮町なのですが、駅的にはJR上総一ノ宮の次の駅、東浪見(とらみ)が来年オリンピックのサーフィン競技会場となります。この影響でちょっとは一ノ宮町に活気が生まれていないか東浪見の海岸を見に行ったのです。昔は当方のアパートをサーフィンのための拠点として借りる方がいらっしゃったのですが、最近はさっぱりです。このオリンピックでまたサーフィン需要が起きはしないかと期待したのです。東浪見のサーフィンの写真を撮って、アパートの宣伝に使おうと思ったのです。上総一ノ宮駅のすぐそばで超格安ですよ、是非、サーフィンの仮眠拠点として、当方のアパートを使ってください。お願いしますよ! アパートの名はマリナハイツ、連絡はサンオフィスか当方まで。

2、クロスオーバー展を終えて、陶芸の次なる展開を模索しています。一つは小型ブロックの集合による平面立体、レリーフです。もう一つは自然のなかから抽象を見つけて、それを忠実に陶芸に再現することです。この理由は①自然の方が、人の作る抽象画よりよほどすばらしい抽象画を包含している。人はそれに気が付かないだけだ。それを発掘するのだ。②当方の現在の力ではまともな抽象画は描けない。自然の中の抽象画を模写して修行するしかない。自然の中から抽象画を発掘する為に海にでかけました。

東浪見の駅は無人駅です。そこからテクテク1.5km歩いて東浪見の海岸に出ます。九十九里海岸に容易に駅からに歩いて行けるのは東浪見しかありません。

まずは砂浜の貝の抽象を撮影。
撮影は全て、Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF120mm macro F4。
Fujifilm X-T3 + miniBorg 55FL 250mmも持っていったのですが、こちらはピントが不調で載せられません。




これが、上の写真の元写真。Fujifilm GFX50S + Fujifilm GF120mm macro F4のトリミング拡大のリアリティーに驚きませんか?



次にサーフィンを撮影。Fujifilm GF120mm macroですから、サーファーは豆粒です。それをトリミング拡大しています。
最近Fujifilm GFX50Sの意義として、トリミング拡大をガンガンにしても使える絵が得られるという点を評価するようになりました。今回みたいに目的がはっきりしている時にはすごい写真というより、使える写真が必要なわけで、こんな時に画面のどの部分でもガンガンにトリミング拡大して、一応の目的を達成できるということは大きなメリットになると思い始めています。






上の写真の元の写真 (外人さんのようです。とても上手かった。オリンピックの為に練習しているのかもしれません)

東浪見の駅から一番近い東浪見海岸で撮影していましたが、殆どオリンピックの影は見当たりませんでした。


JR東浪見駅で降りたのは当方だけ。無人駅。


ポツンとオリンピックの幕がかかっていました。

後で調べると、オリンピック会場はもっと九十九里の端 (太東岬)によった釣ガ崎海岸が会場でした。しかし、それにしても何だかオリンピックという雰囲気は希薄もいいとこです。オリンピック時、会場へは上総一ノ宮駅からバス輸送するようで、東浪見駅は関係ないと言えばそれまでですが、上総一ノ宮駅周辺だって何も変化しちゃいない。折角のチャンスを、一ノ宮の人は何を考えているのかな????
とにかく一ノ宮町というのは戦前は別荘地と海水浴場としてある程度活気があったのですが、現在は中途半端なベットタウンと化して、昔流行った一ノ宮川のポンポン船による海岸までの足もなくなり、ついで海岸までのバスもなくなり(海まで3km弱あります)、何年たっても全く変化しない低値安定の微動だにしない地域となっています。オリンピック会場誘致も一向に生かされていない感があります。ここに限らず房総半島は同じようなもので、房総東線は無人駅と低値安定型のボーッとした地域が大半です。房総半島はよくいえば平和な、悪く言えばどうしようもなくボッケとした東京近郊です。

もう一度、釣ガ崎海岸に行ってみる必要はありますが、とにかくこの日はがっかりして、このまま帰るのももったいないので、足をのばして鵜原までいってみました。ここは、勝浦の隣の無人駅です。ここには、中学高校の海浜寮があって、当方はここの海で水泳を叩き込まれました。その後何度も訪れる勝手知ったる海なのです。




この写真から上の写真を作り上げています。
一枚の写真から、必死で面白い部分を見つけだすのです。以下、皆同じく、一枚の写真から探しまくって、トリミング拡大して絵をつくっています。以下の撮影は三脚、NDフィルターは必須で、スローチャッターで流しています。

最近のオリンパスOM-D E-M1Xは手持ちNDフィルター無しでこのようなスロシャッター画面が撮れ、さらにプレ撮影は前35枚後ろ35枚撮れるそうです。(FujifilmX-T3のプレ撮影システムは前6コマ後ろ6コマですからつらいところ、 Sonyα9IIが発売になりますが、残念ながらプレ撮影システムは付きませんでした)。写真くさい写真を撮りたい方はオリンパスOM-D E-M1Xをご検討ください。中判Fujifilm GFX50SとマイクロフォーサーズOM-D E-M1Xは両極端に位置します。当方はマイクロフォーサーズに戻る気はいまのところありません。絵の<うるおい>が違うのです。















岩に当たって流れ落ちる波のパターンを追っています。

ここ鵜原は理想郷というリアス式海岸の遊歩道(ハイキングコース、以前はこんなに整備されたコースは無かった、地元の方の努力のたまものです)があり、この遊歩道から撮影しています。鵜原で降りたのは当方と一組の外人カップルだけ。このカップルはやはり理想郷遊歩道路に向かっています。かなりカメラでの撮影に凝っているようでした。おそらく、ネット情報でここに興味を持ったのでしょう。理想郷は房総半島外房ではトップに近い景観を持っている知られざる地域なのです。外人の嗅覚の鋭さには感心します。理想郷の岬<手弱女平(たおやめだいら)>で当方と外人カップルは盛んに撮影しました。



手弱女平の右手は毛戸浦(けどうら)で昔はよく泳いだものです。毛戸岬のたもとに立派な別荘があって、そのわきから毛戸浦におりられます。この別荘は当方が鵜原で泳ぎの訓練を受けていた時、つまり中2の時には既に存在しており、おそらく60~80年以上は続いていると思われます。きっと由緒ある別荘なのでしょう。まだしっかりとした佇まいで、ちゃんと使われているようです。昔から憧れの別荘でしたから、嬉しい限りです(簡単にいいますが、この海風が当たる岬で家を維持するのはとても大変なことと思います)。ここの住人が毛戸浦に降りて、さっと鯛を銛でついてくるのを見てこんなところに住みたいなとずっと憧れていたのです。




この写真だけ、Fujifilm X-T3 + miniBorg 55FL 250mm

理想郷から鵜原湾に抜けて、中学2年の水泳の訓練を思い出しながら、列車の時間に間に合わせるためにエッコラエッコラ走って駅に戻ったのです。
先のクロスオーバー展には<海からの贈り物、森からの贈り物>という副タイトルをつけていましたが、海との付き合いは小さい時から房総半島の海にはじまり、60年以上に及び、森との付き合いは自然教育園を中心にせいぜい数年です。久しぶりに海にゆくとなにかとても元気になっている自分を発見します。

これから、波の写真から陶芸の絵柄を抽出します。すでに<海のデッサン>というタイトルまでついています。



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