小さな旅、大きな旅の写真物語(Virtual trips/travels)

京都や東京を本拠地として、自然の中や町を歩きながら、撮った写真をどんどん掲載します。いっしょに歩いているように。

自然教育園日記 その199 キャリーバック・Fujifilm カメラ3台体制―1

2021-08-07 18:40:17 | 写真日記
自然教育園日記 その199 キャリーバック・Fujifilm カメラ3台体制―1

ブログを開くとコロナ対策が目に入るというのは、気分悪いにちがいありません。 気分を変える為に、 平和な自然の写真を載せます。 夏が来て、秋が来て、冬が来て、春が来て、花が咲いて、虫が飛んで、時が巡るでしょう。

2021-7-31~8-3


とりあえず、安い中国製キャリーバックを買って、
Fujifilm GFX100S + GF120m macro 又は Zeiss Planar 100mm macro
Fujifilm GFX50R + Laowa 15mm macro 又は Zeiss Distagon/Sony 24mm
Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF 70-300mm
3台のFujifilmをキャリーバックにいれてガラガラと引きずって撮影。これを3日間続けました。


Fujifilm GFX100S + GF120mm macro

こののっけの写真がビックリ。なんてことない今まで何度も撮ってきた場面ですが、Fujifilm GFX100Sになるとこれまでにない迫力が出る。Fujifilm GFX50Rを買ったすぐに言うべきことでないけれど、メカの使い勝手の良さ、画質の迫力からいってFujifilm GFX100Sは意義あるカメラという結論になりました。


Fujifilm GFX100S + GF120mm macro

この小さな花はなんでしょう。先輩が教えてくれた、午後3時に開花する花かな? ほんと先輩の教えをすぐ忘れてしまうからどうしようもない。


Fujifilm GFX100S + Laowa 15mm macro

Fujifilm GFX100Sで超接近広角撮影をやってみた。それなりに面白い。


Fujifilm GFX100S + Laowa 15mm macro ツルボと虫


Fujifilm GFX100S + Laowa 15mm macro ハナダイコンの実と花


Fujifilm GFX50R +Laowa 15mm macro ツリガネニンジン

通常、広角はFujifilm GFX50Rの受け持ちです。


Fujifilm GFX50R +Laowa 15mm macro


Fujifilm GFX50R +Laowa 15mm macro

この花のバックはちょうどうまい木漏れ日のはいるところなのですが、膝がいたくて思うようにゆきません。


Fujifilm GFX50R +Zeiss Distagon/Sony 24mm 

Zeissのキレはすごいよ。これはSony Aマウント、フルサイズ用レンズをそのままアダプタ―を介して645中判で使っているのです。Zeiss Makro-Planar 50mm F2が買いたくなった。これなら、重たくなくて、キレキレの接近撮影が出来るかもしれない。


Fujifilm GFX50R +Zeiss Distagon/Sony 24mm フシグロセンノウ


Fujifilm GFX100S +Zeiss Planar 100mm macro


Fujifilm GFX100S +Zeiss Planar 100mm macro

Zeiss Planar 100mm macroはとても魅力的なのだが、Fujifilm GFX100Sでの手持ちMF望遠撮影は、中判カメラの焦点深度の浅さから無理という結論になりそうだ。膝がいたくて中腰になれないもの響いているが。しかたなく、ふたたびGF120mm macroのAFに戻した。重たくて嫌なのだがしょうがない。


Fujifilm GFX100S + GF120mmm macro

この組み合わせだと花がちゃんと撮れすぎてしまう。きっとポートレートも同じだろう。レンズは、餅は餅屋とは単純にゆかないから面白い。


Fujifilm GFX100S + GF120mm macro クサギとクロアゲハ

Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF 70-300mmで撮るより、Fujifilm GFX100S + GF120mm macroで撮って、トリミング拡大した方が魅力的な絵になるのは、なんて言ったらいいのか。もちょっとまともな動き物用システムを買えということか。しかし、当面は財政的に無理。



Fujifilm GFX100S + GF120mmm macro


Fujifilm GFX100S + GF120mmm macro


Fujifilm GFX100S + GF120mmm macro


Fujifilm GFX100S + GF120mmm macro

ベンチに座って、夏の雲を見ながら、森の風を感じながら、ぼーっとする。自然教育園の散歩はこんな時間が多くなりました。オリンピックの騒がしさより、ずっと極上の気分です。


Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF70-300mm
4時からカワセミ。 いつも4時からカワセミが現われます。


Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF70-300mm クサギとクロアゲハ


Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF70-300mm

動き物専用、Fujifilm X-T3 + Fujifilm XF70-300mmは毎回参加しているのだが、なかなか載せられる写真が撮れない。

こういうわけで、3台のFujifilmカメラをキャリーバックに詰めてガラガラ引くことは、膝に負担がかからず、3台とも毎回何かを撮っていることから十分意味ある事ではあるのですが、行動を制限されることが、なんともじゃまくさい。特にガタガタ道、階段、坂道がいやだし、さっさと動けないことがじれったい。じっと我慢して3日間このガラガラを実行しました。結果、面白いことに、まだこのガラガラをしばらく続けるという結論に達したのです。3台体制はそれなりの成果をあげているということでしょうか? ただしFujifilm GFX100Sのちょっとしたトラブルでしばらく修理工場入院ということになり、3台体制は一時2台体制になります。
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コロナ対策 2021-8-5

2021-08-07 11:14:16 | 日記
コロナ対策 2021-8-5

1、変異株対応が今後の世界の中心課題となるだろう
変異株のでき方に関する基本的理解
1)変異は、子孫を作る為の親(ウイルス)の分裂回数に比例する。子孫を作る為の親(ウイルス)の分裂は感染者数に比例する。すなわち、変異頻度を下げるには、感染者数を下げることが必須である。
2)変異の結果の99.9%は親より出来が悪い。99.9%は淘汰されるが、最適な変異株が生き残って他を排除して全体に入れ替わる。すなわち、生物界では多様性の全てが生き残ることはあり得ない。必ず淘汰がある。

このように、自然は多様性を積極的に使うが、淘汰が前提である。しかし、驚いたことに完全に淘汰されずに結果的に多様性が一部残る。多様性を裏に残す。いつでも表舞台に立てるように残すのである。この絶妙なバランスが自然である。

人間は多様性を容認することを主張することはいいが、すべての多様性がイーブンに共存するというルールは自然の生物界には無い。ヒトは多様性を議論する時に生物界のルールをポジティブであろうがネガティブであろうが心すべきだ。ヒトは神様ほど完璧でない。

3)ワクチンは感染の重症化を抑制するだけで、感染の完全な防止はしない。ということはワクチン接種者が自由に行動することは無症状者をどんどん増やすということになる。感染者数の増加は変異株の発生を助長する。ワクチンが効きにくい変異株の増産をしていると言うことだ。これが世界中で起きる。この変異が、軽い症状に向かうか、重い症状に向かうかは神のみぞ知る。感染が若い人に向かっていることだけは確実だ。軽い症状に向えば新型コロナはインフルエンザと同じになる。大局的には変異が軽い症状に向うことは間違いないのだが、それがいつかはわからない(人を皆殺したら、ウイルスも絶滅する)。

世間は防疫体制を強化して、変異株の侵入を阻止せよという、それはそうすべきだが、結局は完璧には出来ないと思う。しかし、侵入を遅らせることは重要だ。全てはall or notではない。やれることをやってゆく攻めぎ合いの積み重ねでことは決まる。

当面の急拡大する感染者数をどう抑えるかは重要だが、こんなことはクレア―して、次の課題変異株対応に傾注する必要があるのだが、現状はメチャクチャな状態だ。

2,ワクチン接種後の世界
アメリカやイギリスでワクチンが広まって、マスクをはずして騒いでいる図面は政府が意図的に容認していることだ。マスクをはずして騒いでいる図面は欧米の医療専門家は良しとしていないことは明らかで、まずはワクチンを広めるための政治的決断と思われる。すなわち、科学的観点と、政治的観点のバランスを理解の上で決断している。マスク嫌い、および強固なワクチン拒否集団の存在する欧米の決断であり、日本が、欧米でやっているからと言ってそのままマネする話ではない。政府も国民も日本人全体が欧米の真似するのが好きであるから、あえて言っておく。

秋口には、日本人の大半がワクチン接種が終わるはずだ。そうするといかなる宣言をしようが、爆発的に旅行や飲み食い会合が始まる。
ヒトのことはどうでもいい、我々家族は如何に行動するかを考えている。上記を総合的に考えると、抗原検査とワクチン接種証明を持つ人に限定した旅行ツアーに参加するのが最も安全、リーズナブルという結論になる。無論100%安全ではないが、抗原検査とワクチン接種証明を持つ人に限定した旅行や飲み会が当面の<withコロナ体制>であることは明らかである。政府がこの方向を支持して、この資格を持つ人にGoToキャンペーンしてくれればいうことないのだが、どうせ、ワクチンを受けられない人に不公平だという反論を怖がって、ハナから考えないだろう。

3、中等症以下は自宅療養などと恐ろしいことを言い出した
ところが政府は、次の日にこれを撤回した。申し訳ないが、菅政権は気が狂っているとしか思えない。多少、冷静に言うと、菅政権の物事の判断基準が現実に対して全く狂っているということだろう。
1)ワクチンが出来た、これにより重症者を抑えられる。
2)抗体薬が出来た、これにより重症化を阻止できる。
3)緊急事態をいくら発出しても、感染者数は抑えられない。
4)オリンピックを今更やめられない。

これらを総合的に考えると、入院者数増加を1か月抑えられれば、なんとかなる。よって、入院患者を重症者に限定すればいい。ワクチン投与拡大と抗体薬治療導入で何とかなる。と菅総理は考えた。俺の決断だと胸をはった。昨日までは。

Ⅰ)現在のワクチン投与は最終兵器ではない。変異株の発生があるからだ。
2)抗体薬は色々な制限があり、現状は全面的に寄りかかれる武器ではない。(当方は、抗体薬が世に無いときから抗体薬の開発を試みてきた。結局は断念し、当方の人生における大きな失敗の一つである。よって大きなことは言えないが、何も知らない人よりはましな判断が出来るはずだ。) 抗体薬は作るのが大変で、その分コストはかかるし、供給も制限される。これをバンバン使うと、国費はかかるし、金持ちの買い占めだといって世界中から非難されるだろう、第一これまで使ったこともない薬を、医者の管理が十分できない状態でバンバン使うなどということは当面不可能だ。医者はわからんとも言えずに、わかったようなことをいっているが、使ったこともない薬を、在宅でどう使うかなどわかりようもない。半年もすれば可能になるかもしれないが、しばらくは無理だ。
3)オリンピックが人出を増加させているというが、ではオリンピックがなかったら、今の人出が減っていると言える人はいるのか? オリンピックがあるから息抜きになり、家でテレビ観戦するから人出増加が抑制されるという意見を否定できるのか? オリンピックをはなれて、現在の感染者拡大を止める方法を生み出す必要がある。結局は感染者数が増えると、皆が危機感を感じて、自動的に抑制がかかるのかもしれないが、為政者は神頼みというわけにはいかない。

4、当方は以下の2つを主張したい。この考えはオリンピックバブル体制の推移を見で、こう思うようになった、オリンピックバブルのたまものである。 
1)中等症以下の希望者を収容する大規模施設を用意する。なんとかアリーナにオリンピック村の段ボールベットを持ち込んでもいい。手持無沙汰な医者がいっぱいいるのだから、なんとか医者や看護師を集めよう。完璧でなくても自宅療法よりはましだ。野党は腹を据えて、この一点にかけて、完遂すれば、存在価値が初めて生まれるのに、こんなチャンスはないのに。なにを揚げ足取りばかりしているのだ。

2)抗原検査とワクチンパスポートを持つ人だけが遊べる特区を全国に作ろう。店が開けないで手が空いている人はこの特区に集まって、店を開く。巨大フードコート、巨大歓楽街だ。
ワクチンを打てない人は毎日の抗原検査をすればOK。罰則の無い宣言しても効かないのだから、無駄な規制より息抜きの場を作ってあげる方が効果がある。抗原検査とワクチンパスポートは完璧でない。完璧でなくてもいいじゃないか。抗原検査とワクチンパスポートは確実に感染者を減らせるだろう。特区が魅力的なら、若い人もこぞってワクチンを打つだろう。これはこの特区の成り行きをきちっとフォローすることが前提だ。実証実験をするのだ。社会における実証実験をけしからんという人が少なくない。では、未知の危機に対する対応をどうやって見つけるのか? 全て、海外の情報を見て動くのか? 自分たちでリスクを負わずに、自分たちで未来を切り開かないことが当方には最も気に入らないことだ。やることをやらなければ、いずれはつけがまわると。これが当方の主張の根幹だ。

政府は投げ出している。これは民間に頼るしかない。民間が打って出るチャンスではないか。上記2点は、民間でやろう。政府が出来ることはこれまでしてきたこと(これをよくやってくれたとリスペクトするが)、それ以上は出来ないなら、野党も動かないなら、あとは民間でやるしかない。

また突然、本質論にはいる。自民党も、野党もどうしようもないなら、総理大臣を国民投票で決めるしかない。当方は専門家でないから、具体的システムはわからないが、アメリカ式にするのか、韓国式にするのか。無論問題が生じるだろう。小池百合子氏のような大衆扇動のうまい人が総理大臣になる可能性も大いにある。しかし、失敗して学ぶことも必要だ。国民は、なんとなくそれほどバカでないような気がする。

こういうことだ。コロナ対策は半分は科学的判断が不可欠であり、一般の政治手法では対応できない。ワクチンにせよ抗体治療薬にせよ、最終兵器にはならない。やれることをコツコツ積み上げてwithコロナの世界を開拓する必要があるのだ。アイデアと試みが必要なのだ。科学は99%の失敗の上に前に進んでゆく。失敗は当然であり、乗り越えて行くことが必然なのだ。現政権はコロナ対策において、もっとコツコツとやることを積み上げてくるべきだった。これからでも遅くない。もうすぐ終わりだなどと思ってはならない。科学的判断が不可欠な世界では人気取りは意味ない。コツコツとやり、失敗し、さらにコツコツやる。指導者の資質も同じ部分が必要だ、人生の中でいかに自ら、経験し、試み、多くの失敗をし、それを乗り越えてきたかが、その人の器として見えてきてしまうのだ。国民はバカではない、それを見透かしてしまうのだ。
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